サリバン先生から見たヘレン・ケラーの人物像を考えていきながら、何かの気付きがあれば幸いです。
ヘレン・ケラーは成長し、育っていく過程で、「なぜ」「なに」という言葉を連発して、サリバン先生を困らせたこともあったようです。
「乏しい知識で太刀打ちしなければなりませんので、たじたじの有様です」。と書かれていましたが、ヘレン・ケラーは、知恵がつくにつれて、際限なく周りに質問をしてまわったとのことです。
小さい子供達も「それは何なの?」とか「何持っているの?」など際限なく質問してきます。
サリバン先生も述べていますが「なぜ」と思うことこそ、物事の原因に興味を持ちだしたことの現れです。
「なぜ」という問いこそ子供が推論と考察の世界に入る入口です。サリバン先生も、そのように言われていますが、「なぜ」という気持ちは知りたいという要求だと思えます。
「ヘレンはまだ子供の頃、遊びふざけるのが好きで、他の子供と仲間になるととても喜びます。遊び仲間の子供たちに自分の思うことが通じなくとも、いらいらしたりしません。彼女の書く言葉を1字も理解できない子供たちとも、何時間でも一緒に遊びます。
彼女が一所懸命に身ぶり手ぶりで意思や感情を表しているのを見るとかわいそうになります。ときどき男の子や女の子の中に、指文字を習おうとする子がありますが、そんな時ヘレンが忍耐強く、親切に、幼い友人たちのぎこちない指を正しく動くようにしようと努力している姿は美しいものです。」
と書かれています。
一生懸命努力している姿を見るだけで、感動して涙が出るような感覚があります。
ヘレンの優しさがわかるエピソードがあります。
ある日、ヘレンがご自慢の上着を着た時、お母さんが、「上着もなくて、寒くて困っている、かわいそうな女の子がいます。おまえはその子に自分の上着をあげますか」と問いますと、ヘレンは、その上着をすぐに脱ごうとしながら、「かわいそうな子にこれをあげなければいけないわ」と言いました。
また、彼女は自分より小さな子供が大好きで、赤ん坊を見ると、いつでも生まれつきの母性本能を発揮して、いちばん気がつく看護婦さんもかなわないほど優しく子守をします。また、幼い子供達に対する彼女の思いやりと、その子供たちのわがままを黙って聞いてやる優しさも、見ていて実に好ましいものです。とサリバン先生は述べています。
また、ヘレン・ケラーの負けず嫌いなところがあるエピソードを紹介します。
大人たち何人かで、関税に関しての話をしていたので、ヘレンはサリバン先生に説明してくれと頼みました。
サリバン先生は「いや、あなたにはまだ、わからないことよ」と言いました。彼女はしばらく黙っていましたが、力を込めてこう問いました。
「どうして、私にわかないことがわかるのですか。私はちゃんとした心を持っています。ギリシャの親は子供にとても気をつけて、賢い言葉を聞かせていたではありませんか。子供達も少しはわかったとおもいます」。
その当時すでにギリシャの歴史やギリシャ人について、勉強していたのかと思いますが、ヘレンはかなりの読書好きでありました。
余談ですが、彼女はなんでそんなに本が好きなのかと聞かれて、彼女は答えました。「私の見ることができない、面白いことをたくさん教えてくれるし、人間のように疲れたり、嫌がったりしないから。本は私の知りたいことを何度でも繰り返し、教えてくれる。」
また、「私はどこから来たの」と「私が死んだら、どこへ行くの」ということを、ヘレンは8歳の時に問うていたそうです。
これは人間として生まれてきたことによる、根本的な問いでしょう。
このようなところに光の天使としての片鱗を見ることが出来ます。
彼女(ヘレン・ケラー)のノートには次のようなことが書かれていたそうです。
「わたしのわからないことは次の通りです。地球や海やその他のものを創ったのは誰ですか。おかあさんのところに来る前、わたしはどこにいたのですか。植物が土の種から生えるのは知っていますが、人間はそうではありません。子供が生えるのを見たことがありません。小鳥やひなは卵から出てきます。それは見たことがあります。では卵の前は何ですか。地球は、すごく大きくて、重いのにどうして落ちてこないのですか。マザー・ネイチャーのすることを教えてください。聖書という本を読んでいいですか。先生の暇な時に、わたしにいろんなことを教えてください。」
このノートに書かれている内容をみると、科学的、哲学的思考ができる方であると思えます。
「おかあさんのところに来る前、わたしはどこにいたのですか」という内容は、その前提が、生まれてくる前に存在していた自分というものを感じとっていたか、あるいはご本人は文書や言葉として表現しようとしないだけで、ある程度、自分の過去世というか天上界にいた時の記憶らしきものがあったのかもしれません。
ですから、彼女はスウェーデンボルグを崇拝していたようです。彼女の書いた本を読んでみると、スウェーデンボルグについての称賛が随所に書かれています。
「一般的に言って、天の高みにまで駆け上って、あの世の消息をよく知った人というのは、えてして物質科学のことなどほとんど知らないものだ。その時代、スウェーデンボルグほど優秀な科学者はいなかったし、天界の王国をかくも詳細に描写した者は、後にも先にも彼ひとりである」と書かれています。
