ユングには宇宙即我に近い経験があります。
1944年頃、心筋梗塞と足の骨を骨折してしまうという災難に見舞われてしまいます。
意識損失のなかで譫妄状態になり、いろんな幻像(ヴィジョン)を見たそうです。
後日、付き添いの看護婦さんに「まるであなたは、明るい光輝に囲まれておいでのようでした」と言われ更に、「そういった現象は死んでいく人たちに何度かみかけたこと」だと言われたそうです。
本人は死の瀬戸際まできて、夢なのか、忘我の陶酔の中にいるのか分からなくなったそうです。
「私は宇宙の高みに登っていると思った。はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのが見え、そこには紺碧の海と諸大陸がみえていた。脚下はるかかなたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。私の視野には地球全体は入らなかったが地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭はすばらしい青光に照らし出されて、銀色の光に輝いていた。・・・・・・
どれほどの高度に達すると、このように展望できるのか、あとになってわかった。それは、驚いたことに、ほぼ1500キロメートルの高さであった。」
ユング自伝 みすず書房
表面意識が沈静化し、霊的な自分が肉体の束縛から解放され、魂が上昇し地球を見下ろしたのでしょう。
更にユングはこのように述べています。
「かの内的状態があまりにも夢幻的に美しかっただけに、それとひきくらべこの世界は、あまりにも愚かであった。この世界での生活に、再び近づくにつれて、かの内的状態はますます淡くなっていく」
ユングの生徒であった六十歳の婦人が死亡する二か月前に見た夢を、ユングは特に大切に思っていたようです。
「彼女は夢であの世に行った。何かの学級が開かれているようで、彼女の死んだ友人たちは前列で座っていた。皆の期待感が高まっていた。彼女は、教師か講師がいるだろうと見まわしたが、誰もいなかった。そうするうちに、彼女自身が講師であることが判明した。というのは、死ぬとすぐに、人は存命中のすべての経験について述べねばならないのだ」と書かかれています。
ユングは霊的世界を知っていました。自分の体験もふまえて霊の存在、霊的世界をも認識していました。
霊的世界を認識したうえでの心理学は、人を救済する力が宿っていると思います。
しかし、唯物論・無神論が根底にある心理学は非常に危険性があるといえます。
心理学にかけている致命的問題点は、霊的世界に対しての取り組みが甘い点であると思います。
スウェーデンボルグは、人間は霊界からの影響をうけ、自分の考えで行動していると思っていながら、実は霊に支配され自分の考えではないものの考えで行動していると述べていたと思います。
霊に憑依されることで自分でない者の考えに支配されてしまい、操られている自覚を持つことができずに、自分の考えで行動していると錯覚します。
(しかし、憑依されるということは、波長同通の法則に従って、自分自身の心の中にも憑依してくる霊存在と同じ考えを持っているといえます)
憑依とは『霊界のある存在が、ある人に、コンスタントに(ときには一時期のみのこと)憑いて、影響を及ぼしている状態』神秘の法参照
と定義できます。
精神障害と判断され、様々な病名をつけられ病院に隔離されますが、悪意のある霊がその人を破滅させようとしてとり憑き、錯乱している可能性もあるわけです。
また、悪意がない霊であっても自分が死んだこと対しての自覚がなく、家族にとり憑き不幸にしている場合もあるようです。
ですから霊を否定することをすべてと考える唯物論的価値観は地獄領域を拡大させてしまいます。
永遠の生命である人間の霊性を信じることができない心理学者には、人を救う力はないと考えます。
また、宗教家であっても法力を持っている人は少なく、憑いている霊を外せる力を持っていません。
法力とは霊的能力、霊的パワーと定義してもよいかもしれません。
唯物論的な考えが浸透しているのは心理学だけではなく、哲学あるいは仏教にも唯物論がはびこっています。
本来の哲学とは、人間の尊厳や精神性、霊界について論理的に説明することにありましたが、現在は、客観的証明ができず学問の対象外にされてしまい、霊的世界の解明には無力です。
また、仏教学者であっても死ねば終わりと考えている人が多く、僧侶であっても仏陀は死んだら終わりだという教えを説いたと考えています。
(間違った無我の解釈で、現在の仏教学では無我とは死んだら終わりだと解釈されています。これが悟りのわけがございません。本来の意味は自我に基づく執着を取り去りなさいという意味であります)
また、空海の思想である「秘密曼荼羅十住心論」を唯物論的に解釈して、空海は霊的世界を否定していると説明する仏教学者もいるようです。
このような唯物論的解釈をする哲学者や宗教学者こそ精神病院でおとなしくしていたほうが、死後、後悔することが少なくて済むのではないかと思います。
心理学、哲学、宗教はすべて、霊的世界観なくして語ることは許されないと考えます。
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