地獄霊の教育です。
地獄霊に対して洗脳していきました。
お前たちは自由なのだ。
個人個人の自由は、神における自由より優れているのだ。
天使を批判しようが神を批判しようが、すべて個人の自由である。
といった教育を開始して、低位領域に存在してた霊人たちを次々と洗脳していきました。
自由に伴う責任の部分は、縁起の理法や蒔いた種は刈り取らなければならない
という法則に根拠を持ちます。
また、考え方の基礎が唯物論であると、自分にとってこの世的な損得しか考えていないので責任を取らない取りたくない、責任を誰かのせいにする等、自己責任と言う考え方がまったくできなくなります。
更に、自己責任がないということは、善悪の判断をしたがらない(善悪がわからない)。判断をした結果に対して責任が生じるから、曖昧な言葉や、判断に伴う行動が遅いという特徴があります。
要するに、無責任な人間になってしまうということでしょうか。
唯物論的に物しかないという考え方から、神の正義とは何か、正しさとは何かをうちたて、それに基づいて判断し実践するという方向に行くことはないでしょう。
善悪を判断することは知恵の始まりと教わっています。
日本人としての特徴は、正しさについて理解し、求めようとしない傾向があるように私は感じます。
この神の正義に対しての考え方が、海外と大きく違うのではないかと思います。
まずは、善と何か悪とは何かを知る必要があります。
そして、善悪を知ったならば善をとり悪を捨てる勇気が必要です。
プラトンは、ラケス(勇気について)の中で勇気とは、「思慮ある忍耐強さ」と述べています。
神の正義がどこにあり、あるいは神の視点から善悪の価値判断をして思慮ある行動に出ることが真実の勇気であると思います。
真実、信仰心をもち、神の正義とは何かを常に考えながら価値判断を下し、勇気ある行動にでることが、自分を含めたすべての人に求められる行動原理なのかもしれません。
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