寒い時期になると、というよりクリスマスの季節になると(まだ早い(笑))毎年、くるみ割り人形を観に行きます。忙しい日常生活から離れて、絵画や音楽を鑑賞する、あるいはいろんな芸術に触れることは魂にとって必要なことであると感じます。ギリシャのことわざに「悪魔は芸術を解さない」というのがあります。美しさの中に天国的な価値があるはずです。美しいということ自体が一つの正しさの証明であると思えます。
天使達もこの地上を超えた美しさを内包しているがゆえに、私たちが追い求める理想であると思います。
顔の表情、特に目はその人の思い続けた思考内容や、心の状態を映し出す鏡のような気がします。
心の美しい人からは、人に対しての優しい言葉や勇気ある言動がでてくると思いますが、反対に心が乱れている状態、虚栄心や自惚れ、慢心の心であれば、人に対しての責める言葉や、悪口ぐらいしか出てこないでしょう。
芸術をわけると静的な芸術と、動的な芸術があると思いますが、バレエは動的な芸術の分類に入るでしょう。
ベガやプレアデスの芸術とはどのようなものか興味がありますが、地球の中で自分の身体を使って美しさを表現する芸術の中では、バレエは地球的な代表の位置付けではないかと思います。
ギリシャ的な愛の精神の中には、美があり、知があると教わっています。愛から祈りへ参照
ギリシャ的な意識や教え、光の中では、愛はすなわち美であり、また、愛はすなわち知でありました。
ギリシャ的精神の中には、「愛の中に美と知がある」「愛の中に美と知が内包されている」と言われています。愛や知というものを美という価値判断でチェックするということも一つの方法かもしれません。
人を愛すると言っても、みかえりを求める愛の中には美しさは無いような気がしますし、知に関しても自分を高く見せようとする偽りの知も、美しさが宿っているとは思えません。
くるみ割り人形の物語の内容は以下のような感じです。
第1幕
第1場:客間にて
クリスマス・イヴ、クララの家では、親戚、知人を招いてパーティが開かれています。その中でちょっと不思議なキャラのドロッセルマイヤーさんがやってきます。
パーティがはじまり、子供達もプレゼントをもらうなどして大喜びしています。そこへドロッセルマイヤーが到着します。子供たちがツリーを囲んで遊んでいるところに、ドロッセルマイヤーは実物大の人形を出して見せます。人形はバネ仕掛けのようで踊りだします。
次にくるみ割り人形を出しますが、子供達は醜い顔をしたこの人形を気に入りません。
しかし、クララだけは、このくるみ割り人形に心ひかれてマイヤーさんにおねだりして自分のものにします。
パーティも終わり、クララもいったん寝室に入りますが、客間においてあるくるみ割り人形が気になり、客間にもどります。椅子の上でお人形をあやしているうちに、いつしか眠ってしまいます。
夢のはじまりです。
第2場:戦い
客間の時計が12時を打ちますと、ねずみ達がたくさん現れてクララにちょっかいをしてきます。
そこにネズミの王様まであらわれて、追い払うことができません。助けを求めて必死に手にした、くるみ割り人形が突然大きくなり、おもちゃの兵隊と一緒にねずみ達との戦いが始まります。
くるみ割り人形が苦戦していますが、なんとかネズミの王様を倒します。
するとドロッセルマイヤーさんが現れて、くるみ割り人形を素敵な王子さまの姿にかえてくれます。その王子さまとクララが素敵なダンスを踊りながら、お菓子の国へ案内してくれます。
第3場:雪の国
客間がいつしか雪の原となり、粉雪が沢山舞って、夢の様な銀世界です。
雪の女王や粉雪たちの踊りが始まります。
ドロッセルマイヤーさんは、王子さまにクララをお菓子の国へいざなう様にたのみます。
第2幕
第1場
幕が上がると、美しいお菓子の宮殿で、お砂糖で出来ているお花の衣装をまとった金平糖の侍女たちが、クララと王子さまを待っています。
第2場
クララと王子さまは、楽しい旅を終えていよいよお菓子の国へ到着します。
第3場
宮殿の中では、クララと王子さまの到着に気がつかないお菓子の精のお人形達が、にぎやかに遊んでいます。この人形達もドロッセルマイヤーさんの魔法で生きかえり、クララを歓迎してくれます。
お菓子の精みんなで、クララの歓迎パーティをにぎやかにしてくれます。
第4場
夢からさめたクララは、金平糖の精も、他のお菓子の精たちも、王子さまもいない自分の客間に、クリスマスツリーを見つけ、くるみ割り人形をだいて、お菓子の国へ連れて行ってくれた王子さまが、このくるみ割り人形であると確信して、お人形がますます、大好きになりました。
だいたい以上のような内容です。
美しさを感じとれる感性を磨いていきたいなと感じています。
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