しかし、感覚的に感じ取るだけですと、主観が混じっていますので、例えば偽霊能者の言葉に騙されることもあるようです。
過去の宗教家や思想家、哲学者が述べているように、人間の本質は思いである、思っている内容こそがその人自身を表現しているということです。
心でいつも思い続けていること考えていることは、その人の雰囲気や顔や目にあらわれますね。
小さい子供、傷ついた子供は、やはり優しい人のそば近くによっていきます。
子供は感受性豊かですから、この世的に見て、善人・悪人をかぎ分ける能力があるのでしょう。
実際、親切な優しいまなざしをもつ人を見かけることがあります。
イエス様も言われていますが、『眼は心の明かりである』と言われています。
マルクス・アウレリウスは次のように述べています。
「見せかけの微笑を見せたり、心に仮面をかぶったりしない、真心のこもった、裸のままの親切には、人は決して抵抗できないものだ。
もしこちらがあくまでも親切を続ければ、たとえ良心の一かけらもない人間でも、必ず受け入れてくれるだろう。」
真心のこもって笑顔は、心が傷ついている人、怒っている人などにやすらぎを与える力があると思えます。
相手の心が癒されているということは、霊的には光が放射されているのでしょう。
いつまでも愛の大河にあがらいつづける地獄霊や悪霊はいない、と言われているように愛ある人の笑顔には周囲を明るくする霊的パワーがあります。
どのような間違った考え方を持った人も、愛の光には最後には勝てません。
デール・カーネギーは以下のように述べています。
「相手は間違っているかもしれないが、彼自身は自分が間違っているとは決して思っていないのである。
だから、相手を非難しても始まらない。
避難はどんな馬鹿ものにでもできる。
理解することに努めなければならない。
賢明な人間は、相手を理解しようと努める。」
愛とは相手を理解することであるとも言われています。
相手を理解できれば、怒りや不信感はなくなっていくのでしょう。
その時、人間は真心のこもった笑顔を自然に作れるのかもしれません。


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