2018年04月30日

地球を守る愛の力

地球を守る愛の力

以前、テレビで見た覚えがあるのですが、内容はだいたい以下の通りです。

豹がまだ子供の頃、ヒヒに襲われたのですが木の影に隠れて、なんとか危険から逃れ生きのびることができました。やがてその豹は大人になり、逆にヒヒを獲物として襲うシーンがありました。
その襲われたヒヒの足にはまだ子供のヒヒがしがみついていました。
豹はその子供のヒヒに気がついて、子供のヒヒを襲うと思われましたが、その豹は子供のヒヒを襲うどころか助けてあげたのです
そして、臭いをかぎつけてやってきたハイエナをも追い払っていました。
また、夜となく昼となく子供ヒヒを見守っていました。
豹がまだ子供だった頃の思いが残っていたのでしょうか。
豹の肉体に埋め込まれている本能より、愛の気持ちが勝っていたのでしょう。
私はそのように信じたいと思います。
これが愛の力である思います。

宇宙には、愛を価値なきものと考え、力こそ正義という価値観のもとに活動している宇宙人がいます。
弱肉強食の世界で生きている宇宙人であり、愛や慈悲が弱さに見えるようです。
弱い者は滅ぼされて当然という価値観です。

はたして弱肉強食という価値観が宇宙の普遍的正しさなのでしょうか。
私はやはり違うのではないかと考えます。

宇宙自体は、私達地球人を含めたすべての宇宙人の存在をはぐくんでいるように思えます。
宇宙の存在自体が生命ある生き物すべてをはぐくんでいる以上、宇宙の普遍的価値は愛であるといえます。
弱肉強食の価値観とは、自分のこと以外に考えが及んでおらず、自分が相手の立場になって考える、あるいは逆の立場になった時どのように感じるか等の視点が全く欠落しています。
自分がもし、滅ぼされたり餌にされたりしたらどのような気持ちがするのだろうかという観点がまるでないのでしょう。
宇宙の存在をあらしめている力とは、根源の神から流れでる愛の大河であり、その愛の大河というエネルギーの供給によってすべの存在が生かされているといえます。

宇宙の調和を乱す行為、そのような想念は必ず反作用をうみ自分自身に跳ね返ってくることでしょう。

人間を含めたすべての生命体(動物、植物、鉱物)はすべて根源の神によって生かされています。
どのような力を持った霊的存在でも根源の仏や神によって生かされています。
生かされているということは、消されてしまう可能性もあるということです。その霊的生命が現実に今あるということは、仏や神の愛や慈悲の中を生きているということです。


存在がない無の状態からエネルギーが発生して有の状態になる時、かならず陰と陽、光と闇、プラスとマイナスというように対発生します。
人間としての魂の修行は、対極にある存在を通して、自分の長所や短所、強みや弱みを理解出来るようになるのかもしれません。
また自分に欠落しているところを相対的に相手から学ぶことができるのかもしれません。
そのように考えてみますとある程度そのような存在が許される理由もわかるような気がします。

かつて大天使であったルシフェルが地獄に堕ちてサタンになりました。
現時点の座標軸で切ってみれば、これは完全なる悪であります。
しかし、1億年という単位ではなく更に永い時間の流れの中で考えてみますと一概に言えないものがあります。
悪として現れているものの中に一つの大きな教訓があるかもしれないのです。
これは根本仏の巧妙な教育方法であり「大天使が地獄に落ちてサタンとなり、現在も地獄にいる」という事実自体が、実は八次元霊や九次元霊を強力に教育しているかもしれないのです。
復活の法 参照

地獄世界が裏宇宙との繋がりがあり、邪悪なエネルギーを引いてきて地獄の存在をあらしめているようです。
悪想念が一定以上たまって大陸の沈没などがおき、その大陸に住む人類がいったん滅んだなら、地上からの悪想念の供給が一時期無くなるはずです。

ですから、一定の時間が経過したなら地獄界が縮小してもいいのではないかと単純に思っていましたが、裏宇宙からの力が働いていたとは思いもよりませんでした。

地球の地獄を消滅させるには、裏宇宙からのエネルギーの供給を食い止めなくてはいけません。
更に、地球人としての正しさ、価値観を弱肉強食という動物的価値基準ではなく、愛に基づく切磋琢磨に切り替えていく必要があります。

