簡単に時代背景を説明したのち、女王メアリーについて書いてみたいと思います。
理由は、私が気になる女王だからです。(笑)
メアリーは、宗教性が強く性格も天真爛漫と言いますか、楽観的で女王にしては珍しいタイプのような気がします。
16世紀にはイギリスと言う国はなく、南部にロンドンを首都とする新教(現在のプロテスタント)のイングランド、北部に旧教(カトリック)のスコットランドと言う二つの王国が宗教や領土をめぐり争っていました。
1542年12月スコットランドのロジアン地方、リンリスゴー宮殿でメアリーが生まれました。
スコットランドのジエームス5世と王妃の間に生まれたメアリースチュアートは、父の死によって生後6日にしてスコットランド女王になりました。
旧教国のフランスは、スコットランドとの同盟を固めるためにメアリー女王とフランソワ王太子の婚約を望んでいました。
メアリー女王は優しく献身的な母と別れ、彼女の遊び友達兼侍女を務める同年齢の4人のメアリー(スコットランド有数の貴族から選ばれる)とともにフランスへ旅たって行きました。
4人のメアリーの存在はメアリー女王の人生においてかけがえのない宝になりました。
16世紀なかばのフランス宮廷は数多くあるヨーロッパの宮廷の中でも最も洗練された華やかな宮廷でした。イタリヤで始まったルネサンスがフランスでも花開き、中世の騎士道精神とルネサンスの華麗な古典文化が一つになり、絢爛たる宮廷文化が咲き誇っていました。
この様な宮廷に登場したメアリーはその愛らしさ、物怖じしない朗らかさで周囲を魅了しながら未来のフランス王妃としての教育を受けて成長していきます。
フランス語、イタリヤ語、スペイン語はいうにおよばずラテン語、ギリシャ語などにも秀で、13才のときにはルーブル宮で全宮廷人の前でラテン語の演説を読み上げたと言われています。
16世紀のイングランドは、ルネッサンスの影響もあって女子教育に関しては、現代と肩を並べる水準に達していたといわれています。
教育に関してはルネッサンスの影響を受けた16世紀の宮廷で、苛酷なまでのエリート教育を進めるイングランド宮廷と、スポーツや芸術という人生の遊びの部分を重要視する風潮のフランス宮廷の違いはあっても生命力旺盛で恵まれた資質を持ったメアリーとエリザベスという二人の高貴な女性は優等生として育っていきました。
フランスの宮廷では、スコットランドの女王にして未来のフランス王妃であるメアリーはかけがえの無い存在として大事に育てられました。
1558年4月予定通り、パリのノートルダム寺院でメアリーと王太子フランソワの結婚式が行われましたが、メアリー15才、フランソワ14才でした。
200年ぶりの王太子の結婚式ということで絢爛豪華な式の主役は、幼児期から病弱だったフランソワではなく美しく成長したメアリーで、180cmの長身でありながら優雅な物腰と好みの白を基調とした洗練された装いに作家ブラントームは「晴れ渡った真昼の陽光の輝き」と讃えました。
メアリーの特徴は、その美しさと包み込むような優しさにあったようです。
馬に乗れば男顔負けの手綱さばきを見せました。
エビソードとして、ある冬の午後、馬を走らせている時に、気の枝に引っかかって、メアリーは転倒し地面に投げ出されて気絶してしまいました。
気絶している彼女の脇すれすれを、何人もの狩仲間たちが気付かずに馬で走り過ぎていきました。馬の下敷きになる一歩手前で、誰かが気付いて大慌てで抱き起こしました。
我に返ったメアリーは少しも騒がず、乱れた髪に手をやって、にっこり微笑んでみせたといいます。
とにかくメアリーの美しさと優しさは多くの男性達を魅了していました。
姑であるカトリーヌはよく言っていたようです。
「宮廷中のものをふり向かせるには、彼女がちょっと微笑するだけで充分だ」と。
メアリースチュアートは、天才でも奇跡の人というわけではありませんが、当時、女性に必要とされていた、学問もお酒落も話術も人並み以上に身に着けていたようです。
そして、何よりも彼女を特徴づけていたのは、人に好かれる才能でした。彼女の家庭教師パロア婦人は言っています。「彼女は、彼女をみる人を喜ばしい気持ちにさせます。だから、誰もがこの人を称賛し、この人のために、神に祈るのです。」
彼女の素晴らしいところは、この時代、彼女は周囲の人々から甘やかされ、おだてあげられたことは確かなことです。
それでも決してそのことでわがままにも粗暴にもならずに、無類の人柄の良さを有していました。幸福な子供時代を過ごした人によくあるように、彼女は人間に対する深い信頼感を持っていました。
その育ちの良さからくる、無邪気な飾らない暖かさが、常に人々に快い印象を与えていたようです。
その他、メアリーの性格を表す出来事として、ダーンリ(旦那)暗殺の共犯者として、疑いをかけられた時、メアリーは毅然としてこう答えました。
「わたくしは、罪を犯してそれを隠しておくよりも、犯してもいない罪のことで責められるほうが、まだましですわ。わたくしは世の人々よりも神のほうを尊重します。人は騙せても、神を欺くことは不可能ですから。」
このような事件で世間的な評価が誤解せれたこともあり、後ほどメアリーは断頭台に消えていくことになります。
私自身の見解は、メアリーは旦那の暗殺などしていないと確信しています。
また、エリザベスは、フランシス・ノールズ卿を使者として、カーライル城のメアリーのもとに派遣しています。表面的な理由とは反対に、彼女を監視するためにです。
しかし、メアリーは最初から、比類ない人間性ですっかりノールズ卿の心を捕らえてしまいました。
彼は、ロンドンのエリザベスに宛てた手紙で、この誇り高き女王の性格を生き生きと書いています。
「メアリーは女王としての自分の地位に限りない誇りを抱いており、人にもそれを尊重することを要求するが、だからといってわざとらしい慇懃無礼さや儀式ばった相対しかたは何よりも嫌うこと。
相手がどんな地位の人間であろうとも、常に心をひらいてオープンな態度で接すること、相手に悪意がない限りどんな歯に衣着せぬ言葉を聞かされても、決して気を悪くすることがないこと。そして一時的に自分がカッとするようなことがあっても、すぐに落ち着きを取り戻し、素直に自分の非を認めて気持ち良く仲直りを求めてくること。」等々。
女王のなかでも特にメアリースチュアートは、人間的にはもちろん欠点もあったと思いますが、総合的に素晴らしい女性だなと思い人間性を中心にしてその人物像を書いてみました。
彼女はカトリック信者です。
現在ロンドンのウエストミンスター寺院の地下墓地にメアリースチュアートとエリザベス一世は眠っています。
私にはメアリーが光の天使のように思えます。
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