2011年09月28日

マレーシアのイスラム教 1・2

『マレーシアの
イスラム教』


(本稿は、2011年9月27日北海道正心館七の日講話の内容のエッセンスをまとめたものです。)


 ご案内のとおり、去る9/18(日)に、マレーシアの首都クアラルンプールにて、総裁先生の大講演会、
『The Age of Mercy』
(「慈悲の時代」)
が、大々的に開催されました。この内容は、シンガポールでの御法話、
『Happiness and Prosperity』
(「幸福と繁栄」)
と共に、10/1(土)から全国の精舎で開示されますので、ぜひ、御拝聴ください。
 少しでも、イスラム教のことをご存じの方であれば、この
「慈悲の時代」
というテーマと、御法話の中で強調しておられた、
「"慈悲"とは、神の別名にほかならない」
という御言葉の重みが、おわかりになると思います。
『コーラン』の聖句は、各章ともに、必ず、
「慈悲深く、慈愛あまねきアラーの御名において…」
で始まります。
また、今月開示になったムハンマドの霊言、
『中東で何が起きているのか』
の中でも、語られているとおり、
「アラーとは、色々な名前で呼ばれていた」
とありますが、その色々な名前(呼び方)の代表格の一つが、
「慈悲深き神」
なのですね。
つまり、
「"慈悲"とは神の別名である」
と言ったときに、それがイスラム教徒にとって、特別な意味を持つことを十分意識された上での「ご発言」だったのです。
(アラーの証明orエロヒムの証明)

この「ムハンマドの霊言」を聴いていただければ、
「これから、イスラム教徒への伝道(中東への伝道)がどれほど大切になるか」
が、お分かり頂けると思います。
それを考えるに当たっても、まずは、
「先入観を無くす」
ことが、とても大事になります。
確かに日本にも、オサマ・ビン・ラディンのような過激派はいます。(ex.革マル派)
しかし、日本人全員が「革マル派」だと言われたら、さすがに怒り出すでしょう。
けれども、私達も、同じような目で、「十羽ひとからげ」で見ているようなところはありますね。
ですから、白紙の目で、無用に恐がったりしないで、真実を観ていく必要があります。そうすると、私達にとって、
「イスラム教は、意外と身近な存在だ」
ということが分かります。
今日は、それに資する話を3点ほどしたいと思います。



キリスト教徒より
"霊言"がわかる!



 一点目は、「ムハンマドの霊言」の中でも出てきましたし、御帰国後の、とある「リーディング」の総括の中でも、主が仰っておられましたが、
「そもそもイスラム教が始まった『コーラン』は、当会と同じ"霊言方式"なので、彼らは、「霊言による宗教」というのが、実によく理解できる」
というのです。
「今回、マレーシアで講演してみて、それを痛切に感じた」
とおっしゃっていました。
「キリスト教徒に向って、"今イエスが、総裁先生の言葉に臨んでいる"と言っても、なかなかスパっとは理解してくれないが、イスラム教徒なら、それがわかる」
というのですね。
確かに、今回の講話に当たって、『コーラン』全巻を改めて通読してみましたが、
「なるほど、もの心ついた頃から、これを読み聞かされ、自らも読み続けていたら(『コーラン』とは「読誦せよ」の意)、『幸福の科学の運動は霊言から始まった』という言葉の意味が、よくわかるだろうなぁ」
と、「痛感」しました。
中には、ほほ笑ましい"くだり"もあって、私達も初期の頃、「霊言が口語体である」ことに対して、お経や昔の聖書みたいな「文語体」ではないので、
「荘厳な感じがせず、宗教じゃないみたいだ」と批判され、それに対して、
「多くの衆生に教えを広めるには、こちらの方が良いのだ」
と、よく反論していましたが、全く似たようなムハンマドの反論が、『コーラン』の中にも、よく出てくるのです。
これは、『黄金の法』講義にもありましたけれども、
「『コーラン』の中に出てくる譬え(たとえ)は、「クモ」だとか「イナゴ」だとか、上品でないものが多く、イエスのたとえ話のような、洗練された"文学的香り"がしない」
と、当時批判されたそうですが、
(その割には、それらは数か所しかなくて、「騒ぐ程の話でもない」と感じましたが、)
これも、当時メッカのクライシュ族(『黄金の法』参照)の使っていた口語体アラビア語に照準を合わせたからだそうで(名訳者・故井筒俊彦慶大教授による)、何となく、ムハンマドの苦労がしのばれます。
「現在進行形の啓示型宗教のみが持つ悩み」
なのでしょうね。
 そして、もっと驚くのは、イスラム教が、
「キリスト教やユダヤ教に、どれだけ配慮してきたか」
ということが、実際に『コーラン』に目を通してみると、「痛いほどよくわかる」ということなのです。
(「その2」に続く)


『マレーシアと
イスラム教』
(その2)

(本稿は、2011年9月27日北海道正心館七の日講話のエッセンスをまとめたものです。)

涙ぐましい努力?

