2019年01月29日

過てる日本の歴史認識を覆し未来に希望が持てる国家 勇気ある政治家待望論

過てる日本の歴史認識を覆し未来に希望が持てる国家 勇気ある政治家待望論


日本が未来に向けて発展繁栄するためには、日本の国民すべてが歴史に対しての正しい認識を持つ必要があります。
日本のすべての人たちが日本の歴史の正しい知識を持つことで、未来に対しての自信につながっていくはずです。

日本という小さな島国に、これほどの多くの神々が降臨するとはどういう意味があるのでしょうか。
このような時代は、地球の歴史上それほどないはずです。
私たちには神がついていてくださるのですから、もっと自信をもっていいはずです。

現代の日本人が歴史に対して自信をもって語ることができない理由は、東京裁判史観にあります。

東京裁判史観それは、日本だけが悪い国である、日本の歴史は汚辱の歴史であるとする捏造であります。
事後法による東京裁判を正当化するために「人道の罪」をつくり、捏造されたのが「南京大虐殺」です。

細川内閣以降、日本政府は中国に何かを言われても反論もできないで頭を下げるだけの腰抜けになっていました。
昭和12年、日本軍が南京を占領したときに30万人以上の中国人を大虐殺したといいます。
しかし、今や「南京大虐殺」は東京裁判のために捏造された虚構であることは、いろんな資料によって証明されてきています。
東京裁判とは、戦勝国が敗戦国を裁くという「やってはならないこと」をやったものであり、裁判とは名ばかりの戦勝国たる連合国にとって不利な証拠は一切却下してしまうという、じつにひどい裁判でありました。
南京大虐殺が行われなかった証拠の一つとして、渡部昇一氏が常に引用する証明法を1つ上げておきます。

東京裁判における最重要証人でありますマギー牧師の証言です。
マギー牧師は南京における膨大な殺人、強盗、強姦、暴行、累々たる屍等について見てきた証言をしました。
ブルックス弁護人は、「殺人行為の現行犯をあなた自身はどのくらいご覧になりましたか」と尋問します。答えは、一件。その一件ですら歩哨に誰何されて逃げた人でありました。
実に30万人という数字の根拠など曖昧であったというしかありません。

日本が南京を占領したとき、30万人の中国人を大虐殺したと、東京裁判が始まった時、米占領軍の意をうけてNHKはじめ日本のマスコミは大宣伝しました。
その後、ジャーナリストや学者で南京大虐殺を蒸し返えし、これは本当だと触れまわった輩が続出してしまったのです。
その為、いまでも多くの人が南京大虐殺を行われたと思っています。
小室直樹 著者参照

渡部氏曰く、「南京大虐殺」について、「戦争中に敵の将兵をやっつけることは当然ですから、虐殺というからには、あくまでも市民の殺戮が問題になるべきです。そこで伺いますが、あなたはいったい何人の市民が殺されたと認識しているのですか」この質問にきちんと答えることができる人は一人もいないはずです。なぜなら、そのような事実はほとんどないからです。
それでもなお無理矢理に「何十万人だ」というように答える人がいたならば、「それはどのような資料から調べられますか」と問えばよい。おそらく誰も答えならないでしょうということです。

虐殺事実の存在を否定する最も優れた研究の一つに、田中正明氏の著した「南京事件の総括」があります。田中氏は15の論拠を上げていますが、いくつか紹介します。

当時の南京の人口ですが、犠牲者が30〜40万人といわれていますが、当時の南京にはそれほどの人口がいませんでした。安全区を管理していた国際委員会の公文書では人口20万人、米誌ライフには15万人、日本軍の捕虜になった中国軍将校の記録では、「非戦闘員10万人」「南京市民20万人」とあり、南京防衛軍5万人とあわせても、どんなに多く見積もっても25万人しかいませんでした。

また南京安全区国際委員会の公文書から人口問題の個所を抽出しますと、日本軍の南京入場後に人口が増加していることが分かります。東京裁判の記録によれば、南京占領後、虐殺、暴行、略奪などが6週間において行われたとありますが、そんな治安の状況下で人口が増えるわけがありません。

