統制社会は、自分の意志に基づく選択の自由が制限されます。
ハイエクは統制経済、計画経済について以下のようにのべています。
「統制経済は生活の心配がないようにするものであり、ただ経済問題にだけ適用して他のことには関与しない、あるいは、生活の不安がなくなりもっとレベルの高い価値を追求する自由を得るであろう、というようなことが計画主義者の口から発せられることがある」
全経済活動を統制するということは、人間の目的を追求するあらゆる手段を統制するということです。
現代は高度に分業が発達した時代ですから、一つがすべてに関係してきます。
計画経済はわれわれの生活のほとんど全般にわたる統制になります。
ハイエクは、家族、友人関係、仕事の有り様、余暇の使い方まで、計画者の統制が及ばない領域はほとんどなくなるであろうと、指摘しています。
ですから統制経済は、経済だけに適用され他のことに関与しないということはありえません。
国が経済を統制し管理することなど夢想であるといえます。
価格を決定するにしても、様々な要素が複合的に絡み合ってきますから、国が一つの商品あるいはサービスの値段を決定することなど不可能であるといえます。
アダム・スミスが述べているように、神の見えざる手によって需要と供給のバランスが調整され落ち着くところに落ち着くといえます。
市場経済において、各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体において適切な資源配分が達成されるようになります。
個人が利益を追求することは一見、社会に対しては何の利益ももたらさないように見えます。
しかし、各個人が利益を追求することによって、社会全体の利益となる望ましい状況が神の「見えざる手」によって達成されるとアダム・スミスは考えたのだと思います。
次に社会主義の政策に関わる福祉の問題点について考えてみます。
いきすぎた社会福祉は自助努力は否定することになり、個人の魂の堕落を招く愚民政策であるといえるのではないでしょうか。
以前、アメリカのヒラリー元大統領夫人が医療保険制度を導入しようとした時、議会が反発して法案を通さなかったことがあります。
ヒラリー夫人は、「私の提案は、政策次元の問題ではなく正義の問題です」と言っていたと思いますが、すべてのかわいそうな人達を一人でもなくそうとしたとたん、国がすべてを握る全体主義に踏み込むことになります。
セーフティネットとして最低限必要な生活保障や個人の自立を助ける為の社会福祉は必要であるとは思います。
しかし、困っている人たちすべてを社会福祉で救済するという考えは、人間の自助努力を無視した安易な考え方であるともいえます。
もちろん本当に困っている人に関しては、何らかの救済手段、あるいは政策が必要です。
問題なのはそれに便乗して、働ける人が国から補助金をもらおうとする現実にあります。
ですから、社会制度で救済しようとするのではなく、自分自身の自助努力によって道を切り開いていくという考えにシフトしていくべきであると思います。
更に全体主義の問題点は国際常識がなく、自国の考えを世界に適用しようとします。
そして、全体主義者は理想が正しければ手段の正当性を考慮しません。
社会主義あるいは、全体主義者は条約を守らないことが平気になってしまうと渡部昇一氏が指摘しています。
旧ソ連は、日本との条約を無視して広島に原爆が落ちた後で、満州に侵攻してきました。
他国の防衛力が弱体化してくると条約を無視して侵略してくる傾向があります。
幸福という観点から統制経済、計画経済、社会主義をみると、人間の自由を束縛し宗教や信仰を否定し
芸術や文化が発展しない愚民政策であるといえます。
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