 二点目に、イスラム教は、少なくともその発祥時においては、
「キリスト教、ユダヤ教と両立・融和できるように、涙ぐましいまでの努力をしていたことが、『コーラン』を読むとよくわかる」
ことを挙げたいと思います。
「モーセやイエスに降りた神と同じ神(アラー)が、ムハンマドに臨んだ。そして、ムハンマドが最後の(但し最大の)預言者であった」
というのが、イスラム教の立場であることは、ご存じの方も多いと思います。
実際、それを実証するために、『コーラン』を読むと、おびただしい量の新約・旧約の聖書からの引用(特に旧約からの)が出てくることに驚かされます。
前述の井筒俊彦教授によると、
「日本人で、『コーラン』を一番良く理解できるのは、キリスト教徒だろう」
という話があるくらいで、実際、聖書に関する基礎知識がないと、ちょっと分かりづらいだろうと思われる気もします。
『コーラン』は全部で114章あるのですが、その中に、
「ヨセフ」(ユダヤ教3代目の族長)だとか、
「アブラハム」(初代開祖)だとか、
「聖母マリア」だとか、
「天使」という名前を付された「章」が、続々と登場してくると、
「これは一体、聖書の解説書なのか?」
と思ってしまうくらいです。
「同じ神の啓示なのだ」
ということを、繰り返し、繰り返し、その中で述べているのですね。
第19章が、「マルヤム」(聖母マリア)という章なのですが、そこでは、
「まだ子供だったイエスが、"私はアラー〔主〕の僕(しもべ)です"と言ったのだ」とか、
「モーセは、実に誠実な預言者であった(私(アラー)の言葉をよく伝えた)」
という話が出てきます。
さらには、イドリースという人物のことを褒めたたえ、
「彼は実に正直な預言者であったので、我々(アラー)が、彼を高い世界に昇らせて(還らせて)あげた」
という話が出てきます。
イスラム教の神秘主義(スーフィズム)の方では、
「この"イドリース"というのは、ヘルメスのことだ」
と説明されているのですね。
以前も渋谷精舎でお話したことがありますが、世界の三大宗教は、表の顕教(けんきょう)は、それぞれ別の顔をしていますが、密教の部分(キリスト教→グノーシス派・一部ヘルメス思想/イスラム教→スーフィズム/仏教→真言密教)は、相互につながっています。
「南インドで密教を興したときに指導したのは、実はヘルメスである」
というお話は、中国正心館の御法話の中に出てきます。
「スーフィズムを興したときに指導したのは、ヘルメスとオフェアリスである」
というお話は、沖縄正心館の御法話の中にありますね。
そして、スーフィズム自身の中で、
「ユダヤ教の中に登場してくるヘルメスの名前を挙げて、「これが実はイドリースのことなのだ」とした上で、これらの霊存在の霊界での名前が"ヘルメス"である」
ということを言っているのです。
同じく沖縄正心館の御法話の中で、
「ムハンマドに"塹壕戦"と"弓の一斉射撃"というインスピレーションを与えて、絶対勝てないと思われた戦い(624年の"バドルの戦い"と思われる)に勝利をもたらしたのは、ヘルメスである」
とありましたから、このスーフィズムの主張には、説得力があります。
それから、中東に関心の薄い日本の国では、あまり知られていませんが、622年のムハンマドによる、メッカからメジナへの「ヒジュラ」(聖遷:転戦のこと、実際はメジナへの脱出)というのがありますが、
このイスラム教を立て直したメジナという場所は、実は、ユダヤ教徒の町だったのです。
そこでユダヤ教と共存しながら、ある時は彼らを味方につけ(最終的には離反)、ある時は協力を得ながら、多神教(クライシュ族)の聖地だったメッカへの反転攻勢を期していたのですね。
その過程で、随分、ユダヤ教徒(キリスト教徒)への説得・融和が試みられ、その努力の跡が『コーラン』の内容にもにじみ出ているわけです。
(しかし、ユダヤ・キリスト教徒からの迫害は止まず、最終的には彼らを責めることになってしまったのは、「ムハンマドの霊言」で説明があったとおりです。)


意外と自由に
やっている


 ここまで理知的な話が続きましたので、多少"閑話休題"的な話をしますと、皆さんも、イスラム教というのは、「ガチガチの戒律で大変だ」という印象があるでしょう。
確かに、原理主義的な宗派の一部には、そういうところもありますが、最近会内でも、中東に出かけて行って、彼らに啓蒙(伝道?)する人が増えてきましたので、その方々のお話を聞くと、「意外とそうでもない」というのですね。
特に、石油王等の大富豪であるとか、最近は、欧米や日本とも取引をする経営者なども多いですから、そういうセレブ系の人達の場合は、こっそり教えてもらったところによると、
「メッカの方角に向って、日に5回(ムハンマドの時代は3回だった)やる礼拝は、実際には1回しかやっていない人が多い」
のだそうです。
これは分かる気がします。私も長い間密かに、
「5回もやったら、仕事にならないだろう」、
「その間に、ライバル・メーカーにお客さんを取られてしまうではないか」
と思っていましたので、こういうバランス感覚(常識)が働くというのは、よく分かります。
一回目の「ムハンマドの霊言」にもありましたけれども、特に欧米・日本と仕事上の関係を持っている人達は、
「自分達の教え(戒律)の限界をよく理解しており、幸福の科学の主張する「宗教の時代適合性」という考え方が、よく分かる人達だ」
とありました。
そういえば、昨日(9/26)も、
「サウジアラビアの国王が、とうとう女性の選挙権と立候補権を認めた」
という報道が、世界を駆け巡っていましたが、これなどもまさに、「自由の神」(エル・カンターレ)の力が、背後で働いているのを実感させる出来事です。
エジプトやリビアの動きを見れば、
「先手を打って、自由化・民主化の動きを取り込んでいかないと、自分達自身が追い出されてしまう」
と考えていることが、よくわかります。「ムハンマドの霊言」でも、
「政治・軍事と宗教を切り離す(一体となった体制は解体する)ところまでは持っていく」
と言っていましたから、その流れの中で、思想信条(信教)と言論の自由が生まれてくる未来を見据えて、我々も、啓蒙(伝道)活動に取り組まなければならないでしょう。
(「その3」に続く)


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posted by ガンちゃん at 23:21 | Comment(0) | 幸福実現党 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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