プラトンは次のような美しい神話を語っていたようです。
「人間の魂は、かつて天空をかけめぐり、真理そのものを見ていました。ところがある時、足を踏みはずして地上に落ち、人間の肉体に埋まってしまいました。ですからこの世で美しいものを見ると、かつて見た美そのものを思い出して、胸の内に熱いものがこみあげてきて、懐かしいそのもののほうへ行こうとするのです。」哲学の歩き方 竹内 均 参照
天空は霊天上界のことであり、真理とは「イデア」のことだと考えます。地上に生まれ変わって魂が肉体に宿っても、人間の魂は天国にいた時に体験した美しいものすべてを、魂が覚えていて、地上にある美しものすべてを見た時に、魂の郷愁として美しいと感じとることができるということを、上記の神話は語っていると思います。
ですから、地上にあっても、美しいものを美しいと感じとることができるということは、天国にいた時の記憶を思い出しているという点で霊的なことではないかと思います。
プラトン的に解釈するならば、本当の美しさやすべての善きものは、天上界にあり、この地上はその天上界の光の一部を表現している世界、あるいはイデアの模像(影)でしかありません。
その不完全な世界において、天国にある美しさを表現しようとするが芸術であり、具体的には音楽であったり、絵画であったり、彫刻、クラシックバレエ、その他であると思うのです。
ですから音楽にしても絵画にしても、心が天国の方向に向いていなければ、本当に美しい音楽や芸術を表現することはできないのかもしれません。
自分の肉体ですら、心の傾向性を表現していると思います
参照
年を重ねるごとに内面と外面が一致して・・・
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/287809986.html
また、ピタゴラスも天上界や人間の魂についての考えを持っていました。
ピタゴラスといえば、「宇宙の秩序と調和は、数学の原理に基づいている」というような考えを持った方であったと思います。
また、音楽の中にも数学的な理論と調和を見出し、ピタゴラス音階という音楽理論や十弦琴や七弦琴をつくったような方です。
魂についてピタゴラスは、「人間の魂は肉体にはいるまでは、神々の近くで暮らしているのですが、人が生まれるとその肉体に閉じ込められてしまいます。魂にとって肉体は牢獄のようなものです。しかし、人が死ぬと魂は肉体からはなれて、ふたたび神々のもとへ帰ってきます。
そして、次の新しい肉体にはいるまでそこにいて、前の肉体にいたときの犯した罪をきよめるのです」
哲学の歩き方 参照
魂的にはピタゴラスは理数系の最前線の方のように思えますが、音楽に関しても才能があったようです。
また、客観的証明ができない霊的世界や魂の本質についても理解しているのですから、尊敬するしかありありません。
数学や哲学のような理論的思考の持ち主であろうと、音楽や芸術のようにインスピレーション的な感性の持ち主であろうと、根本的に心の方向性が天国に向いていなければ、すべてが美しさという価値基準から外れてしまうのではないかと思います。
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