2019年01月13日

仏陀の慈悲がキリスト教の愛の教えとして開花する 信仰心を守る自己犠牲的精神の大切さ

仏陀の慈悲がキリスト教の愛の教えとして開花する 信仰心を守る自己犠牲的精神の大切さ


自己犠牲を言葉で表現することは非常に難しいことです。
自己犠牲とは、自分の肉体生命より他者に対する愛のほうが大きいときにできる行為だと思えます。
あらためて新約聖書・福音書を読み直してみると全体的に愛の教えが基調(愛の思いや行動の基本的な考え)をなしていると思います。

福音書のイエス様の言葉には自己犠牲を思わせる内容があります。
『もし、誰かが、あなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には上着を与えなさい』
『敵を愛し、迫害するもののために祈れ』
霊的視点から見た自己犠牲と思えるお言葉です。
仏教的なる無我(自我を否定した境地)の精神に基づいて慈悲の現れだと思います。

徹底的に自分というものを捨てた愛の行為です。
『あなたは祈る時、自分の部屋に入り、戸を閉じて、隠れた所においでになる、あなたの父に祈りなさい』
やたらと「主よ、主よ」と主の名前を唱える人が神を信じている優れた信者であるわけではありません。
イエス様が言われるように、わたしの天の父(主・エルカンターレ)の御心を行うものが天国に入れる人なのでしょう。

どのような人が主の御心を行っている人なのでしょうか。
福音書には以下のように書かれています。
『目は体の明かりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいであろう』
身体の中で心の状態が反映されるのが目と言うことでしょうから、ある程度、相手を外見で判断するとしたら目を見るのも一つの方法なのでしょう。

仏教の教えはキリスト教に大きく影響しています。
『人を裁くな。自分が裁かれないためである。あなた方の、裁くその裁きで自分も裁かれ、あなた方の量るそのはかりで、自分にもはかり与えられるであろう』
仏教の縁起の理法や、因果律、因果関係をあらわした言葉であり、正しい宗教に共通する黄金律です。

ただし、正義という観点からすると、間違ったことに関しては正当な批判は必要です。
例えば、ブログで主を信じていますと主張しながら、著作権を無視してコピペばかりしてカモフラージュのために短い文を足して、自分が悪いとは思っていないような人は主の御心にかなう人とは私には思えません。

『求めよ、そうすれば与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見出すであろう。』
何を求めるべきなのか、それは真理であると思います。
真剣に真理を学んでいる人であるならば、学んだ内容を自分の言葉で話したいはずです。
仏法を何年も学んでいながら、まったく自分の言葉で書いたり話したりできない人は、真剣に真理を学んでいるとは思えません。
自分で考えていないから自己犠牲の精神と自虐精神を同じと考えているのでしょう。

『人々にしてほしいと望むことは、人々にもそのようにせよ。』
この教えも仏教とキリスト教の教えの共通点といえます。

『狭き門からはいれ、滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこから入って行く者は多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。』

これは修行の厳しさを表した言葉だと思いますが、人生が魂の向上を目指し、周りの人に対して良い影響をあたえ、神の国をつくる目的であるならば、常楽我淨と言われる、四顚倒という四つの間違った考え方、これを否定しなければなりません。
この世での人生が常にずっと続く、この世は楽しい、快楽がある。肉体の自分が真実の我と思う。浄らかである、という考えはすべて間違えであるとおそわっています。
真実は霊主肉従であり、肉体に宿っている霊的存在が真実の自分であり、肉体は仮のものであり霊的存在が地上で修行するための乗り物であるという認識が大事であろうと思います。
だから肉体のみを喜ばす方向は滅びに至る門で、その門を通るものは多いということを、言われているのではないかと思います。

『あなた方は、私の名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる』
信仰心の大切さを教えています。
信仰心を持って一生を生きるとき、この世的な価値観と相当対立します。
また、現代進行形で様々な事件が勃発し、信仰が揺れるときがあると思いますが、最後まで主を信じて教えを守る信念が大切だと思います。



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posted by ガンちゃん at 14:24 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月10日