他にもいろんな資料が明らかになっています。
日本人は劣等感をもつ必要などなく、日本の歴史に誇りと自信を持って生きていくべきでした。

そうしたことを前提に政治家としての資質について考えてみます。

プラトンの考えを参考にしながら、現在の政治家がどのような点で問題があるのかを浮き彫りにしていきたいと思います。

プラトンは政治家として特徴的な資質を以下のように述べています。
1つは「慎重なる性格」
2つめは「勇敢なる性格」の2点です。

「慎重なる性格は、国内において全国民と平和な精神に徹した交友関係を深めていくとともに、諸外国に対してもやはり同様な方針にしたがいながら、万難を排してある意味での平和外交を貫きたいと願っています。
そして、これほどの平和愛好心というものは、必要限度を超えて間の抜けたものになるのが常です。
この種の人々は自分では気づかないけれど、外部からの侵略者によって蹂躙される寸前に立っています。
そして、ひとたび外的によるこの破局が訪れてきたら、この種の人々も子女も、そして当然その国家全体も、もはや自由な姿のものでなくなって、すべてはまったくの奴隷にされてしまうのでありますが、そうなってしまったあとで自分の非を気付いても後の祭りであることが、諸国家の過去を見るとまことに頻繁に起こっているのだ」

「それに対して、勇気のほうを偏愛する傾向にある人々の場合はどうでしょうか。人々は尚武の気概に満ちた生活を必要以上に激烈に求めたがる欲望に駆られて、自分らの所属する国家を、つねになんらかの戦争をおこなうようにと叱咤教導しつづける結果、多数の強国から憎悪を受けるような窮地にたつことになって、自分らの祖国を完全に滅亡させるか、あるいはうまくいったとしても、これらの敵国に奴隷のように屈従する属国な地位に祖国を没落されるか、そのどちらかの道をたどるものだというのが、むかしからの事実ではないのか」ポリティコス(政治)岩波書店参照 と述べています。

ともに政治的資質としては優れた素質だと思いますが、慎重さも勇敢さも、その両極端に揺れますと、国を滅ぼすことになり、国民を不幸にします。

理想的な指導者とは、慎重さと勇敢さを兼ね備えた人であるとプラトンは考えました。
なぜ勇敢さが必要なのでしょうか。
いざという時に国民を守ることができない弱腰の指導者では、他国の言いなりになり、一国自体が滅ぼされてしまうでしょう。理想国家日本の条件より

プラトンは、慎重な性格や勇敢な性格は大事な素質ではありますが、知識として真理を知っていることが大事であると述べています。

なにが美であり、なにが正であり、なにが善であるのか、さらに、なにがこれらのそれぞれの反対であるかについて、深いところで認識していることが大事であると考えます。

勇気ある魂が、深いところまで真理を理解しているならば、なにをさしおいても国家における正義の顕現活動に参与したいと、さいわいにも願うようになります。
ところが、真理の恩恵に浴さない場合は、正道を逸脱して、野獣同然のすさまじい凶暴性を目指すような邪道への堕落をますます深めていきます。

また、慎重なる魂も、考えの基本に真理をしらなければ、「単純愚直なお人よしだ」という非難されるべき呼び名をつけられることによって、ひろく世間から悪評をうけることになるでしょう。
ポリティコス(政治)岩波書店参照

プラトンの考えの中には「絶対平和主義」という幻想的な考えはありません。どんな時でも戦争が悪であり、武器を持って戦うことを否定するような、愚かな考えなどありません。

プラトンは慎重な性格と勇敢な性格は、ベクトル方向が異なるので、一人で両方の性格を兼ね備えた人物がいない時は、縦糸と横糸が交わるがごとき、慎重タイプと勇敢タイプ両方をバランスよく入れて、彼らが協議して国の方向性を決めていくべきであると述べていたと思います。


現代の日本には、慎重な人もいることでしょう。また、勇敢な人もいると思います。

しかし、仏法真理を知っていなければ判断を間違えて国を没落させることにつながります。

現代の政治家に必要なものは、正しい歴史認識、また、高度な専門知識を有していながらも仏法真理の価値観によって正しい判断ができる人です。
これが私の政治家待望論です。



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posted by ガンちゃん at 19:31 | Comment(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月23日

幸福の科学の後継者像について 感想 私の宗教経歴

幸福の科学の後継者像について 感想 私の宗教経歴

同じ家庭で育っても地獄的な人、天国的な人がいるように、幸福の科学内部においても努力精進する人、すべてが他人任せで他者からの評価や偽りの人気だけを求める人、いろんな人がいます。

宗教における修業は、自己の精神と霊的に関係してくるので、己に厳しい姿勢と他者に対しての優しさを持つように心掛けなければ、悪霊の侵入を許してしまう結果になることでしょう。

