2018年05月23日

携帯電話に勝てない核ミサイル 情報の自由化と中国経済崩壊のシナリオ 

携帯電話に勝てない核ミサイル 情報の自由化と中国経済崩壊のシナリオ 


中国人の自由を求める声は、ますます強くなってきたと思えます。その背景にある最大の要因は、経済情勢の変化でしょう。
ここに来てさすがに、
「中国の(不動産)バブルの崩壊は時間の問題か?」という論調はずいぶん前から主流になってきましたし、見方によっては、「バブル崩壊は、すでに起きている」という声もあります。

確かに、株価の上海総合指数を見ても、ピーク時から既に20〜25%程度下落していますし、あちらこちらの大都市で、
「購入した2軒目のマンションの価格が、既に3割以上下落して、ローンで購入した中産階級の人々が、大挙して不動産屋に押しかけ、一触即発の状態になっている」という話は、日本の新聞にこそ出ませんが、現地の駐在員筋からはよく聞く話だそうです。

中国の金融当局が、
「日本のバブル潰しの失敗(日銀・旧大蔵省による)を詳細に研究している」
というのはよく聞く話で、「何とかソフトランディングさせよう」とやっきになっていますから、20年前の日本のような"極端な腰折れ"という形では現れないかもしれません。

しかし・・・

「中国の経済成長は、終わりを迎えつつある(すでに終わった)」
というのは、世界に共通した認識でしょう。

問題はそのあとです。
「最初の円切り上げ(1970年)を渋ったために引き起こされた大インフレ」
「二度のオイルショック(1973,1978年)」
「バブルの発生と崩壊(80年代後半)」
さらに、
「先進国の仲間入り(IMF(国際通貨基金)&OECD(経済開発協力機構)に加盟(1964年)をしたときの振舞い方」
など、様々な試練と経験を経てきた日本の眼から観ると、
「中国政府の人達が、明らかに気がついていないことがある」
ということが、見てとれます。
中国政府は、
「これから始まる景気後退は、一種の循環的なものであって、調整が終われば、再び成長軌道に乗せることができる」
と思っている節があります。
それに対してはっきりと断言できることがあります。それは何かと言うと、
「今のままであれば、彼らには、再び(高度)成長はやってこない」
ということです。

ここまでは、日本もかつて、来たことがあるのです。
ある意味で、この30年近くの間、中国がやってきたことは、かつての高度成長時代の日本とそっくりでした。
一応、自由主義経済ではありましたが、かつての「日本株式会社」同様、国を挙げて、「中国株式会社」をつくり、(何しろ未だに国営企業がGDPの半分以上を産み出しているのですから、かつての日本以上です)、国策で経済成長を推進してきました。

経済の発展段階が低い間は、あるいは賃金が低い間は、このやり方でいけるのです。
賃金が日本の数十分の一(百分の一)であった間は、シノモノ難しいことを言わずに、大した"創意工夫"をしなくても、国の保証でドーンと投資し、安い賃金を使って押していけば、日本を始め世界中から工場を集め、それを使って他国の商品を打ち破ることができるのです。

それによって、人々は豊かになります。(というより、「人民を豊かにすることができる」という一点のみが、今の中国共産党の唯一の存在根拠であり、この一点が実現できなくなったら、あっという間に共産党は放り出されるでしょう。)
そうやって、賃金は確実に上昇します。しかし、それによって、このやり方による成長は必ず壁にぶつかり、そのままでは、必ず一旦、経済成長は終焉を迎えるようになっているのです。

かつてはそうやって、中国は、アメリカや日本からマーケットを奪ってきました。しかし、賃金が(少なくとも沿海地域では)ここまで上昇してくると、その手が通用しなくなり、今度は自分達が、ベトナムなど、遅れてやってきた国々に、「もっと安い賃金によって、マーケットを奪われる」という同じ状況におかれることになるのです。


そこまで、経済の発展段階が進んできたときに、「それでも経済成長を続けたい」と願ったならば、必ずやらなければならないことがあります。
それが何かと言うと、アダム・スミス霊が言うように、「情報の自由化」なのです。

「国の保証でドーンと投資し、安い賃金で競争相手を打ち負かす」
という、日本株式会社(or中国株式会社)の単純なやり方は、やがてどこかで壁にぶつからざるを得ません。
賃金が上昇してきた時点でアウトです。

その先もさらに、経済成長をしたかったら、
「本当の意味で、経営者(企業)に自由を与え、創意工夫による"価値の創造"を促す」ことをやらない限り、その先の成長は、もう無いのです。


経済の発展段階が、ある一定規模を超えたら、「自由な経済活動」や「自由な情報のやり取り」を認めない限り、その先の経済発展は、100%無いと考えます。

「自由を制限しながら、なおかつ、経済発展が続けられる」
というのは、ここから先の世界では、まさに"幻想"であり、"妄想"であるのですが、このことを中国政府は、これから、嫌というほど"思い知らされる"ことになるでしょう。

