ダーウィンの「種の起源」はキリスト教の神学上、脅威であった。動物から分かれてきた進化論的考え方は、人間機械論や唯物論につながっていきます。
ダーウィンとウォーレスの間で手紙のやり取りが行われています。(書簡集も残っているとのことですが、自分では読んだことがありません。今度、本屋で探してみます)。
ウォーレスは人がいいので、手紙の内容に自分の学説などを書いています。ダーウィンの進化論の大部分はウォーレスの考えが反映されているようです。
ウォーレスは進化論を考えながら、心霊主義としての立場もとっているので、これが原因で学会から、つまはじきにされる原因になっているので、当時、既に唯物論が支配的であったと思われます。
当時、ダーウィンが悩んだ問題が、ある系統樹が突然変化して、ちがった系統ができることであるそうで、唯物論的な考え方を基本に持つダーウィンには、その答えを見出すことができなかったが、ウォーレスは霊的観点から、その答えを見出したようです。
量子飛躍、ちがった霊的魂が肉体に宿ったのではないかという考え方です。
人間及び動物は、神の創造もありまた、宇宙から来たものもあるが、環境にあわせて進化したものもあります。
たしかに、進化論を認めたからと言って魂を否定する必要性はないと思います。肉体も固定したものではないので、環境によってある程度は変化する可能性はあると思うし、魂に関しても、自助努力や縁起の理法によって、方向性を間違えなければ、魂は進化していきますので、霊・肉はともに進化していくことを認めても、問題はないのではないかと思います。
自由が与えられているこということ自体が、人間の魂が創造される過程で、進化していくことを織り込んで作られたのではないかと考えます。
ダーウィンの霊言に関しては、唯物論者が共通していく世界で、誰にも会うことなく生活しているようです。そのダーウィンの進化論の理論の中で本人が納得しない点として、例えば、サルから人間になる中間の生物を探しているらしいのですが、それが見つからない。サルから突然、人間になるわけがないので、移行期間の中間的な生物が見つかるはずだと考えていますが、どうしても見つからないので、それがおかしいと、考えているようでした。
ダーウィン自身は、信仰心が無いわけではなく、キリスト教の教えの不備な点を補強したと考えているようですが、自分がみている分には、こじつけではないかと思われました。
ダーウィンは、ウォーレスは発狂したと言っていましたが、理由は心霊主義にはしったためと言われていました。
この発言からして、とてもキリスト教の不備を、善意で補強するためとは、自分の中では考えられません。
ただ、ダーウィンは長女を10才でなくしているようなので、その経験が「神がいるのに何で・・・」という気持ちがあったようです。
産業革命以降、人間が神を超えたと思っているようです。神は完全な善であると言われているが、神がつくった世界のわりには、ダーウィンの目には不完全のようにみえていたようです。産業革命以降、人間が神に勝ったと思っているような感じを自分は受けましたが、井の中の蛙、大海を知らずで、産業革命が神を否定する根拠になることにはありません。
ダーウィンは人間とは何かという問いに、哲学や産業革命だけでは説明がつかない部分を、科学的実証を兼ねて証明する必要があると、時代が自分を必要としていたと勘違いしているようでした。
唯物論者は共通して、亡くなった時点で時間が止まり、情報が入ってこないようですが、それは悪魔にならない為の、神様の慈悲であると、総裁先生はコメントされていました。
たしかに、霊界の洞窟で独り、いるにしては、地上における影響力は相当あるので、隔離しないと本人は悪魔になる可能性が大であると思います。
ウォーレスの立場は、霊的存在や神を否定してはいけないという考え方を基本的に持っています。
人類は今、試練の時にあると思われます。科学的に発達した現代の中で、どれだけ神や仏を信じることができるのか。現代は、人間が神になりかわろうとした時代であった。今、唯物論的なこの世的研究がされていますが、その中で信仰を失わないこと大事であると言われていたと思います
霊的世界があっても、進化論は成り立ちます。進化論は、霊・肉、両面から起きると思われます。この地上における進化は、魂の進化にとってもプラスに働くと思われます。
地上が進化することによって、魂が新しい経験を積むことが可能になるし、認識力が広がっていく可能性があると考えます。
今、時代の要請として、科学時代につりあう宗教あるいは、科学の進化を止めない宗教の出現がもとめられていると思われます。
ただ、科学の発展とつりあう宗教は、開かれた宗教ゆえに、逆に悪魔に入られると、教義がかわってしまう可能性もあると指摘されていたと思われますので、いろんな角度から考察されるかたであるという印象を受けました。
今後求められるものは、「信仰から発展する科学」であると思います。それは宗教と科学の融合という形になると考えられます。
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