2018年05月08日

物質世界(三次元)に生まれてくる意味 人の悲しみを知る

物質世界(三次元)に生まれてくる意味 人の悲しみを知る

人は、自惚れ慢心していると自分のこと以外に考えが及ばず自己中心的になり、相手のことなど眼中になくなります。

相手の悲しみが分かれば、意識しなくとも自然に優しくすることができます。
自分の苦しみ悲しみを通して相手の苦しみや悲しい気持ちが理解できるので、自然体で与える愛の心境になれことができると思えるのです。

相手の悲しみを理解していながら、もっと苦しめてやろうと考える人は滅多にいません。
そのような心境は地獄に通じる道です。

人に対して心から優しくすることができるためには、悲しみを知らなければなりません。

与える愛が大切であると言われ続けてきました。

心から愛を与えるためには、人に悲しさを知らなければ無理なのです。
人の悲しみを知らない人は、与える愛が大切であるといっても、知識のレベルで止まっていて、魂まで届いていないと思います。

相手の苦しみや悲しみに対して、共感できなければ心から愛を与えたいとは思えないはずです。

渡辺昇一氏であったか忘れましたが、その本にはこのように書かれていました。
人はある時、他人に対してかわいそうに見えるときがあるそうです。

それは、相手を自分より低く見ているわけでなく、見下しているわけでもありません。

相手に対して、いろんな辛いことや悲しい出来事を乗り越えて、子供の為、家族のために頑張っているのだろうなと、フッと感じることがあるからです。

自分自身が体験した苦しみや悲しみを通した眼で相手を見るとき、その人も今までの人生で苦しみや悲しみを乗り越えて生きてきたのだろうなと自分自身の体験を通して感じるからです。

自分自身が体験したことですが、夜遅くそば屋に食べに行った時、汚い作業着を着たおじさんが、そばをおいしそうに食べている姿を見て何となく、かわいそうだなと感じた経験があります。
このおじさんも家族の為に夜遅くまで仕事をしているのだろうなと思ったかどうか忘れましたが、同情
心ではなく、明確な理由もわかりませんが、フッとかわいそうに感じることがあるのです。

結局、三次元に生まれてくる意味の一つは、自分が体験した苦しみや悲しみ、その経験を通して人の気持ちを理解できるようになるということにあると思います。

『仏陀再誕』にも書いてあったと記憶していますが、相手に対して本当に優しくなる、あるいは優しい気持ちになる為には、悲しみを知る必要があると思えます。
相手の悲しさを知るからこそ人に対して優しくなり、愛を与えたい気持ちがおきてくるのだと思います。

そして自分自身もまた悲しみの中にある時、守護霊あるいは天使達がきっと見守っていてくださると信じることで、負けるわけにはいかないという気力がおきてきます。



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posted by ガンちゃん at 03:03 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月05日

人生は一冊の問題集 努力して解くことに人生の意味と自己変革(霊性の向上)があります

人生は一冊の問題集 努力して解くことに人生の意味と自己変革(霊性の向上)があります

古代エジプトに、図書館司書エラトステネスという人物がいました。
二千二百年以上前の人物で、夏至の日に井戸の底に太陽が見えるという話しを聞き、大いに関心を持ったそうです。
井戸の底に太陽が見えるなら、太陽は井戸の真上に来なければならない。そして、もし太陽が井戸の真上にあるのなら、まっすぐに立っている柱には影ができるはずがありません。
ところが、彼が住んでいるアレキサンドリアでは、夏至の日にも柱に影ができます。

紀元前三世紀、アレキサンドリアはもとより、世界中の科学者は地球が丸いとは誰も考えていませんでした。
しかし、エラトステネスは、もし太陽の光が直進し、大地が平坦ならば、どこにいても夏至の日には影ができるはずがないと推論しました。
ある地点では影がなく、他の地点では影ができるとすれば、論理的な説明は一つしかありえません。
大地は湾曲しているはずである。つまり、地球は丸くなければならないということになります。


エラトステネスの素晴らしさは、誰でも見逃してしまいそうな、日常的な小さな事実から、真理を発見したことであると思えます。
常に注意深く、自然を観察していたのかもしれません。

「視野の中にあっても目に見えないものはたくさんある。知覚の中に入ってこないからだ」と述べた人もいます。
視覚的に同じ対象を観察しても、知覚内容が違っていれば、同じものを見ていたとはいえません。

人は同じ環境に置かれていながらも、同じように考えているのではなく、実は見ている世界が人それぞれ違っている可能性があるということです。

フランスのモンテーニュは「人生の価値は時間の長さではなく、その使い方で決まる。長生きしてもむなしい人がいる」と述べています。

毎日を惰性で生きている人の人生と、問題意識を持って生きている人の人生では、年齢に関係なく人生の密度が全く違うことでしょう。
人生という時間の配分を、どれだけ魂にとって価値あることに費やしたかが、霊性の向上に関係してきます。

仏教においては、自分で心の中に蒔いた種をいかに育てるかという縁起の理法によって、人生の結果が変わってくると教えています。

哲学者のジェームズ・アレンも次のように述べています。
「すぐれた思考や行動から悪い結果が生まれることはない。間違った思考や行動から良い結果が生まれることもない。それはトウモロコシからトウモロコシ、イラクサからはイラクサしか育たないのと同じである。人はこの自然界の『原因と結果の法則』を理解しているにもかかわらず、自分の人生にその法則を活かせる人のなんと少ないことか」と述べています。


ソロモン王は「人は心に思い描いているとおりの人間になる」と言われています。この言葉はいろんな哲学者や心理学者、また偉大なる宗教家が教えている真理であります。
知識として知っていながら努力して自己変革をしようとしなければ、先ほど述べたように、
「視野の中にあっても目に見えないものはたくさんある。知覚の中に入ってこないからだ」ということになると思えます。

トルストイは、「誰でも世界を変えたいと思うが、自分を変えようと思う人はいない」と述べています。誰であっても相手に対する批評や世界に対して意見を述べることはできます。
しかし、自分自身を変革し霊性を向上させようという強い意志を持って行動する人は、ほんの一握りの人たちです。

人生は一冊の問題集であると言われています。
その問題は、本人にとってはそう簡単に解決がつくような優しい問題ではないでしょう。
しかし、本人に与えられた問題の内容は、転生輪廻の過程で解決できなかった宿題も含まれています。
あるいは、自分自身の弱点を克服するために苦難困難という形であらわれているのかもしれません。
それを解決しよう努力する過程こそ、霊性の進化につながると思います。

更に、自分の現時点での掴んだ悟りに応じた諸問題が起きてくるものです。
アルバートアインシュタインは「いま直面している問題は、その問題が発生した時と同じレベルの発想では解決できない」と述べています。
自分の成長にともなった相応しい問題が次から次へと出てくるので常に自分自身の向上を目指さなければなりません。
一つ一つの問題を解決していくごとに、魂に力がついてくるのでしょう。

人は自分の頭に思い描けないことは実現できないと言われていますが、いろんな局面でアイデアをひねりだしながら精神的成長を常に心がけなければならないと思います。

精神的な強さや勇気を持たないと、他人の言葉や意見に振りまわされる人生を生きることになります。

また、精神的に成長しないと現状のルールや固定概念に縛られて主体的な人生を送ることができなくなり魂の成長にとってもマイナスな人生を生きることになると思えます。

霊的視点から人生を考察したときに、与えられた諸問題の中に自分自身の魂の弱点を克服する課題が含まれており、努力して乗り越える過程こそ、霊性の向上に繋がると思います。



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posted by ガンちゃん at 23:35 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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