美という漢字の前に優しいと書きますね。
つまり、美しさの前に優しさが大切という意味でしょうか。
美しさは大切ですが、それ以上に優しさが大切であるということだと思えます。
しかし、美しさも優しさも『愛』の側面といいますか、一部分だと思うのですよね。
愛は本来、全てを内包しているものなのでしょう。
勇気も自分のためだけと思うとわいてきませんが、誰かのためにと思うとき勇気が湧いてくることがあります。
優しさだけではなく、厳しさも相手をよくしていこうという意思があるとき、それは愛となるでしょう。
全ての良きものの根源には愛が存在するといえます。
ところで、主は子供のころキリスト教の神父さんにこんな質問を投げかけたそうです。
「キリスト教の教えはいいと思いますけど、どうして教会には
ステンドグラスが貼ってあったり、パイプオルガンがあったり、金色の十字架を下げたり
いろんな服を着たりするのですか」
と質問したそうです。
私のコメント
子供の頃からキリスト教の教えの素晴らしさが分かったことがすごい・・・
神父さんはこのように答えたそうです。
「真・善・美という言葉があるでしょう。
真のところは真理知識を得て悟ることもあるでしょうし、
善、善きことを知って神様に近づいていく人もいるでしょう。
教会に来る人は、勉強ができて頭がいい人ばかりが来るわけではありません。
音楽の美しさ、教会音楽に惹かれて来る人もいるし、教会のステンドグラスの美しさに惹かれて来る人もいるし、
着ている服に惹かれて来る人もいるし、十字架に惹かれて来る人もいる。
真理の入り口はいろいろあるし、美も一つの入り口でしょう。」
神父さんのお話を聞いて、愛をもって多くの人を導くのはいいな、と思ったそうです。
上記で書きましたように、愛は多くの良き側面を持っていて、そのどれもが多くの人を導いていけるきっかけになるのでしょう。
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学