戦後の教育で、宗教教育を排斥してきたことにより、信じようとしない人が増えてはいますが、潜在的に何か目に見えない存在や世界があるのではないかと思う人も多いのではないかというのが、私の実感としてあります。
死後の世界を信じない多数派や、それを扇動する人たちから見れば、宗教とは、『日本霊異紀』や平安時代の怨霊の世界の話であり、信じるに値しないと思っているのでしょう。(それが命取り)
どうして神仏は、死後の世界を知ることができないようにしたのでしょうか?
死後の世界がわからないようになっている理由は、この地上そのものが一種の試験会場になっているからなのでしょう。
この地上に生きていながら、ほとんど霊的には盲目の状態で、どれだけ霊的人生観を持つことができるか、
神や仏の教えをどれだけ実践できるのかを試されているのでしょう。
ただ、参考書は随所にありますね
幸福の科学の書籍はもちろんのこと、宗教書やギリシャ時代の哲学、仏典や聖書、関心を持てばヒントは随所にあります。
そして、人生が一種の試験であるということは、合格が不合格か答えが出るということであります。
死んでから・・・・・・
更に、試験の結果に対しては厳しい反作用がまっているということでしょうか。怖い・・・
霊界側の人たちも、霊的世界に不信感を持ったり、宗教を迫害する人がいたとしても、泰然自若としているのは、死んだらすべてが明らかになるから、それまではほっとけと考えているのでしょうか。
あの世を知ることは一つの力でありますが、さらに信じることができれば、もっと大きな力になってきます。
この地上に盲目同然として生まれて来るにはリスクはあると思いますが、信じるという行為によって、新しい世界観を獲得し、未知なる世界に旅することができるのでしょう。
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