『一切衆生悉有仏性』
全ての人に、仏と同じ性質、如来と同じ素質があるということは理論的には正しいでしょう。
しかし、
『一切衆生悉皆成仏』
だからすべての人が仏になれる
までいったら完全に間違えだと思います。
自分に甘い人は、すぐに自分を偉いと思いたがる傾向があるように見受けられます。
どう考えたら自分が仏になれると思えるのか、私には理解不能です。
十字架の女3では、主人公が様々な修行方法を学んでいく過程が描かれていますが、
ある星を題材にした修行論が描かれています。
それは、
ほどほどの豊かな生活の中で、真理を学習し、言葉の力で人々を立ち直らせることが主たる修行というものです。
地球での修行のような気がしますが、言葉にて相手を説得するという修行は、実はかなり難しいのではないかと思います。
以前私は、法華経教団であるところの「創価学会」と「顕正会」と議論したことがあります。
ちょうどそのころは仏教理論もそこそこ学んでいましたので、お互いに議論が始まったのです。
※仕掛けてきたのは、創価学会とか顕正会の人たちですが・・・。
仏の教えは多種多様であり、いろんな角度からお話したのですが、あちら側は、仏陀より日蓮大聖人の方が偉いと考えているので
話がかみ合わず、むなしい議論になった記憶があります。
根本的な価値観の違いがある場合、言葉にて相手を立ち直られるということは、容易ではありません。
こちら側は、相手を正しい仏法真理に導いていかなればと考えながら話していますが、相手もそのように考えてお話しされているので、なかなかかみ合いません。
言葉にて相手を悟らしめることは、難しい修行だと思います。
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