読書の意義について考えていた。
もちろん、多様な価値観をしり高度な判断ができる為
善と悪をしり善における正しさを知るため。また、正しさを実現するため。
そして、すべては真理にたどり着くため。
しかし、それで終わっていいのだろうか?
レオ
どゆこと?
ガンちゃん
読書を通して真理にたどり着くと言うことは、自分自身の霊性と結びつかなくてはならない。
レオ
ふむふむ
レオ
理性的な理解にとどまらず、霊性の悟りを目指すべし、ってこと?
ガンちゃん
霊性が進化しているかどうかは、愛の発展段階と関係があると思う。
レオ
ガンちゃんは、どの段階?
ガンちゃん
愛を知らぬものは、神を知らないと言う。
と言うことは、愛の思いが弱まった時、神への信仰も弱まったと言えないだろうか?
レオ
そうだよ
ガンちゃん
唯物論がなぜ完全なる間違いであるといえるのか?
それは、人間の本質に関する洞察がゼロだからであると考える。
唯物論から、人間の本質が霊的存在だと言う結論には、決してならない。
レオ
ブログで書いたら?
ガンちゃん
宗教には、自力と他力がある。
霊性が進化するには、自力と他力のどちらが必要なのだろうか?
両方必要なのであると思う。
他力による祈りや反省によって、天上界から救いのロープが降りてくる。
しかし、ロープを登って天上界に上がっていくためには、自力が必要である。
ガンちゃん
自力だけ、あるいは他力だけと言うのは、修行における苦楽中道とおなじで、両極端を否定した中道こそ、高度な宗教における修行論か?
ガンちゃん
という事を考えていました。
まだ、考えがまとまっていないし、実践できているかどうか定かで無い
レオ
キリスト教も、ほんとうは厳しい自己変革を要求してるから、自力あっての救済だよね
レオ
安易な他力信仰とは違うと思うんだが、山上の垂訓で要求されてる自己変革の教え、相当ハイレベルで厳しいよ
ガンちゃん
以前に、内村鑑三氏の言葉を引用したが、キリスト教の教えには、プロとしてのレベルが、要求されている箇所がある。
自己保存による祈りなど、真実の祈りではなく、努力による精進が不可欠であると考える。
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