2018年04月08日

ユングの霊的体験と心理学の限界 憑依の原理 波長同通の法則と縁の法則

ユングの霊的体験と心理学の限界 憑依の原理 波長同通の法則と縁の法則


ユングには宇宙即我に近い経験があります。
1944年頃、心筋梗塞と足の骨を骨折してしまうという災難に見舞われてしまいます。
意識損失のなかで譫妄状態になり、いろんな幻像(ヴィジョン)を見たそうです。

後日、付き添いの看護婦さんに「まるであなたは、明るい光輝に囲まれておいでのようでした」と言われ更に、「そういった現象は死んでいく人たちに何度かみかけたこと」だと言われたそうです。

本人は死の瀬戸際まできて、夢なのか、忘我の陶酔の中にいるのか分からなくなったそうです。

「私は宇宙の高みに登っていると思った。はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのが見え、そこには紺碧の海と諸大陸がみえていた。脚下はるかかなたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。私の視野には地球全体は入らなかったが地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭はすばらしい青光に照らし出されて、銀色の光に輝いていた。・・・・・・
どれほどの高度に達すると、このように展望できるのか、あとになってわかった。それは、驚いたことに、ほぼ1500キロメートルの高さであった。」
ユング自伝 みすず書房

表面意識が沈静化し、霊的な自分が肉体の束縛から解放され、魂が上昇し地球を見下ろしたのでしょう。

更にユングはこのように述べています。
「かの内的状態があまりにも夢幻的に美しかっただけに、それとひきくらべこの世界は、あまりにも愚かであった。この世界での生活に、再び近づくにつれて、かの内的状態はますます淡くなっていく」


ユングの生徒であった六十歳の婦人が死亡する二か月前に見た夢を、ユングは特に大切に思っていたようです。
「彼女は夢であの世に行った。何かの学級が開かれているようで、彼女の死んだ友人たちは前列で座っていた。皆の期待感が高まっていた。彼女は、教師か講師がいるだろうと見まわしたが、誰もいなかった。そうするうちに、彼女自身が講師であることが判明した。というのは、死ぬとすぐに、人は存命中のすべての経験について述べねばならないのだ」と書かかれています。

ユングは霊的世界を知っていました。自分の体験もふまえて霊の存在、霊的世界をも認識していました。

霊的世界を認識したうえでの心理学は、人を救済する力が宿っていると思います。
しかし、唯物論・無神論が根底にある心理学は非常に危険性があるといえます。

心理学にかけている致命的問題点は、霊的世界に対しての取り組みが甘い点であると思います。
スウェーデンボルグは、人間は霊界からの影響をうけ、自分の考えで行動していると思っていながら、実は霊に支配され自分の考えではないものの考えで行動していると述べていたと思います。
霊に憑依されることで自分でない者の考えに支配されてしまい、操られている自覚を持つことができずに、自分の考えで行動していると錯覚します。
(しかし、憑依されるということは、波長同通の法則に従って、自分自身の心の中にも憑依してくる霊存在と同じ考えを持っているといえます)

憑依とは『霊界のある存在が、ある人に、コンスタントに(ときには一時期のみのこと)憑いて、影響を及ぼしている状態』神秘の法参照
と定義できます。

精神障害と判断され、様々な病名をつけられ病院に隔離されますが、悪意のある霊がその人を破滅させようとしてとり憑き、錯乱している可能性もあるわけです。

また、悪意がない霊であっても自分が死んだこと対しての自覚がなく、家族にとり憑き不幸にしている場合もあるようです。

ですから霊を否定することをすべてと考える唯物論的価値観は地獄領域を拡大させてしまいます。

永遠の生命である人間の霊性を信じることができない心理学者には、人を救う力はないと考えます。

また、宗教家であっても法力を持っている人は少なく、憑いている霊を外せる力を持っていません。
法力とは霊的能力、霊的パワーと定義してもよいかもしれません。

唯物論的な考えが浸透しているのは心理学だけではなく、哲学あるいは仏教にも唯物論がはびこっています。

本来の哲学とは、人間の尊厳や精神性、霊界について論理的に説明することにありましたが、現在は、客観的証明ができず学問の対象外にされてしまい、霊的世界の解明には無力です。

