2011年06月30日

ガンちゃん;死後の世界についての論点 その2

その1の続きです。

(イ) 宗派と救済の関係
三途の川を渡ると、あの世の人に導かれて次の世界に入っていく。何かの宗派、宗教に属していると、その関係の方が世話をしてくれる。
キリスト教の信者だったら、天使系の人が来て導いていく。教会でみんなを集めて、説明をしたり、生前のことを振り返るように教えたりする。お寺や神社もあり、そこであの世のガイダンスを受けられる。
建物はこの世のものよりは大変美しく、キリスト教では水晶の聖堂、仏教系では金でできた、お寺などがある。
幸福の科学でも、あの世でエル・カンターレ大聖堂を建てようとしている。入口の段は大理石で、中は宝石や水晶、御本増は金とダイヤモンドを使い、天上のドームも透き通って光が入るきれいなもの。
地方別に霊界があり、信者がある程度いるところには建つようになる。信仰心が建ってくると、ROマークをつけ、『仏説・正心法語』を読経するというのがないと安心しない。
当会の講師や熱心に伝道している人たちは、あの世に還ったら、一定の勉強をした後、導きの天使となる。その仕事をしないと、私たちがあの世に還っても、忙しくて仕方がない。キリスト教系の臨死体験者の話には、キリストがよく出てくるが、普通は弟子筋の天使や、天使の予備軍たちが、法衣をまとって行っているに違いない。
過去世のクリスチャンで名のある人は、何百人といるけれど、「私は何々だった」と名乗っても相手には分からないので、「キリストだと思ってくれたらいい」ということで、弟子たちがそれらしく見せていることが多い。
「知らない」と言われると、救いが困難になる。だから、大川隆法、幸福の科学の名前を知ってもらうことも大事。名前を知ってもらい、さらに信じてもらえれば、救済が非常にスムーズになる。
光の世界に入るには導きが要ることと、皆さんはあの世でも人を導く仕事をすることを知っていただきたい。それはものすごい数の人が必要。誰が死んでも、すぐ霊界には伝わり、関係者が来てくれる。その実態を見れば見るほど、人間というのは、非常に大事にされていることが分かる。

人生の回顧
更に死んだ時に、フラッシュバックといって人生の回顧が始まる。これは、照魔の鏡やビデオスクリーンのように見える場合があれば、思い出の様な感じで見ることもある。数十年の人生を、一瞬で全部思いだす。そのとき、自分の視点だけでなく、第三者の立場で見た景色もよく見えてくる。人生のビデオテープの中には、自分の目で記憶されているものもあれば、守護霊の目でとったものも入っている。
例えば、子供時代に自分が友達をいじめているシーンでは、いじめられた方の気持ちも入ってくる。「仕事で自分が勝利した」という場面では、敗れた方の相手のその後も見えてくる。武器商人などでは、自分が売った武器がどのように使われて人が死に、被害者の家族がどう悲しみ苦しんだかを追体験させられる人もいる。このように第三者の目で過去の場面を見て、相手の気持ちや自分がやったことの結果などを一通り追跡し、勉強する。これが終わらないと、霊界の行き先が決まらない。

つづく

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posted by ガンちゃん at 01:26 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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