スウェーデンボルグの著書を参考に、霊界にある霊太陽が霊界と現象界(物質世界)にどのような影響を与えているのか、考えてみます。
われわれの存在する世界は、2つの世界が重なりあって出来ています。一つは自然的世界、現象界といわれる物質世界です。感覚器官を通して確認できる世界です。仏教的には感覚的なものは変化し、過ぎ去っていくので実在ではないという立場だと思いますが、仮であっても感覚的に確認できる世界です。
もう一つは物質世界と共存していますが、感覚器官を通してつかみ取ることができない世界、一般的にいわれています霊界世界です。
ただし、ルドルフシュタイナーは、現在の肉体に基づく5感では、霊界世界を確認できませんが、仮に第6感といわれる器官が肉体に備わっていれば、地上に生まれて肉体を持ちながら霊界を通常認識できる可能性があるというようなことを言われていたと思います。
カントは経験によって、認識の対象が与えられ、認識の枠組みにあてはめる、あるいは、自分のうちにある概念によって対象を照らすことで、物事の認識、価値判断ができるというような事を言われていたと思いますが、感覚器官で確認できる領域、幅が広がれば人間の認識できる幅も広がるので、物質世界の中で、霊界を認識できる可能性がカント哲学からでもあるわけです。
スウェーデンボルグの著書には、「霊的世界から自然世界への流入があって、人間と動物を含め、自然界のあらゆるものを動かし、草木の中では植物的な動きを促進しているものです」と書かれています。
これは以前、原子と電子の関係を記事に書いたことがありますが、原子核はプラスの電荷をもった陽子と中性子で核子ができていますが、その外側をマイナスの電荷をもった電子が、自転しながら好転しています。電子はなぜ、ブラスの陽子を持った核子に落ち込まないで、同心円状に公転しているのか不思議でしたが、現代科学では、素粒子は粒子としての性質と、波動としての性質を兼ね備えているので、電子を波動(物質波)とみなすことで、定常波であれば波の干渉(波の山と谷が打ち消し合うこと)がおきないために、原子核の周りを回り続けると説明していたと思いましたが、私はそうではなく、三次元物質世界より一つ上の次元からのエネルギー供給があるから電子は原子核に落ち込まないで公転しているという説明をしたことがあったと思います。
対称性の高い高エネルギーは、エネルギーの低い状態に安定しようとします。
話がそれますが、やはり原発は推進していくべきです。日本は資源がないうえに、新しいエネルギーの確保すらできていない状態で原発反対、原発ゼロということを主張する政治家は、夢想しているとしか思えません。日本が太平洋戦争に突入した原因は、エネルギー源を断たれようとしていたからです。
それを原発であれば資源のない日本でも自前で供給できるのに、反対しているのだから、なにも考えていないで、感情にうごかされているとしか思えません。
また、原子力の開発、素粒子の研究は霊界世界を発見できるきっかけになる可能性が十分にあると自分は思います。また、防衛の観点からしても、高い技術力があれば防衛力にも応用できるので、中国、北朝鮮に対しての強力な抑止力にもなります。
スウェーデンボルグはこのようにも述べています。
創造は、純粋な愛である太陽をとおして行われたということは、同時に神によって行われたということです。なぜなら、愛こそ(いのち)の存在そのものであるとともに、叡智にねざして造られたからです。ヨハネによる福音書の次の御言葉もそれを言っています。
「御言葉は神のもとにあった。神は御言葉であった。すべてのものはその方によって成った。その方によらないで成ったものはない。この世は、その方によってできた」(ヨハネの福音書)
ここでいう御言葉とは、神の真理であり、それは神の叡智でもありますとスウェーデンボルグは説明しています。
世界ができた起源を、神の愛に発し、神の叡智による創造以外のところにもってくる人は、幽霊を見て人と思い、幻をみて光と思い、架空のものをみて本物と見誤る狂人のように、白昼夢をみています
愛は宗教的、哲学的にはすべての根源であると認識できますが、科学的にも愛はすべての存在をあらしめているエネルギーの供給源であると考えます。
人間という存在も根源の神から流れる愛、光エネルギーの供給があるから存在を許されているのであって、もし、仏や神が愛の思いを流すことをやめられたら、霊界を含むすべての存在は消えると考えられます。それゆえに、存在していること自体が神の愛、そのものであると思います。
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