カントがいう時間と空間の意味とは、精神的意味のおける時間と空間です。
感性の直観的形式としての時間と空間、外界を感覚する際の、直観の根本形式としての時間・空間を意味していると思います。
ですから、カントは時間、空間を「精神の主観的な条件」「内観の形式」「直観形式」と述べています。
カントが考察した時間・空間は物理的な時空間とは違います。
時空間の本質を考えていたのではなく、人間の直観に対応する範囲での限定された時間・空間です。
人間の感性的直観では、時空間の本質を客観的に知ることはできません。
時間・空間の本質を知ろうとするならば、カントが認識できないとした物自体の世界に入り込んでしまいますのでそれほど深く考察する必要はないと判断したのかもしれません。
人間の直観は、時間・空間という規定された範囲の中に限定されていますので、カントは直観の根本形式としての時間と空間を考えたのだと思います。
人間の直観は、時間と空間に制約された範囲で働く以外にはありません。
対象を直観し次に何かを直観する時点で、すでに時間が経過しています。
人間は直観を得る時点で、すでに時間の経過と空間を想定せざるを得ません。
人間は同一時刻に同一空間において、複数の直観を得ることはできません。
人間の直観は、空間と時間の流れの中に、既におかれているといえます。
ですから、直観の根本的形式としての時間・空間がアプリオリ(先天的)にあると規定せざるを得ません。人間は時間・空間という枠組みを超えて、直観することは不可能です。
そのような意味でカントは空間・時間を直観の根本形式としたのです。
例えば、経験を超えた宇宙の誕生まで時間をさかのぼってその宇宙発生の原因を探求しようとも、人間理性はアンチノミー(二律背反)に陥ることになります。
ビックバンで宇宙が誕生したとも言えるし、宇宙はビックバンで誕生するわけがないとも言えるからです。
人間には直観できない(経験することができない)現象を超えた無限の世界に関しては、たとえその理念が実在したとしても、その理念は論証不可能であり客観的認識として語ることのできない根拠なき理念として却下されることになります。
なぜなら、論証できない理念は、妄想空想と区別がつかない夢想と同じ次元だからです。
カントが述べている時間・空間は、現象に対しての時間・空間であり人間が直観するときに従わざるを得ない精神的規定です。(直観のための主観的形式)
人間の理性認識では時間と空間の本質は知ることのできない限界であり、存在の根本原因を認識することは不可能です。
人間精神が時間と空間という規定に基づいて世界を見るからこそ、世界の現象は必然的に時間と空間という中で認識されることになります。
時間・空間は直観の主観的な条件であって、本質的な時間・空間という意味ではなく、あくまでも現象に対しての精神的規定であると述べていると思います。
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