2012年10月に世界のトップレベルの医師エベン・アレグザンダー氏が、自らの臨死体験を綴った書籍を出版しました。著書プルーフ・オブ・ヘブン
科学者の第一線で活躍されていた医師が「臨死体験」を現実の体験として認め、死後の世界であると主張したことで反響を巻き起こしました。
アレグザンダー氏は、29年間、脳神経外科・神経内科に携わり、アメリカの名門ハーバード・メディカル・スクールで准教授を務めた超一流の脳神経外科医です。
彼は医師として働く中で、いったん心臓停止を起こした患者から、「見たこともない美しい場所へ行ってきた」とか「亡くなった親族と会話をした」など、さまざまな不思議な体験を聞かされてきました。
しかし、そうした臨死体験や死後の世界について、彼は幻想だと決めつけ聞き流していたようです。
アレグザンダー医師は、科学的に証明できるものは信じますが、科学的証明が出来ないものに関しては、全くの否定的立場をとるバリバリの唯物論者の医師であったようです。
しかし、2008年11月に突然、重度の細菌性髄膜炎を発症し、7日間の昏睡状態に陥りました。
そしてその間、彼自身がなんと「臨死体験」をしたのでした。
細菌性髄膜炎とは、脳や髄膜に細菌が感染し、脳が破壊されていくという恐ろしい病気だそうです。
成人では1000万人に1人というきわめて稀な病気で、致死率は90%にも達します。
昏睡状態が1週間を超えた場合は、回復の見込みがないとされ治療が打ち切られますが、アレグザンダー医師は7日目に奇跡的に覚醒し、まったく後遺症もなく回復しました。これは世界でも初めてのケースです。
『7日目に奇跡的に覚醒し後遺症もないというところに、天上界の意志を感じます。唯物論者という立場でありながら(地上的な影響力が大きい)、霊的世界を証明する使命があったのかもしれません』
これまでの通説「脳内発生説」を否定した画期的な見解
彼は退院後、入院中のスキャン画像や臨床検査や神経学的検査の所見など、すべてのデータを詳細に調べました。
すると、昏睡状態にあった7日間、彼の脳機能は完全に停止していたことが判明しました。
専門家たちは臨死体験を「死の直前に大量に分泌されるエンドルフィンの働きによる幻覚である」とか「睡眠時に見る夢と同じようなもの」などと考え、脳内現象として説明しようとします。
しかしアレグザンダー医師は、徹底した検証の結果、「自分が体験したのは、理論上ほぼ完璧なかたちでの臨死体験であり、おそらく類例の中でも最も説得力を持つものである」とし、「それ(臨死体験)を幻想だと片づけることが、医学的観点から見て絶対的に不可能である」と結論づけました。
脳神経学の専門家である彼が、これまでの科学的な解釈を全面的に否定することになったのです。
さらに、彼に「死後の世界」を確信するに至らせたもう一つの出来事がありました。
多くの臨死体験者は、死の淵で親族や友人に出会ったと語っています。しかし彼は、そうした身近な人ではなく見知らぬ女性と出会い、彼女の言葉によって心から慰められたことが最後まで心にひっかかっていました。
退院して4か月後、その女性がすでに他界している実の妹であることを知ったのです。彼は、生まれてすぐに現在の父親に引き取られ、実の妹とは一度も会ったことがありませんでした。
自分の記憶に存在しない死者と出会うことができる世界――それは「死後の世界」しかないとアレグザンダー医師は確信したのです。
従来の臨死研究が体験談を集め、それらに医学的解釈を加えるという程度のものであったのに対して、彼の臨死体験についての検証は、画期的なものと言えます。
脳神経外科医ならではの科学的観点による分析と、脳科学分野の最新研究の知識から導かれた結論は、これまでの「脳内発生説」を完全に打ち砕くことになりました。アレグザンダー医師は、「臨死体験は、脳の物理的な働きから切り離された体験である」という新たな見解をもたらしたのです。
さらに彼は、強烈な説得力を持った死者(実の妹)との出会いによって、死後の世界があること、人間は死んでも生き続けることを確信し、それを堂々と公言したのです。
この臨死体験の話は、私にプラトンの国家に書かれている「エルの物語」を思い起こさせます。
プラトン著『国家』最終章に、戦争で最後をとげたエルという人物が10日前後に生き返り、自分がみてきた死後の世界を語りだす「エルの物語」が書かれています。
