以前は、邪教と唯物論、どっちが最悪かと考えていました。自分の中では邪教だろうなと考えていましたが、今は唯物論の方が人間を間違った考え方に導く思想だなと思っています。
ある程度、理性的な人であれば邪教にだまされることはないと思います。つまり邪教に間違ってはいる人の数はそれほど多くないと思われます。
しかし、唯物論的な考え方は一見すると知的装いをして来るので、多くの人が騙されてしまいます。科学、医学、哲学など根底に物しかないと考える唯物論的思考は、それが誤りであるということが、信仰心、正しい宗教的観点からでないと見破れないという難しさがあるなと思います。
また、考え方の基礎に唯物論があると自分にとって、この世的な損得しか考えていないので責任を取らない、責任を誰かのせいにする、自己責任と言う考え方がまったくできなくなります。
また、自己責任がないということは、善悪の判断をしたがらない。判断をした結果に対して責任が生じるから、曖昧な言葉や、判断に伴う行動が遅い。
もし、こんな無責任で卑怯な人間が国のトップになった時、日本はどうなるのだろうか。アメリカのオバマ大統領も基本的考え方は、左よりだと思いますが、今は、善か悪か、神の正義かどうかと言う考えをもって判断を下しています。
物しかないという考え方から、神の正義とは何かと、正しさとは何かをうちたて、それに基づいて判断し実践するという方向にはいかないであろう。
善悪を判断することは知恵の始まりと教わっています。
日本人は、正しさについて理解し、求めようとしないといわれていましたが、根底には責任を取りたくないという考えがあるのかもしれません。
善悪の判断ができ行動に移すのは勇気がいります。
プラトンは、ラケス(勇気について)の中で勇気とは、「思慮ある忍耐強さ」と述べています。
神の正義がどこにあり、神の視点から善悪の価値判断をして思慮ある行動に出ることが真実の勇気であると思います。
真実、信仰心をもち、神の正義とは何かを常に考えながら価値判断を下し、勇気ある行動にでることが、自分を含めたすべての人に求められる行動原理かなと思います。
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