神や天使が存在する霊天上界からインスピレーションを受けるのに必要な人間のあるべき姿勢とはいかなるものでしょうか。
「勤勉な努力家」であることを条件にあげます。
霊的なインスピレーションを受ける前提条件の一つとして、普通の人間としての自助努力が大切であるといわれています。これは最低条件です。
努力することなく堕落した生活をして、天上界から光がおりてくることなどありえません。
地上に生を受けた人間として最低限やるべき自助努力を怠るようであれば、悪霊、悪魔の影響を受けてしまうことでしょう。
霊界には、その人を破滅させようと考えている邪悪な霊が存在していますから波長を合わせないようにすることが大切です。
まずは常識人として仕事や勉強において誠実に勤勉な生活態度を持つことが大事であると主は述べられています。
日常生活や仕事の中で心が乱れることが多々あると思いますが、それによって感情的になり怒ったりすることが自分以外の何かに依存しているとするならば、それは自分自身の心を制御できず心の主になっていないことを意味します。
どのような人にも、感覚器官をこえたより高次な認識、高次な世界にまで認識を拡げることのできる能力(可能性)が潜在化しています。
過去の歴史を振り返ってみても、神秘家やグノーシス派、ギリシャの哲学者など、古来より手で触ったりできる物質世界の事物と同じように、霊的世界、魂の世界も現実に存在すると語っています。
仏や神に対しての畏敬の感情、尊敬の思い、信仰心の大切さが言われています。
そして、どのような場合でも慎重な態度が必要です。
性急に霊的進歩を求めて(信者)としての自覚を忘れ、高貴、善良、もしくは物質的な現象感覚の一片でも神秘修行の過程で失うようなことがあってはならないと警告されています。
逆に自分の道徳的な力、内的誠実さ、観察能力を修行の過程で高めていかねばなりません。
基本的悟りの修行において、隣人や動物に対しての同情心、自然美に対する感受性をたえず高かめていくように努力しなければなりません。
この意識的な努力を怠ると、同情心も感受性も修行の過程で失われてしまう可能性があります。
霊界にある智慧を受け取ることができる自分になるには、「専門外の分野にも踏み込むこと」が必要です。霊界の秘儀を受け取るに相応しい人とは、人知れず努力している人のことです。
仏法を何回も深く読み返し確実に理解しながら、自分の魂の傾向性を変えていく必要があります。
そして過去の偉人たちが説いてきた哲学、思想、文学、歴史、政治経済、芸術などできる限り幅広く学んでいく姿勢が大事であると思います。
なぜなら、一つの領域しか知らないと、下からの惑わしをチェックできない場合も考えられるからです。
多様なる価値観を知ることで、インスピレーションの内容をいろんな角度からチェックをすることができると思えます。
真剣に超感覚的認識を求める人、霊的世界に参入しようとする人は、自分に対し高次の秘密に導いてくれる導師を見出すまで、どんな努力も、どんな障害も恐れてはいけないということがいわれています。
そして、認識への正しいまじめな努力が存在するとき、どんな状況下にあっても、伝授する側がその人を必ず見つけ出してくれるということです。
仏は1人1人の努力精進を間違うことなく見続けていてくださるということだと思います。
更に、目には見えない尊い存在を信じる(信仰心)ことが大切です。
疑いの心、猜疑心は悪魔に通じる心の状態であるといえます。
現在の我々の時代は、目に見えない尊い存在を信じること崇拝することに関して最も注意を払う必要があるといえます。
現代の物質文明は、目に見えない尊い存在に対して尊敬したり、献身的になり、崇拝したりするよりも批判したり、酷評したり、裁いたりする傾きがあります。
どんな裁きも批判も魂の中の高次な認識力を失わせてしまう毒素であるといえます。
魂の栄養素としての尊敬、畏敬の思い、敬意などの感情を健全で力強いものにしていくことで、認識活動に活力を提供することが可能であると思います。
しかし、認める価値のあるものを過小評価したり、軽薄したり、反感を感じたりすることは、正しい認識活動を麻痺させ、不活発にします。
さらに天上界の英知を引いてくるには、「情報遮断」・「情報収集」この両方が重要であるといわれています。
情報を取らなければ、新しいものを生み出すことができないので情報は必要です。
しかし、情報の洪水の中でどう生きるかが大事であり、現代では情報収集と情報遮断の両方を使い分けた人が、正しいインスピレーションを受けるための条件を満たしていると考えられます。
19世紀の思想家カーライルという人は、「ハチは暗闇の中で蜜をつくる。脳は沈黙の中で思想をつくりだす」といわれ、沈黙の大切さを説いています。
誰にも邪魔をされない「孤独な時間」を取ることで考えを煮詰め“蜜”をつくるということです。
「孤独の時間」をとることの重要性を書きましたが、沈黙、静寂の時間の中で本質的なもと過ぎ去るものを区別し、思考内容を整理していきながら生活していくことが次の道を開いていくことになると思います。
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