2018年05月13日

当時もエル・カンターレから叱られていたムハンマド

当時もエル・カンターレから叱られていたムハンマド


幸福の科学の資料を参考にします。

『コーラン』には以下のような内容が説かれています。
第74章(外衣に纏う者の章)、第75章(復活の章)
世界の名著 コーラン 中央公論社 参照
まず一つ目ですが、ムハンマド自身は、生前、無学文盲の人だったので、せっかくの神からの啓示を忘れないようにするために、アラーの神(及び指導霊団)から、説教されていました。

「とにかく何度も復唱・読誦せよ」
と命じられていたようです。
(前述のように、「コーラン」とは、元々「読誦せよ」の意。)

ところが、ムハンマドが、それをしばしばサボっていたのです。
すると、アラーの神が苦言を呈して、
「これ、ムハンマドよ。夜は起きて、勤行(読誦のこと)につとめなさい。夜の時間のうち(半分は寝てもよいが、残りの)半分は読誦をしなさい。
昼間は絶え間なく、俗事があるであろう

ムハンマドよ、主は知っていらっしゃるのだぞ。汝(なんじ)が勤行の時間を三分の二にしたり、半分に削ったりしていることを。
お前がそんなことをしたら、汝に従う信者達も真似する(何事もサボる)ではないか。
お前達の中には、病人もいれば、アラーのために、戦(いくさ)に出ている者もいるであろう。
だから、すべての者に同じように勤行せよと言っているわけではないのだ。
なので、できる範囲でよいから、勤行(読誦)に勤めなさい」と。

啓示を受けとる使命があるとしても、本人の自助努力を大きく超えて啓示を降ろすことはできないことを意味していると思います。
また、啓示の内容も、受け取る側の認識力の広がりに規定されていますので、自力に対応する他力という形になるのだと考えます。

 また、別のところでは、ムハンマドが霊言をするときに、とても焦っていたのをたしなめて、
「これこれ、そのように舌をこまかく動かして、急ぐものではない。
(啓示の言葉を)ムハンマドの心の中に集め、お前に詠ませるのは、我々(アラー)の仕事。我らが詠んであげるから、汝はついてくればよいのだ。(その言葉の意味は)後から我らが解き明かしてあげるから」
と、語りかけています。


更に以下は、ムハンマドがお金持ちのドン達と話をしているときに、一人の盲人が寄ってきて、しつこく"イスラム教の信仰"について問いただした時のことです。

ムハンマドがうるさがって、思わず眉をひそめたときに、それを見ていたアラーの神が、ムハンマドを叱った場面です。

「眉をひそめて、プイっとよそを向いたのは、盲(めしい)の男が来たためか?
(あんな乞食(こじき)に説教しても無駄だと信じているようだが)そんな彼とて、お前が熱心に説いて聞かせてあげれば、きよらかな身になって、立派な信者になるかもしれないのに、お前は、そういうことが分からないのか?
何の助けもいらぬ者(お金持ちや身分のある者)には、あれほど関心を寄せるくせに、心から神を懼れる(おそれる)者が寄って来ると、まるで素知らぬ顔とは、一体どういうことなのだ」と。

ムハンマドには、商才のあった方のようなので、ついつい大黒天に関心が向いたのかもしれません。
とはいっても、地上的な身分や金銭の多寡によって態度が違ってくるというのは問題だと思えます。

この点はキリスト教におけるイエス様とは、全く正反対という印象を受けます。
イエス様は、地上の権威に対して戦っていました。
そして、地上的な身分や金銭の多寡によって人間の価値が決まるわけではない。
どれだけ主を信じ(信仰心)愛を与えたか、その愛の質と量が人間の本質的価値を決めるのであるという立場だと私は考えます。

天上界でもキリスト教徒とイスラム教徒は、お互いにそっぽを向いているようですが、エル・カンターレから降ろされた霊示であっても、受け取る側の人間の個性や精進の姿勢によって霊言の内容が違って解釈されてしまうのかもしれません。

「それも大事だけれども、それ以外のことも、同じように大事なのだよ」
と、当時もエル・カンターレから叱られていたようです。





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2018年05月11日

中道的正しさの根拠 バランスの法則

中道的正しさの根拠 バランスの法則


物事はすべて対極的です。一方だけが完全に正しく、もう一方が完全に間違いということもありません。すべてにバランスの法則が作用しています。
そのバランス・中道を如何に見極めるかが大切です。

宇宙の重要な法則の一つに、このバランスの法則があると思います。
これは物理法則としては「作用・反作用の法則」として発見され、また仏教的に現れると「因果関係、縁起の理法」となり「まいた種は自分で刈り取る」ということになります。

観念論哲学になると「正・反・合の弁証法」として説明されています。

また、キリスト教的には「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」また、「剣をとる者はみな、剣で滅びる」という言葉に言いあらわされています。

そしてデカルトや孔子の言う中庸という考えにも、根底にはバランスの法則が反映されていると考えます。

過去の宗教家や偉人たちは、自分の宗教や思想にバランスの法則(作用・反作用 因果律等)をとりいれています。

このバランスの法則、中道的正しさは状況に合わせて自分で判断しなければなりません。

善悪の価値判断は、固定的ではなく「人」「時間」「場所」によって変わってきます。
世界は常に変転変化しており、環境や条件や対人関係などが変われば善悪が違って現れてきます。
ですから正しさとは固定的ではなく、条件などを考慮して判断する必要があります。
判断基準はもちろん仏法真理になります。

普遍的な愛の教えや、理念等は時代性や環境によって変わることのない絶対的な基準ですから、私達はこのような普遍性のある教えを学ぶ必要があります。

物事を中道的観点でより正しい判断をするためには、多様な価値観の中で共通する普遍的な部分を見抜く洞察力が大事であり、いろんな視点から物事を判断できる認識力の向上が必要です。

仏法真理という価値基準で世界を照らすと、仏の理想とする世界からはほど遠い状況です。

理念と現実のギャップが苦しみとして自分自身に 反射されます。

しかし、ギャップが同時に向上するための努力の原理にもなっています。



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