2023年07月05日

天上界よりインスピレーションを受け取るために

『創造の法』には以下のように書かれていたと思います。
まずは、「勤勉な努力家」であることを条件にあげています。
インスピレーションを受ける前提条件の一つとして、自助努力が大切です。
常識的に考えても、怠け者にインスピレーションが降りるわけがなく、地上に降りた人間側の努力が最低限求められます。


努力しないで降りてくるインスピレーションは、地獄界の霊的影響であることがほとんどです。
霊界には、その人を破滅させようと考えている悪霊がいます。
まずは常識人として、仕事や勉強を誠実にすることが大切です。

日常生活や仕事の中で、心が乱れることが多々あると思いますが、そのことに関して怒ったり、怒らなかったりすることが、自分以外の何かに依存しているとするならば、私は自分自身の主人であるとはいえません。(厳しい)
自己が確立できていないので、心が揺れている間は、天上界のインスピレーションも降りてこないでしょう。

慎重な態度がどんな場合でも必要です。
性急に進歩を求めて(会員)としての自覚を忘れ、高貴、善良、もしくは物質的な現象感覚の一片でも神秘修行の過程で失うようなことがあってはなりません。
反対に自分の道徳的な力、内的誠実さ、観察能力が修行を通して高まっていかなければなりません。

また修行の過程で、隣人や動物に対しての同情心、自然美に対する感受性をたえず高かめていくように努力しなければなりません。
この意識的な努力を怠ると、同情心も感受性も、修行の過程で失われてしまう可能性があります。
同情心や感受性が鈍くなってくると、心情はかたくなになり、現実感覚が鈍くなっていくようです。


次に、「専門外の分野にも踏み込むこと」とあります。
本当の意味においてインスピレーションを受ける人は、人知れず努力しているものです。
そして、その努力の方向性として自分の専門領域以外にも踏み込んでいることが大事であると言われています。

一つの領域しか知らないと、下からの惑わしをチェックできない可能性があるからだと思えます。
例えば、仏教の教えの中の法華経は知っているが、あとは知らないとなると、仏教の教えの他の領域から攻められると惑わされることになります。

つぎは、「情報遮断」・「情報収集」この両方の重要性が説かれています。
情報を取らなければ、新しいものを生み出せないので情報は必要ですが、情報の洪水の中でどう生きるかが大事であり、現代では情報収集と情報遮断の両方を使い分けた人が、正しいインスピレーションを受けるための条件を満たしていると考えられます。

インスピレーションを得るためには、沈黙の時間も必要です。

19世紀の思想家、カーライルという人の言葉を引用するならば
「ハチは暗闇の中で蜜をつくる。脳は沈黙の中で思想をつくりだす」

沈黙の大切さを説いています。一定の間、誰にも邪魔をされない「孤独な時間」を取ることで考えを煮詰め“蜜”をつくるということです。


次にインスピレーションを受け取るため修行態度について考えてみます。

シュタイナーの「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」という書物には、
第一に
『真剣に超感覚的認識を求める人なら、自分に対し高次の秘密に導いてくれる導師を見出すまで、どんな努力も、どんな障害も恐れてはいけないということ。』
努力の大切さを書かれています。

第二は
『認識への正しいまじめな努力が存在するとき、どんな状況の下にあっても伝授する側がその人を必ず見つけ出してくれるということである。』
仏の眼は、努力精進している人を見逃すことはありません。

どんな人間の中にも、感覚器官をこえたより高次な認識、高次な世界にまで認識を拡げることのできる能力(可能性)が潜在化しています。
過去の歴史でも、神秘家やグノーシス派、ギリシャの哲学者などは、古来より手で触ったりできる物質世界の事物と同程度に、霊的世界、魂の世界も現実に存在すると語っています。



現在の我々の時代は、目に見えない尊い存在を信じること崇拝することに、最も注意を払う必要があります。

現時点での文明生活は、目に見えない尊い存在に対して、尊敬したり、献身的にする、崇拝したりする姿勢がありません。
逆に、酷評したり、裁いたり嘲笑したりします。
どんな裁きの気持ちや、批判も魂の中の高次な認識力を失わせてしまうようです。

魂の栄養源として、尊敬、畏敬の思い、敬意などの感情を健全で力強いものにしていくこが、認識活動に活力を提供していくことになります。
逆に、認める価値のあるものを過小評価したり、軽薄したり、反感を感じたりすることは、正しい認識活動を麻痺させ、不活発にしていきます。

