2018年02月17日

人間は信仰心で強くなる 悪に対して戦う遺伝子

人間は信仰心で強くなる 悪に対して戦う遺伝子

「正義に合致する宗教は、なにものも抗うことはできない」
と言われた人がいます。

宗教的な人は、善人ではあるのですが外敵に対して戦う遺伝子を持っていない場合があります。
地上は天国とは違うので、善と悪が入り乱れています。
むしろ、神に対しての反対勢力のほうが地上的力を保持しています。
正しいことを実現するには、強さが必要です。
強いからこそ、人に対して優しくできるのです。

福音書でイエス様は言われました。
「目は心の明かりである。」
目が曇っていたら、心も曇っていると思います。
肉体器官の中で、目は霊的自己を映し出す鏡です。
ですから、目が霊的光を宿すまで精進する必要があると思いますが、その過程で精神的強さを培う必要もあります。

アインシュタインは、宗教指導者の残した功績をたたえています。
「科学の探究によるすべての業績よりも、仏陀やモーセやイエスのような人たちの功績のほうが、ずっと大きな意味があります。
人類が人間としての尊厳を守り、生存を確保し、生きる喜びを維持し続けたいなら、これらの偉人達が私達に与えてくれたものを、全力で守り続けなければなりません。」

未知の世界を切り開き、生活を便利にするという意味で科学は素晴らしい功績をのこしています。
しかし、科学の発展と人間の幸福あるいは霊的進化は、完全にイコールではないと思います。
とくに問題なのが唯物論的思考形式の似非科学者達の存在です。
彼らは、実験的に確認できないもの、客観的証明が成立しないものに関して全否定します。
神の意志を否定し、わからないことはすべて偶然に持っていくのが彼らの特徴です。

人間には認識の限界があり、まだ解明されていない多くの問題があるという観点を持っていればよいのですが、神や霊という存在を3次元的材料では証明できないことを理由に、否定し“ない”ということにしてしまいます。
証明できない理由は、神や霊は物質世界を超えた高次元世界の存在だからです。
下次元の物差し(測定機)では、高次元の存在を測りきれないのです。

イエス様は更に言われています
「心をいれかえて幼子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
この幼子のように自分を低くするものが、天国でいちばん偉いのである。」

自己中心的な心を押さえて、謙虚な人が天国にはいれる人なのでしょう。
謙虚さがなければ人間はすぐに傲慢になります。
神を恐れなくなるのです。
幼子のようでなければ天国にはいれないという教えの根拠は、波長同通の法則にあります。

デカルトは、「もしも、神を畏れることも来世の期待もないとするならば、悪徳よりも美徳を選ぶ人はほとんどいないでありましょう」と述べています
現代という時代は、神を恐れていませんし転生輪廻も信じていませんから、悪徳のほうが広まっています。

マルクス・アウレリウスも次のように述べています。
「見せかけの微笑を見せたり、心に仮面をかぶったりしない、真心のこもった、裸のままの親切には、人は決して抵抗できないものだ。もしこちらがあくまでも親切を続ければ、たとえ良心の一かけらもない人間でも、必ず受け入れてくれるだろう。」

見せかけ、つまり偽善では人の心を開くことはできないのです。
イエス様の時代にも、あえて人前でお祈りをするような人たちがいました。
外に向かって自分には信仰心があるというアピールです。
イエス様は、誰もみていない部屋で、一人にて神に祈れという意味の言葉を述べていたと記憶しています。
見せかけの信仰心では、何かの事件をきっかけにもろくも崩れていくことでしょう。
自分に自信がないから、表面だけ取り繕うとするのです。


デール・カーネギーは以下のように述べています。
「相手は間違っているかもしれないが、彼自身は自分が間違っているとは決して思っていないのである。だから、相手を非難しても始まらない。避難はどんな馬鹿ものにでもできる。理解することに努めなければならない。賢明な人間は、相手を理解しようと努める。」