また、仏教学者であっても死ねば終わりと考えている人が多く、僧侶であっても仏陀は死んだら終わりだという教えを説いたと考えています。
(間違った無我の解釈で、現在の仏教学では無我とは死んだら終わりだと解釈されています。これが悟りのわけがございません。本来の意味は自我に基づく執着を取り去りなさいという意味であります)




また、空海の思想である「秘密曼荼羅十住心論」を唯物論的に解釈して、空海は霊的世界を否定していると説明する仏教学者もいるようです。

このような唯物論的解釈をする哲学者や宗教学者こそ精神病院でおとなしくしていたほうが、死後、後悔することが少なくて済むのではないかと思います。


心理学、哲学、宗教はすべて、霊的世界観なくして語ることは許されないと考えます。




ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 23:41 | Comment(4) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月07日

過去世で努力してきた蓄積は潜在意識の力となる 立法・義務をこえているキリスト教精神

過去世で努力してきた蓄積は潜在意識の力となる 立法・義務をこえているキリスト教精神


人間の思考活動とは、霊界における霊的存在としての自己の経験が、肉体に宿ったときにその人の先天的(アプリオリ)思考形式になります。
実人生における自分自身の考え方の基礎には、霊的世界で生活していた時の記憶が影響しているということです。


更に、霊的世界で生活していた以前の人生、過去世で培われた能力も潜在意識の働きとして、今回の実人生に影響していると思えます。

ヘーゲルはギリシャのプラトンの生まれ変わりで、プラトンはイデアこそ真の実在で、地上はイデアの投影であると述べています。
プラトンとしてギリシャに生まれた時は、霊的世界を実体験として認識していました。

ところがヘーゲルは直接的な霊的能力で真理を明らかにするというより、近代の要請にこたえて、合理的、理知的に語ることが主眼であったと教わっています。

ヘーゲルはギリシャに強い憧れをもっていたことは有名です。
ギムナジウム時代にヘーゲルは、ギリシャ文明、特にギリシャ悲劇にたいへん心を惹かれていたそうです。このことは最後までヘーゲルの心に残っていて「ギリシャという名を聞くと、教養あるドイツ人には故郷を思わせられる気がする・・・このヨーロッパに現にあるもの、学問と芸術、すなわち、およそ我々の精神生活を満足させ、向上させ、美しくするものはすべて直接、あるいは間接的にギリシャから得ている」と述べています。


また、カントは『実践理性批判』のなかで、「何か良いことをするとき、その背後にある自分の感情(表面的に良いことだからとか、自分がほめられたいため等)があったら、その行為は、事実上、正しいという意味で合法的であっても、道徳性がない」と述べています。

つまり、道徳性のある行為とは、道徳律に基づいてなされる行為である。
道徳律とは、「汝はそうしなければならない。だから、そうすることができる」という理性的な命令であり、人間の義務としています。

カントの過去世は、旧約聖書の預言者ダニエルで、ユダヤ人の戒律的な考え方の影響が義務というかたちで、現れていると思えます。

カントの道徳律を、キリスト教精神・イエス様の愛の精神と対比させて考えてみます。
「人を殺してはならない」という立法の命令があります。
カント的には、「いかなる理性的存在者の意志にも妥当するものと認められる原則」であり「普遍的立法の原理として妥当しうる原則」とされますが、イエス様はこのような命令に対して、愛の一様態である『和解』という一層高次の精神を対置させています。
それは、単に立法にもとる行為をしないというだけでなく、むしろ、かの立法を全く不要と化すものであり、それにとっては立法のような貧しいものは存在しなくなるほどに、はるかなに豊かな生き生きとした充実をその内に宿すのです。
ヘーゲルキリスト教の精神とその運命 参照

キリスト教精神を体現することで、立法によって規制されなくとも法を犯すような行為をすることがありません。
精神が未熟であれば、法律によって外部から強制的に行動を規制する必要があるでしょう。
人か見ていなければ物を盗み、バレなければ何をしてもよいと考えている人間は、本能のままに生きている動物と同等であるといえます。

キリスト教的精神は遥かに高次の要求を人間につきつけてきます。
そこには法によって束縛されているという不自由さはなく、自由に考え自由に行動していながら、決して法を犯すことなどない精神です。

イエス様は愛において、立法や義務を廃棄することを最高のものとしました。





ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 12:17 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。