救世の法から引用して、ご自身が勝手な解釈をしているようですが、まったく意味を理解していないと思えます。
文鮮明の言葉を引用して以下のように書かれていました。
『「私を信じなさい」ではなくて、
私を信じなくて良いから、神様にたずねなさい。
そして神様の声に従いなさい。
ということだ。
これが信仰の道へ人を導く者の、真実のあるべき姿だと思う。』
と書かれていました。
過去の歴史上の救世主や、偉大な思想家、哲学者は仏や神のお考えがどこにあるのか、また、人間の本質とは、人間はどこから来てどこに行くのか、言葉を通して語ってきました。
「私を信じなくて良いから、神様にたずねなさい」という言葉はいっけんすると、謙虚に聞こえますが、真実は、文鮮明には神や仏あるいは、高級諸神霊のお考えがわからないだけで、逃げているだけだと思います。
「神様にたずねなさい。」「神様の声に従いなさい」と書いてありますが、通常、私達人間は、神の御心を知ることができません。ですから2000年、2500年ごとに偉大な宗教家、救世主が法を説かれるのだと思います。
統一教会は聖書を根拠に、正当性を主張しているようにみえますが、福音書には、「人をさばくな、自分がさばかれないためである。」と書かれています。
統一教会さんは、幸福の科学に対してさばきまくっているようですが。しかも毎日毎日、よく書くことが思いつくなと思えるぐらい、毎日さばいているようです。
文鮮明の教えは、他宗教に関しては批判をしまくってもいいという教えなのでしょうか?
また福音書には、「にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。」とも書かれていましたが。
また、救世の法に書かれている以下の文書を引用してとんでもない解釈をしています。
「私に騙されても、あきらめてください。もし私が嘘つきだったならば、
そのときには、「まな板の上の鯉だ」と思って、騙されてください。そして、
私と一緒に地獄で修行しましょう。」
「どうか、「大川隆法先生に騙されても構いません。地獄までついて
ゆきます」というぐらいの信仰心を持ってください。」
【救世の法】より
という文書に対して、統一教会さんは、以下のように書かれていました。
「一人でひっそり死んでいけばいいものを
多くの無垢な人を巻き添えにして死んでいく
そのような傾向性がある。
これはまさに悪魔の業である。
自暴自棄。
地獄に道連れ。
一人で自滅ではなく、
まわりを巻き添えにして・・・。」
どう考えたら、このような理解の仕方をするのか不思議です。
もし、人を騙そうとして地獄に道連れにしようと本気で考えていたら、本にして書店で販売するわけがないと思いますが。
統一教会が起こした数々の事件に関しては、一切の説明もないのにもかかわらず、幸福の科学に対してよくそこまで、批判ができるなと思います。
全体的な法体系に対しての批判ではなく、部分だけを取り出せば、どのようにでも解釈できます。
ここまで、批判できるということは、幸福の科学の教えより、統一教会の教えのほうが素晴らしいと考えているのでしょう。
何十年も信者を続けているようですので、できればその素晴らしい教えを、わかりやすく説明してもらえると、統一教会の誤解も解けるかもしれません。
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