第4権力をこえて宗教は第5権威を求めるべき

第4権力をこえて宗教は第5権威を求めるべき

日本国憲法においては三権分立という制度が定められています。
三権とは「立法権」「行政権」「司法権」です。
立法権とは、選挙によって選ばれた代議士たちが集まって法律をつくっている立法府としての国会。
行政権とは、内閣総理大臣、および閣僚と各省庁のことです。
司法権とは、最高裁判所をはじめとした裁判所のことです。

『絶対権力は絶対に腐敗する』アクトン卿の言葉通り、権力を一本化すると腐敗が生じるので、権力を三つに分け、相互に牽制しあう関係をつくったのです。

しかし、憲法を制定した当初の予定にはなかった権力が立ち上がってきました。
第4権力としてのマスコミです。
マスコミの権力は本来、日本国憲法が予定していなかったものです。

ですから、第4権力に関しては相互に牽制しあう機能、チェックする機関が明確にはありません。
マスコミ権力の法的根拠は『言論・出版の自由』に基づいています。

本来の言論・出版の自由とは、公権力からの自由のことを言います。
公権力とは国家権力のことです。
国家権力によって情報統制や情報を操作されると国民が真実を知らされないということになります。
その結果、第二次世界大戦の時におきた悲劇が再び起きることになります。

ですから本来の言論・出版の自由とはそのような国家権力による情報操作を防ぐためにあるのです。

しかして現状はといえば、言論・出版の自由がマスコミの営業の自由、悪口や批判の自由にすり替えられています。

本来、言論の自由とは信教の自由(信仰告白の自由)から導かれたものです。
私たちは、特定の宗教を信じる自由があります。
そして宗教を信じる自由とは内心の自由にとどまりません。
「私はこの宗教に属しています、この神様を信じています」という信仰を告白しても迫害を受けないように信仰告白の自由が英米法下で認められています。

そして、信仰を告白する自由から言論の自由が導かれてきたのです。
過去の歴史において神仏を信じることは人間によって、基本的な人権だったのです。


ですから、神を信じていない人間に言論の自由などありはしないのです。
神を信じておらず言論の自由だけを持ってきて、他の悪口や批判、捏造をするなど言語道断であるといえます。

総裁先生は宗教的人格権について説明されています。
内心において仏神を信じる自由です。しかし、内心だけですと権利がないのと同じですから、内心の自由が現実に外に現れた時に認められるか、制度的に保障されなければなりません。

そして信仰告白の権利があります。
「私はこの宗教団体に属しており、このような教えを守っています」、と公に言ってもそれによって不利益を被らない、経済的損失を受けないという権利が保障されなければなりません。

さらに僧団形成の権利です。
宗教団体を形成し、維持することによって社会的迫害を受けないという権利です。

伝道する権利及び、宗教的繁栄権です。
内心で仏神を信じるということが行為として現れたのが伝道であるといえます。
内心で仏神を信じることと、伝道は一体であるといえます。

特定の宗教を信じていながら、経済的にも発展繁栄を保障される権利です。
宗教に属することで経済的な損失を被らないための権利です。

マスコミにおける第4権力をこえて宗教は第5権力になりうるのでしょうか。
現代は、司法、行政、立法も非常に高度な専門知識を有しています。

それだけの専門知識や技能がなければ運用できないようになっていますので、宗教側にそこまでの専門知識や技能を有していなければ、現状のままの法律による支配、法による支配の方がいいといえます。

ですから、第5権力としての宗教は、一般的な意味における強制力を持った権力となるべきではありません。

宗教は実質的強制力を伴うものではなく、多くの人たちの尊敬というものを原動力とする『権威』によって意見を述べなければなりません。

そして宗教は法による感化力によって世の中を啓蒙していかなければなりません。
未来社会における宗教的運動は必然的に啓蒙的色彩を伴うものになるでしょう。

そのために必要な信者としてのあり方とはどのようなものなのでしょうか。
社会の中で真理を実践しながら、努力精進し人格を築いていくことだと思います。
人格を磨くことで周囲の人たちに対しての影響力が増していきます。

信者一人ひとりが影響力を増していくことで社会全体に対しても影響力が増大することでしょう。






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posted by ガンちゃん at 19:59 | Comment(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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