地球上にある思想あるいは宗教問題を大きくわけると2つに分けることが可能です。
1つは、神や仏を信じる国と、神や仏という尊い存在を認めようとしない唯物的国家です。
2つ目は、神を信じてはいますが、その名前の違いや、教えの違いによっておきる対立です。
これに関しては、何千年にもわたっている思想的対立ですので、根深いものがあると思います。
一党独裁軍事政権の中国は、世界の人口の1/5を占めています。
この大国が唯物論的価値観に支配されていることを、神様は許さないでしょう。
それは、中国の国民が悪いという意味ではありません。
むしろ、複数の政党を持つ自由、言論の自由、出版の自由を束縛されている点で、中国人は人間としての尊厳を軽視されているように感じます。
人間としてどのように考えることが大事であるのかを深く考えた時に結論ははっきりしています。
無神論・唯物論を基礎に置く軍事独裁政治は完全に間違った政治体制です。
一人の独裁者の考えによって国民を束縛し苦しめる政治体制を神は赦しません。
霊的世界はあります。三次元的な材料をもってきて四次元以降、高次元の存在証明をしようとしても、誰もが納得する形で証明することは不可能です。
ソクラテス、プラトン、スウェデンボルグ、ルドルフ・シュタイナー、宗教的には、イエス・キリスト、仏陀、源信、空海、など多くの偉人達が霊的世界に裏付けられた教えを説いてきましたが、その一方で、神を否定する唯物論的な思想もあり、この地上に関しては真実が目隠しされた状態になっています。
客観的証明ができないものは「ない」とされてしまうのが今の科学であり哲学です。
証明が困難な霊的世界を実証しようと挑戦しているのが幸福の科学です。
あえて証明不可能な領域とされている霊的世界にメスを入れているのが総裁先生であるのです。
霊的世界を証明できないという通説に対して、霊言集というかたちで、霊的世界の証明をされようとしています。
過去の歴史を調べてみても、これほど古今東西の偉人や宗教家、思想家の考えや思想を霊言集という形式で世に問うている宗教家はいません。
ノストラダムスは、古今東西の歴史的人物の霊言が降ろされることを暗示していると思われる予言をのこしています。
諸世紀 第10章 74番
大いなる数の七がすぎて
そのとき大殺戮があらわれる
それは千年期から それほど離れていない時に
埋葬された人が墓から出てくるだろう
(大乗和子 訳)
重要な第七の数字の年が完結し
それは虐殺の試合の時に現われるだろう
大いなる至福千年の時代から遠からず
死者はみずからの墓から蘇るだろう
(山根和郎 訳)
死者が蘇る、あるいは埋葬された人が墓から出てくるだろうという意味は、もちろん肉体が蘇るゾンビという意味ではなく、魂が復活するという意味であると思います。
世界中のあらゆる時代に偉業を成した、多くの偉人達がまさしく総裁先生の霊的能力によって現代進行形で自分の考えを述べています。
これがノストラダムスの予言した死者の復活ではないかと思います。
これは、霊言集による精神革命であり、無神論国家にたいしての戦いでもあるのです。
実存主義が主張するように、人間は世界に投げ出された存在で盲目的人生を手探りで生きている哀れな生物なのか、それとも人間の本質は霊的存在であり魂の核の部分には神仏と同じ性質を有している仏性を宿している存在で、神仏からわかれた霊的エネルギーであり、転生輪廻の過程で魂を磨き永遠に発展を目指している存在なのか、どちらが真実なのかを霊言集を通して証明しようとする前人未到の戦いが繰り広げられています。
もし、人間が本当に機械のような存在であるのなら、美しいものをみたり聞いたりして感動するでしょうか。
あるいは、自分が苦しんでいる時に優しい言葉をかけられたら、どうして勇気がわいてくるのでしょうか。どうして悲しい時に涙がこみ上げてくるのでしょうか。
神経作用は、外界の情報を提供しますが、その情報に対しての価値判断をするのは魂あるいは心であり、心こそ人間の本質であると言いたいです。
中国は軍事力を背景に、将来的に食料を確保しようと考えているようです。しかし軍事政権では真実、その国が、その国民が幸せをつかむことはできないでしょう。
日本は幸福の科学の思想を全世界に発信するために、経済的に衰退してはいけません。経済的な繁栄・発展をバックボーンに、正義を世界に発信しなければいけないという偉大な使命があるのです。
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