2018年10月25日

変化のなかにこそ進化がある 魂の幸福は向上していく過程にあると思う

変化のなかにこそ進化がある 魂の幸福は向上していく過程にあると思う

人間は通常、変転変化より固定したもの、あるいは安定を求めます。変化に対応するには努力が必要です。安定を求める心には、安心を求める心の働きがあるのでしょう。

仏教の三宝印の一つに「諸行無常」があります。
この地上にあるすべてのものは、時間の流れの中で変化し続けていき、変化しないもの固定的なものは存在しません。
すべての存在には、滅びが内包されています。
存在と消滅は対をなしています。
しかし、縁起の理法・因果律によって、あるいは努力によって変化の方向を調整できる可能性はあると思います。

「諸行無我」とはなにか。
この世のもので定義できるような実体や本質をもった存在はありません。
すべては、他に依存しながら存在しているのであり(依他起性)、自立的な存在、姿や形を変えないものは、霊界においても、物質世界においてもありえません。
(依他起性とは、他に依って起こる性質という意味です。因縁によって生起するものをいいます。)

ギリシャの哲学ヘラクレイトスの言葉を引用するならば、
「同じものがあるのだ。生きている時も死んでいる時も、若いときも年老いた時も、なぜなら、このものが転化してかのものとなり、かのものが転化して、このものがなるからだ。」

あるいは、アウグスティヌスの『告白』の中には、「われわれの魂の中でいつも同じままに留まっている唯一のものは、過去の現在・現在の現在・未来の現在、つまり、『記憶』『直観』『希望』なのであると述べられています。
ですから魂の記憶、直観、希望以外は流れ去るものといえます。

つまり安定とは、一見すると人間の安心感に結びつけて考えやすいのですが、実際は、何の努力もともなわない安定は、停滞を生み、魂にとっての進化という経験を放棄したことになるのかもしれません。

幸福を求める時、安定した中に真理を探究するのではなく、変化こそ真理であり、人生の本質であるという認識をどこかにもっていた方が、いいのかもしれません。

変化を受け入れ努力を継続的に続けることで、魂が進化し認識力が拡大することでしょう。
認識力が広がること自体が幸福であり、魂の喜びとなるでしょう。





ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 02:54 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月22日

宇宙の法 黎明編 価値観の違う宇宙人同士が地球人として理解しあえるか 地球の真理を宇宙に逆発信

宇宙の法 黎明編 価値観の違う宇宙人同士が地球人として理解しあえるか 地球の真理を宇宙に逆発信

主エルカンターレの偉大さの一端を垣間見ることができる映画です。
地球に飛来している宇宙人は数百種類、その中で主な宇宙人は20種類ぐらいでしょうか。

地球は一つの文明実験の場であるといわれています。
地球は宇宙との関係においてどのような存在価値があるのでしょうか。

全く価値観の違う宇宙人同士が地球人として魂修行をする意味は、対立矛盾する宇宙の価値観を止揚統合しお互いに理解しあえるか、和解できるのか、愛し合えるのかが試されているのかもしれません。

もし、全く価値観の違う宇宙の魂達が地球の価値観で理解し合えたなら和解できたのなら、その真理を今度は宇宙に発信して宇宙の調和と進歩に役立つはずです。

つまり、地球は宇宙の縮小図なのかもしれません。

主エルカンターレの教えの特徴の一つが、多様なる価値観を融合するというものです。

世界の三大宗教である「仏教」「キリスト教」「イスラム教」は人間の認識では対立関係にあるようにみえます。
しかし、仏教・キリスト教・イスラム教の教えの根源は主から流れ出た教えです。
私達人間の認識力では、多様なる価値観を融合し一つにまとめ上げることはできません。

ゾロアスター教の善悪二元論とキリスト教の愛の思想は対立矛盾するように思えますが、お互いが教えの足りない点を補っている可能性もあります。

キリスト教は愛の教えだけですと正義という観点から善と悪を判断し峻別することは難しいかもしれません。
また、ゾロアスター教は愛や許しの教えが十分ではないような気もします。

キリスト教とゾロアスター教が融合することでより宗教性の高い教えになるように思えます。

宇宙においても同じ原理が働いているのかもしれません。
レプタリアンの愛と自己犠牲的なキリスト教的愛は完全に対立矛盾しています。
これが融合できたら宇宙の奇跡でしょう。

レプタリアンの価値基準ですと愛というものはどちらかといえば奪う愛に相当するでしょう。
「愛せば、惜しみなく奪い取る」というのが基本原則であり、それが愛に関するレプタリアンの考えでしょう。
しかし主の愛とは与える愛であり、許しが含まれた慈悲であるはずです。

許しとか慈悲はレプタリアンの教科書には載っていないようなので地球で学ぶ以外にありません。
愛や慈悲が弱さに見えるレプタリアンと地球の宗教的な愛は完全に対立矛盾します。

また、強さこそ宇宙の真理と考えるレプタリアンは弱さ=滅ぶべき存在と考えていますが、弱さと考えるその中にも真理はあるということは学ぶ必要性があります。

主エルカンターレは、レプタリアンだけではなく宇宙人にはこれだけ多様な存在形態、違った考え方、違った行動様式がありますが、このような違った価値観を持った者同士が理解し合えるかどうかということを一つの試金石とされたのでしょう。

上記で地球は宇宙の縮小図と書きましたが、東の果ての国である日本で説かれた仏法真理が東洋と西洋に広がって地球的仏法真理が確立するように、銀河の端の太陽系第三惑星地球で創造された真理が宇宙に向けて逆発信することになるかもしれません。




ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 01:13 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。