信仰心を胸を張って言える子供を作っていくことが大事であると言われています。教育の土台に仏や神に対しての畏敬の念、あるいは人間を超えた目に見えない尊い存在がいて、自分自身が生かされているという考え方を持たないと、ちょっと知識をつけたぐらいで人を見下したり、批判したりあるいは、傲慢になってしまうのではないかと思います。
信仰心についてストア派のエピクテトスは、『信仰心がないというのは、神からの恩恵を軽視するからであって、ちょうどそれは人が視力、もしくは聴力、もしくは言語そのものの有用性を無視するようなものだ』と述べられています。
先ほど信仰心に対して神に対する畏敬の念が必要であると述べましたが、シュタイナーも我々の時代にはこの点に特別に注意を払うことが非常に重要である。今の我々の文明生活は尊敬したり、献身的に崇拝したりするよりも、批判したり、裁いたり、酷評したりする方に傾きがちである。しかしどんな批判も、どんな裁きも魂の高次な認識を失わせる。それに反してどんな献身や畏敬もこの力を育てる。と述べている。
人を裁いたり、酷評したりすることがなにか知識人であるかのような錯覚をしているのではないだろか。また、感覚を通して追体験できないことに関しては学問的対象外にあり、あるいは学問の範囲を超えているので、取り扱わないことが現代の知識人であるかのような誤った認識、価値観をもっていると思う。しかしこの辺はカント哲学を現代の教育者関係の人たちの誤った認識であると思うので、幸福の科学的な正しい真理の立場で正していく、伝道していく地道な行動しかないと思う。
あとは公立の先生の評価基準として、一般社会でも通用するかどうかという判断基準があると述べられていたと思います。
しかしこれは、公立の先生以外でも、自分を含めた会員たちに対しても当てはまる基準であると思う。一般の社会の中で真理を勉強した人たちが、どれだけ社会的実績を作れるか、あるいは評価されるか、あまり外の価値判断で自分を判定しすぎるのは問題であるとは思うが、反面ある程度の社会的信頼を作る、そのようなこの世的常識の力も大事であると思う。
いずれにしても、教育関係の人たちに限らす、最終的には人間学を今、その人の立場で学んでいく必要があると思います。
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色々参考になりました、ありがとうございます。
少しずつ読ませて頂きます。
自分も勉強しつつ、経験を踏まえながら
今後も、なにか参考になる記事が書けるように努力していきます。