2018年11月18日

自由を抑圧する統制社会 社会主義の問題整理

自由を抑圧する統制社会 社会主義の問題整理

統制社会は、自分の意志に基づく選択の自由が制限されます。

ハイエクは統制経済、計画経済について以下のようにのべています。
「統制経済は生活の心配がないようにするものであり、ただ経済問題にだけ適用して他のことには関与しない、あるいは、生活の不安がなくなりもっとレベルの高い価値を追求する自由を得るであろう、というようなことが計画主義者の口から発せられることがある」

全経済活動を統制するということは、人間の目的を追求するあらゆる手段を統制するということです。
現代は高度に分業が発達した時代ですから、一つがすべてに関係してきます。
計画経済はわれわれの生活のほとんど全般にわたる統制になります。

ハイエクは、家族、友人関係、仕事の有り様、余暇の使い方まで、計画者の統制が及ばない領域はほとんどなくなるであろうと、指摘しています。
ですから統制経済は、経済だけに適用され他のことに関与しないということはありえません。


国が経済を統制し管理することなど夢想であるといえます。
価格を決定するにしても、様々な要素が複合的に絡み合ってきますから、国が一つの商品あるいはサービスの値段を決定することなど不可能であるといえます。

アダム・スミスが述べているように、神の見えざる手によって需要と供給のバランスが調整され落ち着くところに落ち着くといえます。

市場経済において、各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体において適切な資源配分が達成されるようになります。
個人が利益を追求することは一見、社会に対しては何の利益ももたらさないように見えます。
しかし、各個人が利益を追求することによって、社会全体の利益となる望ましい状況が神の「見えざる手」によって達成されるとアダム・スミスは考えたのだと思います。

次に社会主義の政策に関わる福祉の問題点について考えてみます。
いきすぎた社会福祉は自助努力は否定することになり、個人の魂の堕落を招く愚民政策であるといえるのではないでしょうか。
以前、アメリカのヒラリー元大統領夫人が医療保険制度を導入しようとした時、議会が反発して法案を通さなかったことがあります。
ヒラリー夫人は、「私の提案は、政策次元の問題ではなく正義の問題です」と言っていたと思いますが、すべてのかわいそうな人達を一人でもなくそうとしたとたん、国がすべてを握る全体主義に踏み込むことになります。

セーフティネットとして最低限必要な生活保障や個人の自立を助ける為の社会福祉は必要であるとは思います。

しかし、困っている人たちすべてを社会福祉で救済するという考えは、人間の自助努力を無視した安易な考え方であるともいえます。
もちろん本当に困っている人に関しては、何らかの救済手段、あるいは政策が必要です。

問題なのはそれに便乗して、働ける人が国から補助金をもらおうとする現実にあります。
ですから、社会制度で救済しようとするのではなく、自分自身の自助努力によって道を切り開いていくという考えにシフトしていくべきであると思います。


更に全体主義の問題点は国際常識がなく、自国の考えを世界に適用しようとします。

そして、全体主義者は理想が正しければ手段の正当性を考慮しません。
社会主義あるいは、全体主義者は条約を守らないことが平気になってしまうと渡部昇一氏が指摘しています。
旧ソ連は、日本との条約を無視して広島に原爆が落ちた後で、満州に侵攻してきました。
他国の防衛力が弱体化してくると条約を無視して侵略してくる傾向があります。

幸福という観点から統制経済、計画経済、社会主義をみると、人間の自由を束縛し宗教や信仰を否定し
芸術や文化が発展しない愚民政策であるといえます。





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posted by ガンちゃん at 11:06 | Comment(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月15日