中国政府には、もはや二つの道しか残されていません。
一つは、「これからも自由(情報のやり取り)を制限して、経済が衰退していく」という道です。

しかし、ひとたび豊かさを味わってしまった国民が、昔の生活水準に戻っていくことなど許してくれるはずもなく、「豊かさを提供できることが、自分達の唯一の正当性の根拠」であることを一番良く理解している共産党幹部は、それが出来なくなった瞬間に、「自分達の首が危なくなる」ことを一番熟知している人達でもあるでしょう。

もう一つの道は、「経済成長を続けていくためには、情報の自由を認めざるを得ない」ということですが、一旦、「情報の自由」を認めたら、エジプトやリビアのように、一気に自由主義国家、民主主義国家に変わらざるを得なくなるでしょう。

これが実は、アダム・スミス霊やドラッカー霊の言った、「携帯電話が核ミサイルに勝つ」ということの意味です。

また、「日本に未来はなく、一旦どん底に落ちて、植民地化されるだろう」と予言した西郷隆盛霊の言葉に対する質問に答えて、総裁先生がおっしゃった、「でも彼は、経済のことは知らないからね」という御言葉の真意なのです。


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posted by ガンちゃん at 19:41 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月20日

闇の支配圏を拡大する無神論 唯物論の呪縛

闇の支配圏を拡大する無神論 唯物論の呪縛

フランシス・ベーコンは随筆集のなかで以下のように述べています。
「少しばかりの哲学は人間の心を無神論に傾かせる。だが、哲学に深く入れば、人々の心は宗教の方にまた向かうことになる」

神がいない方が都合の良いという人々以外には、神を否定する必要性はないと思います。
神がいない方が都合の良いという存在は、悪魔でしょう。

霊的世界観を持たない仏教学者や唯物論的哲学者および神を否定する科学者達は、本人達が自覚しているかどうかに関係なく、闇の勢力に加担しているといえます。

神や霊を否定する現代の知識人といわれる人たちは、ヘラクレイトスの次の言葉に集約できます。
「人は自分自身の小さな世界の中で真理を求め、大きな一般的な世界の中で求めなかった」

神の存在を否定する人達は、自分自身の認識できる範囲、小さな自分の世界で真理を求め、大きな一般的世界つまり霊界を含めた世界観で真理を求めることをしなかった、そのような人達こそ「閉じた世界」を構築しているのです。

懐疑論(普遍的真理を確実にとらえることは不可能とする立場)などは、自分自身の小さな世界で真理を求めようとする人達でしょう。

唯物論や懐疑論と対立関係にあるのが信仰です。
信仰とは、論証したり他人を納得したりできないことを確実だと信じることです。

テルトゥリアヌスは「不合理なるが故に信ず」と述べています。

常識的には反理性的な立場に思えますが、人間の認識に限界がある以上、自己認識をこえた世界観に関しては、信じて探究する以外にありません。

哲学史では、信仰と理性あるいは知識との関係が問題になっていました。

アウグスティヌは信仰と理性は一致するものと考えていました。

トマス・アクィナスは信仰と理性は、相互の補充関係を認めていました。
つまり、信仰の世界に入る前にその宗教が正しい宗教なのかを理性的に判断する必要があります。
ですから、信じることと理性的判断は、相互に補完しあう関係にあるといえます。


プラトンは、肉体・物質よりも精神あるいは霊魂を尊重するピュタゴラス派やソクラテスの観念論的傾向を進めて霊肉二元論の立場をとりました。

肉体の道具(感官)で感覚されるこの世の個物は生滅変化するものであり、真の実在であるとは言えません。
真の不滅の実在とは普遍的なもの(概念的本質)は霊魂であるとする立場です。
霊魂や霊界といった純粋思考の対象を、イデアあるいは、エイドスとよびました。

イデアと感覚的世界(この世)の関係を光と影という関係で思考していたと思います。
イデアこそ実在であり感覚界(経験的個物の世界)は実在の影、あるいは原型(イデア)とその模倣(感覚界)とし二元的世界観を提示しました。

プラトンが述べているように、地上は実在界(霊界)の影であり、地獄界といわれる世界に近い位置関係にあります。
地上界の波動と地獄界の波動は、周波数が同通しやすく、相互に影響を与えあっています。

地獄霊や悪魔は自分の存在がバレなければ、好き放題に暗躍します。
唯物論的価値観が地上の人達に蔓延しますと、暗闇で暗躍する地獄霊や悪魔の思うつぼと言えるでしょう。
神を信じる力が強まれば、天上界の天使や神といわれる高級霊のエネルギーを引いてくることができます。信仰心は神と自分を結びロープですから、ロープを手放すと(信仰心を捨てる)と堕ちていく先は地獄であるといえます。

人生は意思決定の連続、あるいは選択の積み重ねです。
特に宗教や哲学、思想に関してはどれを選択するかで魂に大きな影響を与えることになります。

とりわけ正しい宗教は世界の人々にとって、とても重要であり地球の運命を決めるほどの力があると思います。




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posted by ガンちゃん at 23:13 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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