2023年08月16日

神を抹殺しても平気な時代は現代とアトランティス末期

神が死んだといったニーチェの本が売れている時期がありました
今も読んでいる人がいるのかしら?

神を冒涜しても何も感じない狂った人間が横行している時代は、現代とアトランティス末期以外にないようです。
(ここ一万年の間で神を否定する人たちはいたが、少数派であった)

エドガーケイシーも現代のアメリカはアトランティス人が相当な数、転生輪廻していると述べていたと思います。

生まれ変わってくるのは結構ですが、どうして神を信じることができないのでしょうか。

私自身が考えるに諸悪の根源は二つあります。

一つは唯物論が伝染病のように世界中に広がっています。

神を信じない、悪魔も夢物語、霊界なんか原始人の思い込み等々、現代の自称知識人は神よりも自分の方が上であると考えていると思います。

現代の知識人と一般的に言われている人たちは、悪魔の格好の隠れ蓑にされています。

神を信じることができない人間は、人間としての最低条件を満たしていません。

人間じゃないような人が、自分は神より偉いと思いあがっているのです。

現代の混乱の大きな原因の一つが、天上界の視点から見れば最下層な人達が地上において幅を利かせているということです。




二つ目は、男性と女性に対しての間違った平等感であると思います。

男性であろうと女性であろうと魂の価値は同じであるという意味で男女は平等です。

神の子、仏の子である人間の魂に男女の違いは関係ないと思います。


しかし、女性に男性と同じように競争社会で競わせたり、女性を男性と同じ立ち位置でみる平等感は間違いであると考えます。
また、逆に男性が女性化していく流れも間違いであると思います。

神は男性と女性に分けられたのです。
魂的には平等であっても男性と女性では役割が違うのです。

役割が違うことをもって男女差別と考える人達は、神の摂理を無視していると思います。

魂における人間の尊さに関しては男女平等です。

しかし、役割を無視して同じでなければならないと考える人達は神の摂理を破壊しようとしています。

例えば、紅茶と珈琲がここにあるとします。

珈琲が美味しくて価値があるからと言って、紅茶の値打ちが下がるでしょうか?

紅茶のほうが香りがよく飲みやすいからと言って珈琲自体の価値が下がるでしょうか。

そんなことはないでしょう。

もし、紅茶と珈琲を混ぜたらどうなるでしょうか。

誰も飲みたいとは思わないでしょう。

同じように、女性も男性も同じように教育し、同じように扱わなければならないと考えるところに問題があるのです。

女性の魂は優美さや調和のエネルギーを体現しているのです。

男性は仕事を通しての責任感でしょうか。

この辺の男女関係の乱れが、社会的混乱を招いていると考えられます。

ですから、地上の混乱を無くす方向で努力するとしたら、己自身が神のように偉くならないように謙虚に努力していく姿勢が大事であるということです。

そして、男性として生まれたのであれば男性としての素晴らしい人生を、女性として生まれたのであれば、女性としての素晴らしい人生を歩んでいくことが大切であると考えます。

更に付け加えるとするならば、神を受け入れ、霊界を受け入れてください。

そして、真理を学んで善悪が判断できるようになれば、自分を含めて素晴らしいことになると思えます。

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posted by ガンちゃん at 00:16 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月13日

正しさとは仏教的には中道・哲学的には弁証法  個人編

正しさ、あるいは正義を地上に具現化するためには、個人においてどのような努力が必要とされているのでしょうか。

三次元物質世界は有限性であるため、諸行無常であり誕生した時点ですでに滅びを内包していると言えます。

地上は、善と悪が混在しており不完全な世界であると言えます。

不完全であるがゆえに、自己の中で常に対立矛盾が発生し、対立を克服していく過程で矛盾を整理統合しながら認識力を高度なものにしていかなくてはいけません。

対立矛盾を止揚統合していく中で正しさが見えてくると思えます。

止揚とは、弁証法的発展において低い段階の両極端な見方や考え方を否定し、否定を通して高い段階に進んでいく過程をいいます。

低い段階の認識は一段上の認識に包含されています。

例えば、有と無は対立関係にあり矛盾しています。
両方を否定した生成のなかに有と無を統一していく運動法則があると思えます。


俗に言う『正・反・合』の関係です。

三次元の物質世界は、高次元の視点からみればすべてが不確かな状態にあるといえます。

善と悪、陰と陽、山と海というような二律背反する世界観であり、これを統合する過程に人間の認識力の向上や世界の発展繁栄があり、更にその先には光一元の世界観があると思います。

単純に一元的な考え方で対立矛盾が整理統合されるとは思えません。
正・反・合の繰り返しによって矛盾する関係が整理統合され進化していくのだと思えます。


次に仏教的観点から正しさとは何かを考察していきます。

実践的観点の中道は、苦楽の中道と言われています。

極端に肉体を苦しめる苦行も、刹那的に生きる生き方や自分の肉体を楽しませる快楽中心的な生き方も、どちらも魂の向上にとって正しいあり方ではありません。

適度な集中力や緊張感を持ちながらも、くつろいだ状態を維持できる努力が大切かなと思えます。


中道的観点で物事を観察し判断するということは、自分の見方考え方をいったん脇に置いて白紙の状態で物事を洞察することだと教わっています。(如実知見)
※正しい信仰心が前提条件


自分の見方考え方は、生活環境、両親の考え方や学校教育、仕事などから影響をうけています。

真理の観点からみて自分の価値基準や物の見方が正しいのかどうか定かではありません。
自分の考え方をいったん否定して、白紙の状態で観察、洞察することが大切だと思います。

また、「断常の中道」という考え方もあります。

断とは人間は死んだら何もかもなくなっていくという唯物論的な考え方。

常とは今の自分の存在形態や思考形式などが霊的世界においても、地上の延長線上にあり、そのあり方が永遠に続いていくという考え方。

どちらも両極端であり、その思いや考え方、認識力や他の人に対しての影響力によって、自分自身が帰る霊界や自分自身の存在形式が変わってきます。
人間は変化しながら存在する。
これが正しい認識だと思います。

また、

天台大師智が説かれた三諦円融という教えがあります。

空諦・仮諦という両極端にかたよった見方考え方を否定する過程にあらわれる中諦。
中諦という考え方や世界観が、弁証法的な運動法則、対立矛盾する価値観を一つ上の段階で統合していく中に個人や人類の発展があるとする考え方と共通しています。

空諦とは
縁起によって起こるもの、原因や条件に依存して存在するもの、変転変化するものは実体ではないという考え方。
霊的世界こそ真実の世界であるという見方

仮諦とは
物質世界が存在するということはそこに神や仏の偉大なる叡智が隠されており、単に否定すれば良いというわけではありません。
地上生活の中で魂を磨くことで、より修行が進み神仏に近づくことができるという考え方。

中諦とは
空諦や仮諦どちらかにかたよった時に、極端なものの見方、考え方になってしまいます。
自分の在り方を霊的観点と地上は修業の場であるという観点、両方から自分の在り方を見直すという考え方。

個人においては、正しさの探究は様々にあると思います。

しかし、世界の正義、地球における正しさを説けるのは

地球神エルカンターレ以外にいません。
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posted by ガンちゃん at 05:51 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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