プラトン著『国家』最終章に、戦争で最後をとげたエルという人物が10日前後に生き返り、自分がみてきた死後の世界を語りだす「エルの物語」が書かれています。
信者以外の一般の人達に対して、霊的世界観の真実性を裏付けるために、いろんな情報と知識はもっていた方がよいと考えます。
戦争で最後をとげた多くの屍体が埋葬の為、運ばれてきましたが、エルの屍体だけが腐敗せず残っていました。
12日目、まさに火葬されそうとする瞬間にエルはよみがえり、自分がみてきた死後の世界についての話を始めました。
天の穴と地の穴があり、真ん中に裁判官が坐っていて生前の生き方について、正しい行いをした人は、右側の天を通って上に向かう道を教え、不正をおかした人達には、左側の下に向かう道を教えていました。
エルは近づくと、「おまえは死後の世界について、人間たちに教えなければならないから、ここでおこなわれることをすべて残らずよく見聞きするように」と言われました。
死後の世界は各人が犯した罪の10倍の償いを受けることになります。犯した罪や悪行はその10倍返しで自分に跳ね返ってきます。善行に関しても同じ割合で自分にかえってきます。
真理は単純な中にあり、善を行えば天国に帰り、悪を行えば地獄に落ちる。知を愛し人に対して優しく生きていく中に魂の成長、進化があり天使たちも微笑んで見守っています。
現代においても死後の世界を垣間見たという人は数多くいます。臨死体験も天上界の計画の一部だと聞いています。
臨死体験をしている時点で、それが死と関係していると気がつかない場合も多いようです。空中を漂いつつ、自分の肉体を見下ろしているうちに、突然不安や混乱が起きます。「こんな上のほうから、自分の肉体が見えるなんて」という感覚です。
霊的な知識がないと何が起きたのかわからず、混乱するようです。
心臓発作の激痛が、死の苦しみから深い喜びにかわったという報告もあるようです。唯物論的な医者や先生あるいは研究者といわれる人は、脳がこうした激痛に対して痛みを止める化学物質を産生するという理論をとなえていますが実証されているわけでもなく、反証する実験を行った者もいないと思います。
また、トンネルを抜けると光りの人々に会うという経験談も有ります。物質的な光で構成されているわけではなく、あらゆるものに浸透し、人を愛で満たすような、美しい強い輝きを放っています。
体験者は、「光といっても愛といってもいいのです。結局、同じことなのだろうと思います。」と語っています。
きわめて強い光であるにもかかわらず、眼を傷めることはありません。それどころか、暖かで力強く、生気にあふれているようです。
こうした体験をするとその後の人生も全く違ったものになるようです。人生をこの世限りだとする人生観、実存哲学的な人生観からでは、人間は不安と苦しみから抜けることはできません。
臨死体験という実際に霊的世界を体験した人たちは、だいたい共通する認識をもちます。
死に対しての不安がなくなり人生を充実して生きるようになります。また、愛の大切さに気がつく人が多いようです。ほとんど全員が愛は人生で最も大切なものだと言うようになります。幸福と願望達成は愛の証明であり、愛に比べるとすべてのものは色あせて見えてくるという人が大半です。
クリスマスキャロルという小説で、スクルージという意地悪なお爺さんがクリスマスイブに、過去の幽霊、現在の幽霊、未来の幽霊に出会い、過去や未来において自分の行いがどれだけ人々を傷つけていたかを知るに至り、心を入れかえることによって、すべてが輝いて見えるようになったという話であったと記憶していますが、同じ環境であっても心を入れかえることですべてが美しくみえてくるという点で、臨死体験と共通していると思います。
また、あらゆるものと、つながっているという感覚があるそうです。
宇宙にあるすべてのものとつながっているという感じを抱いて戻ってくるそうです。臨死体験は知識に対しても、それまでになかった敬意を抱くようになります。光りの存在に、勉強(学び)は死によって中断されることはないと言われた人もいます。知識はあの世に携えていくことのできるものであり、来世全体が知識を追求するための世界になっていると述べています。
「エルの物語」で語ったように、使命がある人は霊的世界を垣間見ることができ、それを実体験として報告する義務がある人もいますが、大半の人は臨死体験を経験することができないので、信仰心をもち、霊的世界を知識として学び、愛を深めていく生き方が大切であり、それを伝える活動も大事なことなのだと考えます。
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