自分と考えの合わない人に対しても、少なくとも理解しようと努力する自分にならなければなりません。

しかし、確信犯的に間違ったことをしている人に対しては、厳重に注意する必要があります。
確信犯的に悪を行っている人は、ほとんど人の注意や警告に耳を傾けることはないでしょう。
偽善者と同じで、本心は自分のことしか考えていないのでしょう。


本当の信仰心は、人間を強くします。悪に対して立ち向かう勇気がでてきます。
そして、強い人ほど人に対して優しいのです。
優しい人には、周囲の人が集まってきます。


ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 13:45 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月15日

神話に隠された真実 日本の歴史を『古事記』『日本書紀』から学び日本人の根性を取り戻せ

神話に隠された真実 日本の歴史を『古事記』『日本書紀』から学び日本人の根性を取り戻せ


日本人が自虐史観、左翼史観をぶち破り日本人としての気概と誇りを取り戻すには、『古事記』や『日本書紀』までさかのぼって研究しければなりません。
そこを全部切り捨ててしまったら、日本の歴史の真実の価値を見出すことはできないと思えます。
神代の時代までさかのぼって学ぶことで、私たち日本人は誇り高い優秀な民族なのだという自覚が芽生えてくると思います。

私自身もギリシャ神話など読んでいた時期もありましたが、自分の中ではあまり神話自体に価値を置いていませんでした。
しかし、日本の神代の時代に登場する神々が霊言を通して語られる内容は、日本民族としての誇りや素晴らしさであり、同時に、左翼史観、唯物的価値観という間違った考えに対しての警告であったと思います。

先の大戦以前には、『古事記』『日本書紀』は、日本人の歴史観の根底にありました。

「古代の歴史を知るには考古学しかない」とする考えは非常に危険です。

ハイリッヒ・シュリーマンは19世紀後半、ミケーネやトロイの遺跡を発見して世界中を驚愕させました。
19世紀の大学の歴史の教授がそれまで否定してきた古代文明の跡が発見されたのです。
シュリーマン以前の一部の古代史より、ホメロスの叙事詩のほうがはるかに正確だったのです。

考古学的科学的に歴史を調べようとしても、今頃発見された、貝塚や石ころや木片からでは、当時の時代背景、宗教的な意味、当時の人たちの価値観はわからないでしょう。
科学では、過去の時代の人々がどのような価値観を持ち、どのように考え行動してきたかがわからないのです。

古事記も日本書紀も象徴的に書かれている部分もあると思います。
「いにしえをいにしえの目で見る」と述べた学者がいます。
古代の人たちの知るには、古代人のものの見方や考え方を知らなければなりません。
現在の価値観で歴史を分析しても、正しく歴史を知ることはできないでしょう。
観念論哲学のヘーゲルも同じ意味のことを述べていたと思います。

古事記には、島は神様がつくったという伝承から始まります。
島を神様がつくったかどうかは別にして、当時の日本人は、日本が島国であることを知っていたのかもしれません。

どうして、何千年も前に日本が島国だということが分かっていたのでしょうか。

ニギハヤヒノミコトは、天孫降臨のとき、天磐船に乗って空から見たので“虚空見つ日本の国”(そらみつやまとのくに)と言ったと記されています。

この記述をそのままに受け止めると、ニギハヤヒノミコトは天磐船という乗り物から日本を見下ろした経験があることになります。

日本列島全体が島として認識できる上空とはどのくらいの高さでしょうか。

竹取物語のかぐや姫も昇天したことになっていますから、古代日本の歴史には宇宙との交流があったかもしれません。


戦後教育における自虐史観的歴史認識で、子供たちに歴史を教えてはなりません。

渡部昇一氏は「歴史家が個別の事件をくわしく調べるのは結構です。しかし、子供たちに教えるときには、日本という国の美しい『虹』を見せなければいけないのです」と述べていました。


私達が日本人としての誇りを取り戻すためには、正しい歴史認識が必要です。
私達の先祖が立派に生きてきたからこそ、自分達も頑張ろうという勇気がおきてきますし、日本人としての自信と誇りを持つことができると思います。



ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へにほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村 にほんブログ村 幸福の科学 ブログパーツ
posted by ガンちゃん at 02:44 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。