全体主義は個人的責任という概念を希薄にする 倫理は個人で成り立ち、その為に自由を与える

全体主義は個人的責任という概念を希薄にする 倫理は個人で成り立ち、その為に自由を与える

全体主義は、個人としての自己責任の意識を希薄にします。
社会主義(全体主義)の問題点と、その行き着く先を考えて見たいと思います。

聖徳太子の十七条憲法の第十条には、次のように書かれています。
『人にはそれぞれ思うところがあり、その心は、自分のことは正しいと考える執着がある。
他人が正しいと考えることは、自分は間違っていると考え、自分が正しいと考えることを他人は間違っていると考える。
しかし、自分がかならずしも聖人ではなく、また他人がかならずしも、遇者なのでもない。
両方とも凡夫にすぎないのである。
正しいか、間違っているかという道理を、どうして定められようか。・・・・・他人が自分に対して怒ることがあっても、むしろ過失がなかったかどうかを反省せよ。また自分の考えが道理にあっていると思っても、多くの人々の意見を尊重して同じように行動せよ』
中央バックス日本の名著 参照。

憲法と言いつつ内容は宗教的であると思えます。
しかし聖書でも思想でも解釈の仕方によってまったく違った意味にとられてしまうことがあります。

例えば、「他人が自分に対して怒ることがあっても、むしろ過失がなかったかどうかを反省せよ」とあります。
個人においては自己責任における反省を促しています。
しかし、個人を離れて国対国の関係においてはどうでしょうか。

例えば、外交問題で、先の戦争で日本は中国を侵略したのだから、日本は中国に対して反論ができないという弱腰外交であれば、日本の国益を損なうことになります。

個人としては、すばらしい教えであっても、国と国の関係においてその教えが必ずしも正義にかなうというわけではありません。

過去いろんな過失があったとしても、それが理由で何も言えないようでは、その人には早めにやめてもらわなければなりません。

また、十七条憲法には「多くの人々の意見を尊重して同じように行動せよ」と書かれています。
しかし、自分の考えや意見が何もなく、ただ全体の流れに逆らうことなく同じように行動するだけの人生ならば、主体的な人生を生きているとは言えません


ハイエクは、『倫理的分野における積極的な基準である道徳などや、道徳的原則を維持しようとする真剣さでは、集産主義(社会主義)運動はマイナス影響を及ぼした』と述べています。

社会主義運動がマイナスとして働く理由は、道徳が個人的行動にかかわることだということを忘れてしまい、社会や制度に責任を転換しているうちに個人的責任(自己責任)という概念が希薄になってきたことを、ハイエクは指摘しています。

更にハイエクは、「われわれは自分のふところを痛めることなしに博愛的であろうとすることを許されていないし、自らの選択の余地がないところで博愛的に振る舞ったからといって、どんな価値があるものではない」と述べています。

要するに道徳とは個人的なものであり、自らの痛みを伴うものだということです。
ですから「貧しい人に予算をつけなさい」といっている人が税金を納めていなかったら博愛的ではありません。
自分の懐からお金を出すのが博愛的であるということです。

このあたりまえのことが現在、狂ってきていると渡部昇一氏も述べています。
自分の腹の痛まないところで福祉予算を多くするといって、いい気分になっている人が多すぎると指摘しています。

例えば、気が狂れた人間が、誰かを刺したとします。
『頭が正常ではないからマスメディアに名前を出していけないし、監獄に入れてもいけない』。
そういうことを言うと人権を尊重する立派な人であり正論であると思われるかもしれません。
しかし、その人自身が刺されてその言葉をいうのであれば偉い人だと思いますが、自分が刺されていないで、そのようことを言える人は偽善です。あるいは無責任な言動です。

加害者が法的に守られて、被害者が泣き寝入りするとは、いったい正義はどこにあるのかということです。しかも、それが法的に正当化されるというのであれば、社会主義は邪教そのものであると言えます。

社会主義の人権における平等とは、永遠の魂を有する神の子である人間としての平等ではありません。
肉体がすべてあり死んだら終わりである唯物論が根底にあるので、善人であろうと悪人であろうと死んだ人間より生きている人間を優先する人権です。
ですから犯罪者でも生きていれば亡くなられた被害者より優遇されます。

神を否定し魂の尊厳を知らない唯物論は、危険であり恐ろしい思想であるということを知らなければなりません。

倫理は個人において成り立ち、その為には個人に自由を与えなければならないということだと思います。


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posted by ガンちゃん at 19:47 | Comment(0) | 政治・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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