人格を磨き見識を高めるのは宗教の教祖だけにいえることでなく、信者にも言えることであると思えます。その厳しさが宗教の社会的信用を確立していくことにつながると考えます。

インドの仏陀は、「合理的であり理性的」なもの「霊的であり神秘的」なもの、このベクトルの違う二つの方向性を見事に融合させたといわれています。

宗教には神秘性や霊的現象がともないます。
しかし、霊的現象だけでは社会的信用を確立していくことは難しいでしょう。
理性や知性がなければ、霊的現象にふりまわされ社会的に不適合を起こすことになると思います。

それでは大組織である幸福の科学の後継者のあるべき姿とはどのような人を指すのでしょうか
総裁先生は以下のように述べています。
「基本的に人格が曲がっていないこと大事です。まっすぐで、真面目で、そして、コツコツと教学を学んでいくタイプの人で、全体像が分かっていることが大事でしょう。」

これは、後継者だけではなく一般の信者にも言えることだと思います。
やはり法を真剣に学ばなければだめです。
今までいろんな人を見てきましたが、教学を軽視する人の言動は、どこか曲がっています。
法の一部を引用して勝手な解釈をする人が多いことを経験から学びました。

また、自分で考えないタイプの人も法を学んでいるとは思えません。
そのような人はすべて他人任せですから、質問され批判されても答えることすらできません。

後継者としてふさわしい人物像として
「真面目で勤勉で教学に精進する姿勢を持っていることが基本中の基本である」と述べています。

信者として最終的に残れる人とはどのような人なのでしょうか
長くやっているうちに知識と経験が増えていき、いろんなことに精通していく人、目立たないが努力を積み重ねる人が、崩れないで長く残る人であるといえます。

要するに努力の蓄積によって実力を蓄えた人が最後まで残る人なのでしょう
総裁先生は宗教に関しては独学で勉強されたようです。
私自身も宗教に関しては学校教育に関係なく独学で勉強してきたように思います。
魂の傾向性としてキリスト教に深くひかれていたと思います。

スウェーデンボルグをどのように知ったのか忘れましたが、「天国と地獄」や「主・イエスキリスト」など10代20代で読んでいました。
聖書やヘレンケラーの著書、ミルトンの失楽園、ダンテの神曲、シュタイナーのアカシャ年代記 世界幻想文学大系出版、などキリスト教に関係する著書を読む傾向があったと思います。

高橋圭子著者の「真創世期 地獄編」を読んだのはそんなときでした。
その当時はいい内容だなと思い(笑)それがきっかけで高橋信二氏を知ることになります。
仏教思想?が中心の教えで転生輪廻や中道の話など当時の私には新鮮さがありました。
しかし、振り返って冷静に考えてみれば、仏教理論について深く掘り下げているわけでもなく、人間・釈迦(確か全4巻だと思いますが)背景描写が多く仏教の思想にまで踏み込んでいなかったのではないかと思います。
(高橋信二氏は現在、霊界の裏側といわれる仙人界にいるようです)

私が仏教を本格的に学びだしたのが「悟りの挑戦 上・下」からです。
当時は宗教がこのように難しくて人を救済できるのかと思いましたが、悟りの挑戦をきっかけとして、他の仏教書を買いあさって独学で勉強しているうちに面白くなってきたのを覚えています。

当時の私の認識ですが、キリスト教に似ていると思えるところが何か所かあり、悪魔の存在と悪魔との対決を読んで、洋の東西を問わず悪魔といわれる存在が救世主を惑わすために邪魔しに来るのだなと思ったものです。

それ以後、頭の切れる法友と出会い刺激されて、哲学や神智学・人智学に関心を持ち独学で勉強をします。特に観念論哲学と仏教の認識論が似ていると思いましたが、観念論哲学を霊天上界で指導していたのが仏陀であるということで、なるほどと思ったこともあります。
それによって黄金の法に書かれている光の天使といわれる人たちの著書を全部読まなければいけないと思い自分のできる範囲で著書を買いあさって読みふけっていました。

知識として仏教理論を学んだことは自分にとって大きな強みとなりました。
なぜなら、日本には仏教に関係する宗教に所属している人が多く、その人たちと対等以上に議論ができたからです。
ただし、議論で勝っても相手が納得するとは限りません。

いずれにしても、幸福の科学の後継者及び信者としての基本的な在り方とは、人格が曲がっておらず、努力精進を積み重ねる忍耐力と教学を学び続ける姿勢が大切であると思います。




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posted by ガンちゃん at 20:03 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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