いろいろ尋問する中でジャンヌは、「聖ミカエルや他の天使たちを、この目ではっきりと、あなた方を見るのと同じように見ました。
天使たちが立ち去るのはとても悲しく、私は思わず泣いてしまいました。一緒に連れて行ってくれたらどれだけいいだろうと思いました。」と言っています。
17歳という乙女が、これだけの重い、過酷な使命を背負いながら、再び現実の世界で戦っていかなければならない、使命といえばそれまでだが、何ともいいようのない気持ちになります。
「そろそろ軍隊から離れて、両親のまっている村に帰って、両親に仕え、兄弟たちと一緒に羊の番をしたいわ。でも、神様がそのように望んでいらっしゃらないの」
輝かしい勝利、宮廷もジャンヌの目を眩ませないことがよくわかります。
栄光の頂点にいたジャンヌは、この世的な名誉や名声よりも、両親のいる平和な故郷に帰って、両親や兄弟と暮らすことが望みだったと思います。
また逆に寒く暗い牢獄に捕まった時も、天使たちが来てジャンヌを励ましたようです。
「苦しみによって人間は偉大になり、高貴になるのです。」
「勇気を出して!解放の後には、すばらしい勝利がまっていますよ」素朴なジャンヌは、この解放が敵からの解放と思っていました。しかしそれは、実際には、『死という解放』であったのです。殉教による死の解放であったのです。(ジャンヌ・ダルク失われた真実 参照)
また、ジャンヌと審問官とのやり取りが正確に記録されているとは限らなかったようです。
書記に、ある部分をもう一度読みあげるように頼んで、書記が読みあげるとジャンヌは、「それは、私が言ったこととまったく逆です!」
「あなた方はすべてを私の都合の悪いようにねじまげてかくのですね」といわれています。
現在のマスコミとそっくりであり、情報を操作して、真実をねじまげ、事実を伝えないとは、大きな罪であると思います。
1431年5月30日、ついに最後の時がきました。
「ああ!」ジャンヌは泣きながら叫びました。「なんて恐ろしい残酷な仕打ちでしょう!穢れを知らないきれいな私の体が全部、焼かれて灰になるなんて。焼き殺されるぐらいなら、7回首を切られた方がまし!ああ神様、こんなひどい、不当な仕打ちが許されるのでしょうか」
この言葉を書くべきかどうか悩みましたが、死に立ち向かっていくジャンヌの内面の勇気を伝えたく思い、悩んで末、書くことにしました。
最後の時、ジャンヌは、イザンバール・ド・ラ・ピエールにむかい、こう言います。
「お願いですから、隣の教会に行って十字架を持ってきてください。そして、私が死ぬまで、ずっと目の前にまっすぐ掲げてください」
十字架が掲げられた時、彼女は泣きながら何度も何度も接吻しました。最後の瞬間までイエス様を見ていたかったのだと思います。
火刑の中で「<声>はいと高き天からのものでした。声は決して私を欺きませんでした。啓示はすべて神からのものであったのです。私は、あらゆることを神様の命令のもとに行ったのです!」
炎の中で最後の力を振り絞りながら「イエス様」を何度も呼び続けながら、その使命をまっとうされました。
その聖ジャンヌ・ダルクが霊的に復活されます。
謹んで拝聴したいと思います。
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