私も、スウェーデンボルグは昔、よく読んでいましたが、かなり難しい内容であったと記憶しています。
また、ヘレン・ケラーの自伝やその他の本も何冊か読んだことがありますが、かなり内容的には難しかったと記憶しています。
サリバン先生は、意識的に聖書を読ませないようにしていたようです。
それは、「今聖書を読ませれば、神の特質について非常に誤った観念を得るにきまっているからです」と述べています。
たしかに、旧約聖書(旧約はユダヤ教)に関しては、ちょっと理解しがたい内容が書かれているので、ある程度、自分で善悪の価値判断がわかるようになってから読んだ方がいい場合もあるかもしれません。
サリバン先生がヘレンにイエス様のりっぱな生涯と、むごたらしい死について、優しい言葉で聞かせてあげた時、ヘレンは、ひどく感じていたようです。
彼女がその話をもう一度持ちだしてきたのは「なぜイエスは、敵に見つからないように逃げなかったの」という質問をするためでした。
もし私がその場にいれば、このように説明するかも知れません。
『ギリシャのソクラテスも毒杯を仰いで死んでいきました。逃げようと思えば逃げることは可能であったはずです。しかし、逃げることはしませんでした。
なぜなら、真理のために死ぬことのほうが生きることより尊いこともあるからです。』
彼女は、イエスの奇跡を奇妙に感じ、イエスが弟子たちに逢うために、海の上を歩いて渡ったと聞くと、断然「それは歩いたのではなく、泳いだのです」と言いました。
海を泳いだのなら、2千年間そのような話が残っているわけがありませんが、霊体としてのイエス様がある程度物質化して海の上を移動したのかもしれません。
また、イエスが死者をよみがえらせたという話を聞くと、合点がいかないという顔つきで、「命が死んだ人の体に戻ってくるなんて知らなかった!」と叫んでいたそうです。
そうはいっても、死者(ラザロ)は、ご自身という説もありますのでこの世はわからないようになっているのでしょう。
ヘレンは純粋な人であったと思います。
また、別の時彼女(ヘレン)は、サリバン先生に「魂とはなんですか?」と問うています。
この質問は、あなたの悟りはどのようなものですかと、問われているようなものです。
サリバン先生は、「魂がどんなものか誰にもわかりません。しかし、それは身体ではなくて、人間がそれで考えたり、愛したり、望んだりするもので、クリスチャンは身体が死んでも、それは死なない」とヘレンに説明しています。そしてサリバン先生がヘレンに「あなたは、魂と身体は別のものだと考えられますか?」と尋ねました。
ヘレンは「ええ、考えられます」と答えて、こう説明しました。
「さっき、わたしは、アナグノス先生のことを一生懸命考えていたの。その時、私の心、いや魂はアセンズ(アラバマ州の地名、アナグノス氏がそこに行っていたと思われます。)に行っていたけど、私の身体は、この勉強室にいましたから」と答えています。
ヘレンは幽体離脱の経験があります。
また、サリバン先生は、魂は見えないもので、形はないと言って聞かせると、「でも私が魂の考えることを書けば、それは目に見えますね。だから言葉が魂の身体でしょう」と答えています。
サリバン先生との会話のやり取りの中に、非常に鋭い答えが隠されています。
これは以前、ジャンヌ・ダルクについて書いたことがありますが、ジャンヌも聖職者からいろんな尋問を受けていますが、それに対する答えが、年齢を超えた本質的な解答をするので、これは魂に真理が、刻印されているに違いないと思ったものです。
また別の時にサリバン先生がヘレンに、「もし死というものがなかったら、どんなに楽しいと思いませんか」と尋ねました。
ヘレンは、「いいえ、死というものがなかったらたちまち、生物でいっぱいになって、誰も気持ち良く生きていくことができなくなるでしょうから。」と答え、「でも神様は、この世界をお創りになったと同じようにして、他にも世界をお創りになるでしょう」ときりかえしています。
人間の肉体生命が有限なのは、人間の本質が霊的存在であり、この地上は仮の宿、あるいは魂を鍛えるために一時的に演劇を演じる役者としての経験を積みかさねるための修行の場である、ということなので、ヘレンの答えは、誠に素晴らしいとしか言えません。
また、こんなエピソードがあります。ある知人が、ハンガリー人は生まれながらに音楽家だという話をしますと、ヘレンはびっくりして「ハンガリー人は生まれた時から歌を歌うの」と聞き返しました。
そして、その人が続けて、ブタペストで自分の逢った生徒たちの中には、百曲以上の歌曲を頭に入れているものがあったと言うと、ヘレンは噴き出して「きっと、頭の中がやかましくて、たまらないでしょうね」と答えました。
サリバン先生は、ヘレンは自己流に字義通り解釈して面白がることが多いと言っています。
いろんな出来事を書いてきましたが、人間は誰を尊敬するかによって、その人に近づいていくと教えられています。ヘレンの素晴らしいところを学びながら、自分の成長に役立てていければと考えます。
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