戦争で最後をとげた多くの屍体が埋葬の為、運ばれてきたが、エルの屍体だけが腐敗せず残っていましたが、12日目、まさに火葬されそうとする瞬間によみがえり、自分がみてきた死後の世界についての話を始めたのです。
天の穴と地の穴があり、真ん中に裁判官が坐っていて生前の生き方について、正しい行いをした人に関しては、右側の天を通って上に向かう道を教え、不正をおかした人達については、左側の下に向かう道を教えていました。
エルは近づくと、「おまえは死後の世界について、人間たちに教えなければならないから、ここでおこなわれることをすべて残らずよく見聞きするように」と言われました。
内容は、死後の世界は各人が犯した罪の10倍の償いを受けることになります。犯した罪や悪行はその10倍返しで自分に跳ね返ってきます。善行に関しても同じ割合で自分にかえってきます。
幸福の科学で説かれている真理と同じ内容です。
真理は単純な中にあり、善を行えば天国に帰り、悪を行えば地獄に落ちる。知を愛し人に対して優しく生きていく中に魂の成長、進化があり天使たちも微笑んで見守っています。
現代においても死後の世界を垣間見たという人は数多くいます。臨死体験も天上界の計画の一部だと聞いています。経験者はだいたい次のような報告をします。
臨死体験をしている時点で、それが死と関係していると気がつかない場合も多いようです。空中を漂いつつ、自分の肉体を見下ろしているうちに、突然不安や混乱が起こる。「こんな上のほうから、自分の肉体が見えるなんて」という感覚です。
霊的な知識がないと何が起きたのかわからず、混乱するようです。
心臓発作の激痛が、死の苦しみから深い喜びにかわったという報告もあるようです。唯物論的な医者や先生あるいは研究者といわれる人は、脳がこうした激痛に対して痛みを止める化学物質を産生するという理論をとなえていますが実証されているわけでもなく、反証する実験を行った者もいないと思います。
私から言わせれば都合のよい、こじつけ以外の何ものでもありません。
また、トンネルを抜けると光りの人々に会うという経験談も有ります。物質的な光で構成されているわけではなく、あらゆるものに浸透し、人を愛で満たすような、美しい強い輝きを放っています。体験者は、「光といっても愛といってもいいのです。結局、同じことなのだろうと思います。」と語っています。
きわめて強い光であるにもかかわらず、眼を傷めることはありません。それどころか、暖かで力強く、生気にあふれているようです。
こうした体験をするとその後の人生も全く違ったものになるようです。人生をこの世限りだとする人生観、実存哲学的な人生観からでは、人間は不安と苦しみから抜けることはできません。
臨死体験という実際に霊的世界を体験した人たちは、だいたい共通する認識をもちます。
死に対しての不安がなくなり人生を充実して生きるようになります。また、愛の大切さに気がつく人が多いようです。ほとんど全員が愛は人生で最も大切なものだと言うようになります。
幸福と願望達成は愛の証明であり、愛に比べるとすべてのものは色あせて見えてくるという人が大半です。
また、あらゆるものと、つながっているという感覚があるようです。
宇宙にあるすべてのものとつながっているという感じを抱いて戻ってくるという報告もあります。臨死体験は知識に対しても、それまでになかった敬意を抱くようになります。
光りの存在に、勉強(学び)は死によって中断されることはないと言われた人もいます。知識はあの世に携えていくことのできるものであり、来世全体が知識を追求するための世界になっていると述べる者もいるそうです。
ですから何も考える必要のないコピペ等、自分自身の力になっていないということです。
知識的な詰めが出来ていない人に限ってすぐに慢心します。
「エルの物語」で語ったように、使命がある人は霊的世界を垣間見ることができ、それを実体験として報告する義務がある人もいますが、大半の人は臨死体験を経験することができないので、信仰心をもち、霊的世界を知識として学び、愛を深めていく生き方が大切であると思います。
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