2018年12月14日

不信仰の家族にはどう対処すべきか 感想2 私達はこの事件から何を学ぶべきなのか 真実の信仰心

不信仰の家族にはどう対処すべきか 感想2 私達はこの事件から何を学ぶべきなのか 真実の信仰心

今回の事件を反面教師として考えてみた場合、私達は改めて信仰心とは何かを考える機会を与えていただいたと考えることが可能ではないかと思います。

結局、大川総裁先生を地球神として認めるかどうか、この一点にすべてかかっています。
心から主を信じていなければ、すぐに不信感に襲われ疑いの心が生じてくるでしょう。

信仰は、信じる心は100%を要求します。
50%の半分までは信じられるとか、99%は信じられるが残り1%がちょっと信じられないという信仰はありません
すべてを受け入れるのか受け入れないのか、これ以外にありません。

魂が肉体に宿ると、本来の魂のもつ自由性や創造性が制約されてしまい精神の持つ本来の力が制限されてしまいます。どうしても霊的な見方ができずに、肉体に規定された見方以外にできません。

だからこそ目に見ることにできない神や仏を信じることに意味があるのです。
この物質世界だからこそ信じるという行為が生じてくるのです。


地上に生まれた盲目である人間であっても、信仰の本能は備わっていると教わっています。
信仰の本能とは、「目に見えないものを信じ、理解し、それに基づいて行動することができる」
「感覚器官で感知できるもの以上の尊いものを理解し、信じることができる」という性質のものです。
人間の心には神性、仏性が宿っています。
信仰の本能は神性や仏性に対応しているのでしょう。

少なくとも信仰心があるように見せかけて、信仰を利用するなど信者としてあるまじき行為であるといえます。

トルストイの『人生論』という書物には次のように書かれています。
「人は理性の意識と、動物的自我をすっかり混同している。しかし、動物的な自我の欲求をいくら満足させたところで、人は幸福にはならないし、したがって生きることにもならないと、理性の意識はくり返し人に教えた」
「理性の意識がない動物にしてみれば、本能を満足させ、種族を絶やさぬよう、子を残すのが生活の最高目的なのだ。ところが人間になると、そうした動物的な自我は生存の一つの段階にしかすぎない。その一段上に、動物的な自我とは一致しない人生の真の幸福が認められるのである。」

トルストイが述べている一段上の真の幸福とは、精神的な幸福であり神を信じ神と共に生き、神に見守られているという精神的喜びのことであると思います。

神仏に対しての信仰心は、人間としての本来の美しい姿であると思えます。

信仰を利用して自分の名前を売ろうと考えること自体、自立していません。
自分で自立して生きていくのであれば、幸福の科学に関係なく自分の自助努力で道を切り開いていくべきです。
その時、主の大変さと偉大さが認識できるのではないでしょうか。

そして再び救世運動に合流することを願っている人も大勢いることでしょう。



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posted by ガンちゃん at 19:54 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月10日

不信仰の家族にはどう対処すべきか 感想1 客観的に自分の姿を見ることができない生悟りの恐怖

不信仰の家族にはどう対処すべきか 感想1 客観的に自分の姿を見ることができない生悟りの恐怖

今回の感想を書くには多少勇気がいりますが、総裁先生のお子様という視点ではなく、一人の人間として見た時に、私には彼がのように見えるかという観点で書ければと思います。

霊言を終えた後に総裁先生は長男の不始末に対して「すみませんでした」と言われています。
これにはさすがに赦しがたいことだと思えます。
私は幸福の科学発足とほぼ同時ぐらいに会員としてやらせていただいています。
ですから総裁先生がどれだけ大変な思いで教団をつくってこられたか多少は知っているつもりです。
私達信者が知らないとこで大変な努力をされ、自分のことより全世界救済の為に命を削ってこられた、主の謝る姿を見るのは大変に辛く悲しいことで心が痛みます。

長男はいい年をして、自分の発言や行為が周囲に対してどれほど迷惑をかけているのかわかっていないようです。
自分の言動、外見、仕事能力、すべてにおいて自分自身の客観的な姿が見えていないと思えます。
一般社会の常識から見たら完全にドロップアウトしていながら、何を根拠にしているのか知りませんが、自分は女性から好かれるとか、芸術の才能があるとか言われていたと思いますが、それはご自身の実力や徳ではなく、幸福の科学大川総裁の長男だからという理由です。

自分自身の客観的な姿が理解できない人は、自分に実力がなくても評価だけはされたいと思う人が多いようです。

ブログ村にも、ご自身のブログに他のサイトから無断で多数コピペして、ポイントが上がると自分自身に人気があるものと勘違いしている人がいます。
それは本人の実力で人気があるのではなく、他人が書いた記事あるいは情報が読まれているだけのことであって本人自身をみれば、全く一つの文章も書けない実力の持ち主ということになります。

コピペに対して注意されると、ご自身が間違ったことをしているという自覚がなく注意した人を悪魔側に見立てて自分が攻撃されたような言い方をしていました。
自分が天使だとでも思っているのでしょうか。
自分は完全に間違ったことをしているとは思っていないのでしょう。

著書を読んでいながら、これと似た論理構造だと考えていました。

私が赦せないと思えたところは、ご両親のおかげで大学を卒業できたのに、感謝どころか無理やり勉強をさせられたという考えを持っていたということです。

大学生のお子様をお持ちの御両親ならお分かりかと思いますが、どれだけお金がかかると思っているのでしょうか。
兄弟二人を大学に入れるだけでも、非常に大変なことなのです。
親父の小遣いなどほとんどありません。
必然的に本を買うお金もなく、食事を切り詰め、朝から晩まで働いて、こんなに大変なことなのかと思っている人もいるのではないでしょうか。

大学に進学する前には中学受験もあります。
中学、高校が私立であればまた月謝が大変です。
更に、塾、予備校等お金がでていく一方です。
まだ、お子様が小さいうちであっても5人を育てるということは本当に大変なことなのです。
しかし、親父は子供にたいしては大変な姿は見せないはずです。
男の意地もありますが、子供に対しては大変な姿をあえて見せないようにしているのではないでしょうか。


長男は自分で責任をとるという姿勢がみられません。
気分次第でコロコロと言うことが変わり、一貫性が見受けられません。

質問に対してああ言えばこう言うというという感じで、すべてうまくいかなかったことは自分の責任でなく周囲の責任であると考えているようです。

自己責任という考えがなく、周囲に対して 甘えているだけなのでしょう。





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posted by ガンちゃん at 02:04 | Comment(4) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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