「孤独の時間」をとり、沈黙や静寂の時間の中で本質的なもと過ぎ去るものを区別していく努力が大切です。


ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 19:07 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月04日

中世ヨーロッパ偉人に学ぶ信仰心

やはり、中世ヨーロッパで信仰心といえば、100年戦争の終わりに生誕された聖ジャンヌダルクではないかと思いますね。

ジャンヌダルクの処刑裁判(白水社)や復権裁判(白水社)を読むと、彼女が命をかけて信仰を守ってきた様子がよくわかります。

真実の信仰とは、命をかけて守るべきものだということを学べたと思います。
信仰のロープを手放さないということは、命がけです。

信仰という言葉には、その人が生きてきた人生観が彩られます。

何年、何十年と神を信じ真理を探究してきた人の言葉には重みがあります。

ジャンヌダルクには神の威厳を感じさせます。

司教がジャンヌに語る『声』に関して意地悪な質問をしてきます。

ジャンヌは司教に対して、
『あなたは、私を裁くものだとおっしゃいますがあなたのなさっていることに用心しなさい。本当に私は神から遣わされているのですから。あなたは、非常な危険を冒しています』
とはっきりと述べています。

神を冒涜し、聖霊を汚すことが人間として最大の罪なのです。

そして、神の言葉を伝える預言者に対しても同様です。

また、司教がその「声」とは、天使なのか、直接神から来たものなのか、あるいは聖者や聖女の声なのかと問うと、ジャンヌは
『この声は神から来たものです。だから私の知っていることを充分にはお話しできません。あなたに答えないことより、この声の意に沿わぬことをしゃべってしまって声を裏切る方を私は恐れます』
ときっぱり司教の質問を退けています。

地上的権威より、神のお言葉のほうが重大なのです。
私の個人的意見として、このような司教は現代では宗教家になるのではなく、マスコミとして生きている気がします

確かに中性の時代は暗黒時代と一般的には言われていると思いますが、闇だけを見るのではなく、光を見ることが大切です。

中世といっても立派な人は多く存在しました。


スコラ哲学者のトマス・アクィナスもその一人だと思います。

トマス・アクィナスの著書には、
『理性は信仰を完全に説明し尽くすことはできないが、信仰によって得られた認識内容を人々の前にいっそう「明瞭にする」ために役立つ』と書かれています。

目に見えない尊い存在を信じるという信仰心と理性は相反するものではないといえます。


グレゴリウスは『人間理性によって検証されうることならば、わざわざ信仰するに値しない』と言われています。

信仰が地上的なものによって確認できるのであれば、信仰は地上的なものに依存しているといえます。

これは人間理性が劣っているという意味ではありません。

神や仏に対して、肉体に宿った人間理性ではすべてを図ること、あるいは認識することなどできません。

確認することができないからこそ信じる行為が大切なのです。

また、今も昔も神を信じない人たちはこのように言います。

もしも神様がいるならばこの世に悪はないはずだ。しかし、この世に悪は存在する。ゆえに神は存在しない。このような論法で神を否定する人たちがいつの時代でもいるものです。

トマス・アクィナスは、
『このような悪を許容し、悪からさえも善を引き出すことは、神の無限の善性に属している』
と述べて神の存在証明をしています。

更に、ヨーロッパ中世末期から近世初頭にかけて、腐敗したローマ教皇側にたいして、マルチン・ルターによる宗教改革がおきます。

ローマ教皇庁の贖宥状の販売による資金集めに抗議しています。

間違った信仰に基づく堕落した宗教に対しては、具体的に宗教改革という形で展開してきました。

そして、英国経験論哲学のジョン・ロック、フランスのモンテスキュー、ジャン・ジャック・ルソーなどが近代政治思想を説いていきます。

ジョン・ロックは「教育に関する考察」等も書いて、ルソーの「エミール」に影響を与えています。

モンテスキューは、「法の精神」が有名です。

三権分立や両院制という考え方をうちだしました。

ルソーは、先ほどのエミール以外に、「人間不平等起源論」「社会契約論」「孤独な散歩者の夢想」などを 書かれています。


現代のヨーロッパには、キリスト教的信仰心に裏付けられた宗教感が国民に根付いています。
(と信じています)

ヨーロッパの歴史は、ヘーゲルの「歴史哲学講義」に書かれているように神の世界計画によってつくられた歴史であったと言えるのではないでしょうか。





ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 04:24 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。