2023年06月30日

信仰とは自分自身の弱さとの戦いで得られるもの

信仰心を一生貫いて手放さないということは、自分自身の弱さと不信感との闘いであると思います。

トルストイは信仰に関して次のように述べられています。

「信仰のない人間の生活は・・・動物の生活である」。

主は言われました。

「目に見えない尊い存在を信じ、理解し、それに基づいて行動することができるということは、人間として尊いことです。」
繁栄の法より

目に見えない尊い存在を信じることができるというのが、人間としての条件なのでしょう。

感覚的な物はすべて、過ぎ去っていく河の流れのようなものかもしれません。
しかし人間は、その感覚的な物を実感として認識し、それをこえたるものをなかなか信じることができません。
なぜか、それは感覚をこえたものは経験できないから、確証が持てないからでしょう。

トルストイは人間を河に例えています。
「人間は河のように流れ動くものです。人間は同じ人間であっても毎日、同じ人間とは限らず、ばかであった人が利口になったり、意地の悪かった人が、親切になったりする。そしてその逆も真である。人間を裁いてはならない。こちらがある判断をくだしたとき、相手はすでに別人になっているのである。」
と言われています。

感覚的なものは、常に変転変化していきますが、人間も時間の中で変化していきます。
人間を裁いてはいけないというのは、罪を憎んで人を憎まずということでしょう。

信仰とは、神を信じるのと同時に、神の子である人間の神性を信じることでもあると思います。

イエス様も言われています。
「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる」
「人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることはないであろう。許してあげなさい、そうすれば許されるであろう」

全ての人間に神性、仏性が宿っているからこそ、上記の言葉が意味を成すのです。


心理学的に見ても人を憎むという行為は、自分を憎んでいるのと同じなのです。
潜在意識において、相手を憎むという行為は、相手という主語が取れて憎しみだけが潜在意識に残るのです。
ですから、他人を憎むという行為は、自分に対して憎んでいることになるのです。


人を憎まないというのも、弱い自分の心との戦いです。
人を裁かないというのも、弱い自分の心との戦いです。

信仰心を持ち続けるということは、疑い、不信感、との戦いで勝ち取っていくものなのでしょう。

ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 19:44 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月29日

死後の世界 天上界は宗教が主流

生きているときに、どこかの宗教に属しているということは大切なことです。
「神仏から見て正しい宗教」であるのは言うまでもありませんが。

キリスト教の信者だったら、天使系の人が来て導いていかれます。教会でみんなを集めて、説明をしたり、生前のことを振り返るように教えたりするようです。

お寺や神社もあり、そこではあの世のガイダンスを受けることもあるようです。

建物はこの世のものよりは大変美しく、キリスト教では水晶の聖堂、仏教系では金でできたお寺、などがあるとのこと。


キリスト教系の臨死体験者の話には、キリストがよく出てくるようですが、普通は弟子筋の天使や、天使の予備軍たちが、法衣をまとって行っています。

過去世のクリスチャンで名のある人は、何百人といると思いますが、「私は何々だった」と名乗っても相手には分からない場合があるので、「キリストだと思ってくれたらいい」ということで、弟子たちがそれらしく見せていることが多いようです。

「知らない」と言われると、救いが困難になるからです。
だから、大川隆法、幸福の科学の名前を知ってもらうことも大事なことです。
名前を知ってもらい、さらに信じてもらえれば、救済が非常にスムーズになると思います。

光の世界に入るには導きが必要です。
誰が死んでも、すぐ霊界には伝わり、関係者が来てくれます。その実態を見れば見るほど、人間というのは、非常に大事にされていることが分かります。

そして、人生の回顧

人は死んだ時に、フラッシュバックといって人生の回顧が始まります。
これは、照魔の鏡やビデオスクリーンのように見える場合もあれば、思い出の様な感じで見ることもあります。
数十年の人生を、一瞬で全部思いだすことになります。
そのとき、自分の視点だけでなく、第三者の立場で見た景色もよく見えてきます。

人生のビデオテープの中には、自分の目で記憶されているものもあれば、守護霊の目でとったものも入っているといわれています。

例えば、子供時代に自分が友達をいじめているシーンでは、いじめられた方の気持ちも入ってきます。
また、
「仕事で自分が勝利した」という場面では、敗れた方の相手のその後も見えてきます。

武器商人などは、自分が売った武器がどのように使われて人が死に、被害者の家族がどう悲しみ苦しんだかを追体験させられる人もいます。
このように第三者の目で過去の場面を見て、相手の気持ちや自分がやったことの結果などを一通り追跡し、勉強します。
これが終わって初めて、霊界での自分の行き先が決まってくることになります。


現代には地獄体験も多いとのことです。


現代では、臨死体験で地獄に行っている人も多いようです。

ひどい人は、死んですぐ真っ逆様に落ちていくとか。
どこかで止まりますが、そこは暗い世界の場合もあれば、近くで溶岩が噴火するような場所の場合もあり様々です。

「人から害される」と思って生きていた人は地獄に落ちるやいなや、襲われる体験をすることも多いとのこと。
この世界は広大無辺で、色々な話が無限に出てきます。

たいていの人はトンネルを抜けてあの世に来て、反省の後に行き先を決めます。
精霊界で修行する人もいれば、守護霊たちと話し合って、自主的に地獄への坂をとぼとぼと降りて行く人もいます。


自分で自覚して地獄に行く人は、落ちていく人ほど罪は重くないようです。
ストンと落ちたり、死ぬときに拉致されるように連れて行かれる人は、生きていたときに凶悪犯罪などで悪魔の手先のようになっていた人達です。

そういう人は、仲間が来てスッと連れていくので、天使も手が出せない状態です。
冷暖自知の言葉通り、地獄が嫌になるまで経験してもらうことになるようです。

ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 19:55 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。