2019年01月20日

原子構造に隠された未知なるエネルギー発生のメカニズム

原子構造に隠された未知なるエネルギー発生のメカニズム


電気が霊的エネルギーと何らかの関係があると推察されています。
原子構造を調べることで何かわかるかもしれません。

エネルギー(電磁波)について考えてみます。
エネルギーの基底状態とは、粒子のエネルギーが勝手な値をとるのではなく、定まったとびとびの値をとることを意味しています。
これらの許される状態のうちエネルギーの最も低い状態(原子核を中心とした半径が最小の円軌道)を基底状態といいます。
それ以外を励起状態といいます。
光量子の放出や吸収は、基底状態の一つから他に偏移する時に行われると考えられます。
偏移の前後の定常状態のエネルギーの固有値をE_n E_mとすると、放出または吸収する光量子のエネルギーは振動数をνとすると

ボーアの振動条件 1.bmp

によって決まります。
光の振動数νを計算し、波長をλ=C/νによって求めると実験で求められているスペクトル線の系列がみごとに得られることが分かりました。
励起状態(エネルギーが高い状態)の電子が基底状態に偏移した時の差額のエネルギーを光として放出します。

原子模型スペクトル.png

次にエネルギーおよび電子の運動半径がそれぞれとびとびになることを示します。
電子は次の条件を満たす円軌道のみをとることができ、この条件を満たす円軌道上では電子は電磁波を放出せず、永続的に円運動を行うことができるといわれています。
mvは運動量、2πrは円周360°、nhはプランク定数の整数倍
これは電子を粒子でなく波(物質波)であると解釈し、整数倍であれば波は干渉せずに残りますが、整数でないと波は干渉(波の山と谷が打ち消し合って0になる)して永続的に円運動ができないと説明されています。

ボーアの振動条件 2.bmp

上記の式を解釈すると以下のようになります。
一つの円周(2πr)を一つの電子(m)が速度(D)で回るとき輻射するエネルギーが右辺のh(一回転あたりのエネルギー)である。

一回転に発生するエネルギー(h)に振動数ν(回転数)をかけることでエネルギー値がわかります

E=hν

ボーアの振動条件 3.bmp

最新量子論 参照

上記の式は、エネルギーおよび電子の運動半径がそれぞれとびとびの値をとることが示されます。

nは半径を表しnを二乗すると軌道数になります。

電子が速度vで運動することによる遠心力と電荷の二乗に比例し距離の二乗に反比例するクーロン力による求心力のつりあった軌道を電子がまわることになります。
電子は遠心力と求心力のつりあった軌道を自転しながら公転します。

しかし、電子は運動すると電磁波(光)を放射するはずです。そして、光(エネルギー)を放射すると電子の運動エネルギーが減少し、電荷の吸引力によって原子核に落ち込んでしまうはずです。
しかし、現実は原子の大きさは原子核の大きさになっていません。


上記で電子を波(物質波)と考えて波数が整数倍であれば干渉(波の山と谷が打ち消しあう)しないでエネルギーがのこるから、電子は軌道を継続的に公転できると説明しました。
しかし現代科学が説明するこの理論は間違いであると私は思います。

電子が電磁波を輻射しても原子核に落ち込まない理由は、電子が電磁波を輻射した分、エネルギーの供給を受けているからです。

パウリの排他律によって一つの電子軌道には、2つの電子が収容されます。電子はマイナスの電荷を帯びていますので反発して、軌道の反対側に位置します。
電子は180°離れた位置から同一方向に回転しますので、発生する電磁波の位相が180°ずれて電磁波の山と谷が相殺されて、電磁波が原子から輻射されないのでしょう。
しかし、エネルギー保存則がありますので、相殺された電磁波が他のエネルギーに変換したのではないでしょうか。それがサイエネルギー≒万有引力(霊的エネルギー)ではないかと仮定します。
波動性科学 参照

原子波.BMP


輻射した分、希薄になった原子空間に流れ込むエネルギーが現在、観測されている万有引力ではないでしょうか。

肉体に魂が宿れるのも、原子で構成されている肉体から発生する原子波(サイエネルギー)と魂が共鳴しあって合体できるからです(色心不二)

上記で書きましたように、このサイエネルギーは、電磁気エネルギーが変性されたものですから、電気エネルギーに還元すれば周波数を合わせて霊波を電気測定器で測定できるはずです。
霊界通信機もサイエネルギーを電気変換すれば可能であると考えます。




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posted by ガンちゃん at 01:07 | Comment(0) | 物理・科学・宇宙論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月14日

意識ある人間が存在するから宇宙も存在する 人間の想念は宇宙に影響を与える

意識ある人間が存在するから宇宙も存在する 人間の想念は宇宙に影響を与える

人間原理宇宙論といわれる考え方があります。

人間の意識と宇宙とはお互いに依存関係にあるというものです。
人間が観測したとき、はじめて宇宙は実在する?といった量子力学の哲学的な側面、純粋思索から生まれた考え方です。
「宇宙は、観測者である我々人間に依存してはじめて存在する」といった、一瞬不可解に思える結論です。
完全なる唯物論者はそのような考え方を受け入れず、宇宙は人間の存在に関係なく、客観的実在であると言うことでしょう。

一般的な科学的世界観によれば、この世界は客観的現実であり、たとえ観測者であるわれわれ人間が存在しなくとも、世界は厳然として存在するという考えです。

古い哲学的命題にこういう話があります。
「森の中で木が倒れましたが、あたりにはそれを聞く人が誰もいませんでした。はたして、木は倒れる音を発するでしょうか?」

この問いに対する科学的な解答は常にこのようなものです。
「森で木が倒れたならば、必ず音を発し、大気中に音波が伝わると・・・」

しかし、量子力学では、観測されないかぎり何事も客観的には実在しないとして、この仮定に疑問を投じてくるのです。

例えは、1個の電子が粒子として、あるいは波として観測されるとします。
どうして電子という一つの実在が粒子であり、あるいは波動として観測されるのでしょうか。

観測目的をあらかじめどちらに設定するかによって、粒子として測定されるのか、波動として測定されるのかが、決まってきます。

しかし、私たちは1個の電子が同時に波であり、粒子ではありえないことも知っています。
波は粒子ではなく、粒子は波ではないからです。

意識ある存在(人間)がどちらの実験方法(粒子として観測するのか、波動として観測するのか)を選択するかによって観測結果が違ってくるのです。
一つの実在が観測方法を変えることで違った結果が生じてくるのです。

観測という行為が可能なのは唯一「意識ある存在のみです」
つまり、宇宙は観測されなければ存在しない。そしてそれを観測できるのは、意識ある生物だけであります。
つまりそこに生物が存在するから宇宙があるといった考え方です。

物質と精神作用の間には、「共生関係」が存在する可能性が指摘できるのではないかとも思えます。

もし、大宇宙神霊意識と人間の意識が相互に影響しあう関係であった場合、どのようなことが生じるでしょうか。

人間の考え方や想いが、大宇宙神霊意識が思われる方向性と違う方を向いていたら、宇宙全体の調和を乱すことにつながりかねません。

地球は地球として独立した星というのではなく、宇宙全体と相互作用しています。
地球に住む人類の考え方が間違ったならば、それは他の星や宇宙にも悪影響を及ぼすということです。

逆に、地球にユートピアを創ることができれば、宇宙全体の進歩と調和に貢献したことになるのだと思います。

全ては宇宙樹のようにつながっていて、相互に影響を与えあっているのだと思います。






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posted by ガンちゃん at 04:35 | Comment(0) | 哲学的認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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