第2次世界大戦以降、日本における教育は神仏を否定した唯物論が主流となりました。
しかし、日本に仏法が説かれて数十年、霊界や神仏の存在を信じる人が確実に増えていると思います。
総裁先生は以前ご法話で、日本人の半数以上の人が霊界の存在、あるいは人間の本質とは霊であることを信じてくれたなら、日本の価値観は逆転するといわれていた記憶があります。
地上と霊界を含めた法則に作用・反作用の法則、バランスの法則があります。
唯物論に大きく傾いた日本人の価値観は、揺り戻し現象が起きてくるでしょう。
価値観が大きく変わろうとする時期がそこまで来ている予感がします。
神は人間に対して試練を与えます。
その理由は、人間に忍耐と智慧を学んでほしいからです。
努力し勉強することで、今の自分に無い考え方を身につけ、弱点を克服していくことができます。
おそらく神様のお考えは、まったく悪を行わない人間よりも、努力して弱点を克服していく成長過程を楽しまれているのではないかと思えるのです。
そして成長する過程で周囲の人たちに愛を与えながら、ともに成長することを期待されているのかもしれません。
幸福の科学では、神の試練を「人生は一冊の問題集である」と説明しています。
仏教では、諸行無常を説きます。
諸行無常とは変転変化を意味し、地上においては常なるもの常住なるもの変化しないものはないという意味です。
固定した世界ではなく、変化する世界だからこそ私たちは様々な問題に遭遇し、それを乗り越えようと努力しながら魂が進歩していくのでしょう。
また、仏教には、十二因縁・十二支縁起という転生輪廻の教えがあります。
無明(智慧の明かりが無い状態)に基づく行(行為)によって、一定の魂の傾向性が形成され、過去世の業として現世に持ち越します。(識)
母親の胎内で肉体の原型が形成(名色)されて、地上に生まれてきます。肉体に基づく感覚器官(六処)眼・耳・鼻・舌・身・意が発達することにより、感覚器官の対象にたいして(触)の感じ方や感受性(受)がはっきりしてきます。その対象に対しての欲望(愛)、この場合は渇愛がでてきはじめ、欲望(取)がでてきます。
それが魂の傾向性として形づくられて、これが『有』の状態になります。
そして来世の生まれ変わり(生)があって(老死)があります。
これが十二支縁起ですが、転生輪廻が思想的に説明されています。
神の与える試練とは、転生輪廻の過程で形成された魂の傾向性をより良き方向に導くために用意された砥石であると考えられます。
ですから現実に自分の前に現れた試練や逆境を運が悪いと嘆くのではなく、乗り越えるために与えられたと考えるほうが正しいのかもしれません。
ここで奇跡について考えてみたいと思います。
奇跡とは現実に起こりそうにないことが、三次元の法則を破って現象化することです。
神を信じることで物質世界と霊界に霊的関係が成立し、異次元パワーを引いてくることが可能な状態と定義できるのかもしれません。
しかし、大切なことは神の試練を乗り越えて魂が成長していくことですから、努力しなければ最終的には幸福になることはできないと思えます。
たとえ金粉が降ったとしても他人依存型で自分の頭で考えないような人、周囲の人たちにはわからないように狡賢く自分の評価だけを求める人は、真理を理解しているとは思えません。
ただし、上記の十二支縁起で述べたように転生輪廻の過程で様々な人生を生きてきたので、能力という点に関しては相当な開きがあると思います。
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