愛が弱さとして現れると滅ぼされる原因になる可能性があるので、智慧が必要であり悪と戦う勇気が大切です。
豹は本能的には肉食でありながら、豹が子供の時に襲われたヒヒに対して、そのヒヒの子供を守ろうとしました。
これが愛の力です。
魂が肉体に宿りながら、精神は肉体の本能を乗り越え他者を守ろうとする力こそ地球を守る愛の力です。

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posted by ガンちゃん at 11:42 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月29日

因果応報 前世・現世・来世の流れでみる縁起

因果応報 前世・現世・来世の流れでみる縁起


人生は四苦八苦と言われるように、霊的世界から見たらこの物質世界はかなり厳しい修行の場です。
生とは、生まれてくる苦しみです。
老とは、老いていく悲しみです。
病とは、病気等による肉体的な苦痛を伴う苦しみです。
死とは、未知なる世界に対しての恐怖です。
「愛別離苦」愛するものとわかれる苦しみです。
「怨憎会苦」嫌な人と会う苦しみです。
「求不得苦」求めても得られない苦しみです。
「五陰盛苦」肉体に基づく欲望を押さえることができない苦しみです。

以上が四苦八苦と呼ばれているもので、基本的に地上に生まれてくることに伴う、避けて通ることのできない絶対苦です。

四苦八苦以外にも仕事に対しての問題解決能力の不足が原因で悩み苦しみ、貧困で苦しみ、と数えればきりがないと思えるぐらいの苦しみがあります。
しかし、
「人間は、たとえ、亡くなる時点において、他の人から尊敬される立場に立っていなかったとしても、その思いと行いが正しいものであれば、あの世に帰ってからきちんとそれなりの判定がされる」
これが仏教における因果応報であると思います。

よく勘違いされるのは、私は宗教を信じ、神を信じているのに神様は私を助けてくれなかった、だから、私は宗教を信じないし神様も信じません」という人達です。

それに対する答えは、信仰者であっても困難苦難はあるかもしれません。
しかしそれは、「信仰の是非あるいは善悪」の結果として受け取らないで下さい。ということです。

実人生に何も困難苦難がなく、無事に過ごすことができれば幸福かといえばそうではありません。
霊的観点からみて地上に生まれたにもかかわらず、何の試練もなく霊界に帰ることになれば、それは地上いるときと価値観が逆転して後悔することになるでしょう。


艱難辛苦は、魂を鍛えるために用意されている砥石ですから、しっかりと磨かなければなりません。


ドイツ観念論哲学のフィヒテは、以下のように述べています。
「人間が進歩発展するプロセスのなかには、霊的な力がはっきりと顕現していて、哲学者はそのような人間一人ひとりの内なる進歩発展の原動力の奥深くまで認識の眼を向け、魂の根源を認識の光で照らしださなければならない、それが哲学者の最も大事な課題なのだ。」

人間の精神が進歩発展する為には、自己に対しての霊的視点や、魂の根源にまで目を向けなければなりません。

地上的な観点だけで人生観を考察しますと、悪い人が得をして、まじめに生きている人が損をしているように見えなくもありません。

しかし、霊的世界を含めた人生観からすれば、原因に対応する結果は、必ず本人に跳ね返ってくることでしょう。

太陽の光が、善人悪人に関係なくすべての人に降り注ぐように、宇宙の法則あるいは霊的法則はすべての人に平等に働いています。

ですから、地上的な視点で原因・結果が成立していないと思えても、霊的世界を含めることで完全に縁起の理法が成立します。

宇宙をあらしめている力と人間をあらしめている力は同質なのでしょう。
宇宙の調和を乱す思いや行為は、必ず反作用が働きます。
宇宙にはバランスの法則が働いているからです。

宇宙を知るには、自分自身の内なる探究が必要であると思います。
太平洋の海水と一滴の水は、量的にいえば比較なりません。
しかし、海水も一滴の水も元素記号は同じという点で共通しています。
太平洋の海水(宇宙)を知ろうとすれば一滴の水(個人)を探求することで宇宙の秘密を知る手かがりがわかるかもしれません。






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posted by ガンちゃん at 20:39 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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