20世紀後半という時代は、科学万能主義とダーウィンの進化論、実存主義哲学が世界を覆い尽くしたために、五感を通して確認できないものあるいは客観的ではないもの、経験できないものはすべて否定するという方向で時代がながれてきました。
しかしその中にあって霊的な現象、霊的世界の証明も確実に実証されてきました。
渡部昇一氏は、パスカルの『パンセ』によって霊的世界を確信していたようです。
アレクシス・カレルはルルドの奇跡を目の当たりにして、人間には未知なる可能性を秘めていると認識したのではないでしょうか。
霊的世界を証明しようとした偉人は、過去数え切れないほどいると思います。
ギリシャ時代のソクラテス、プラトン、キリスト教や仏教、スウェーデンボルグ、ルドルフシュタイナー、日本では、源信、空海等、数えればきりがないほど存在します。
つまり霊的世界を知る機会は、随所にあるということだと思いますが、霊的世界を知ることで、人生を生きていく意味が全く違ってくると思います。
仏教では、生・老・病・死といわれる四苦の苦しみを説いていますが、人間の本質が霊的存在であるということに対して確信が持てるならば、四苦の苦しみはほとんど解決がつくのではないでしょうか。
地上に生まれて来る目的は、新しい環境で魂の経験値を増やし霊的に進化する一方で、いかにして地上にユートピアを建設していくかという、私的幸福と公的幸福の両方を目的とします。
霊的価値を含む私的幸福とはどのような幸福を言うのでしょうか
人はそれぞれ個性が違うので一概に決めかねますが、すべての人に共通して言える幸福とは、努力して自分の魂が向上したと実感できる時ではないでしょう。
これは、人生の途上で仏法真理に出会うことができた喜びと同等のものであると言えるかもしれません。
努力したことが魂の深いところまで刻印されたならば、それは今回の人生だけに留まるものではありません。
努力して身に付けた能力は魂の傾向性として来世まで持ち越すことができるのです。
来世に生まれ変わった時には、今世の人生の経験をすべて忘れていることでしょう。
しかし、努力して身に付いた魂の傾向性は、永遠の転生輪廻の流れの中で自分自身を守ってくれることでしょう。
これが努力の意味です。
ましてや現代は、地球神が直接仏法真理を説かれ陣頭指揮をとらえています。
このチャンスに努力しないということはありえません。
この千載一遇のチャンスに努力することもなく、ひたすら情報だけをせっせとかき集めるだけで、結局、自分自身の中身は空っぽだったというだけであれば、風に吹かれてどこかに飛んでいくしかありません。
人には自由意志が与えられていますから、私がとやかく言うことではありませんが、私の意見が正しいかどうかは読まれた方の判断に由ることでしょう。
ただ、私は多くの人達や法友と話しをしますが、自分の考えに賛成してくれますし、ある程度の客観性があり、独りよがりの意見ではないということは確信しています。
個人の目標は、光の天使となり多くの人を救済することであるはずです。
光の天使になる為には、努力に努力を重ね苦難困難を耐え忍んでいかねばなりません。
実際、霊的修行は完全他力で道が切り開かれるほど甘くないということだと思います。
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