2017年11月28日

生命現象とは何か

生命現象とは何か

物質(肉体)と魂(霊的エネルギー)の関係について考えてみます。
現在、生命体発生の関係で最先端の分野は遺伝子工学ではないかと思います。
生命の原点と思われる遺伝子(DNA)デオキシリボ核酸で人間の基本的情報(設計図)を子孫に伝えていくといわれています。
DNAの情報をRNAが伝達します。RNAは細胞内にあるタンパク質製造工場のようなところにいき、DNAから移してきた情報をもとに、タンパク質がつくられていきます。
DNAは生命体で必要なあらゆる成分の仕様書のようなものであり、RNAは情報伝達する役割です。

しかし、ある科学者はどの細胞をどのくらいまで創り、全体の形をどのように仕上げていくかまではDNAに含まれていない、そこまでの機能は内蔵されていないと述べられています。
DNAは大変研究されていますが、どの細胞をどの程度創り上げ全体的にどのように仕上げていくかまではDNAには判断できないと思われます。

原点に帰って考えてみると、DNAやRNAにしてもこのような機能が偶然にできるとは思えません。
人間はそれを発見したことで自惚れているかもしれません。
そもそもDNAやRNA自体がどのようにつくられたのかが問題です。
人間がDNAやRNAを発見したとしても、それ以前にだれがDNAやRNAを創ったのでしょうか



私は、肉体を構成するにあたってその指揮命令系統が魂としての一つの役割でないかと考えます。

魂が肉体を創る過程で鋳型の役割というか、結晶促進剤のように次々と肉体を創る方向性を与えているのではないかと考えています。

「生命体においては、部分が全体を規定するのではなく全体が部分を規定するはずであるが、そのメカニズムは」つまり生命体の部分である頭、胴体、腕、足などを別々に創ってつなぎ合わせても生命体はできません。
肉体を創り上げている分子、原子を同じ総量デタラメに合わせても生命体はできません。さりとて、全体が統制されて一体をなしているのであるから、部分が必要であります。


内臓やその他の諸器官は、その機能や性質、形態に合わせた固有の振動数をもっていると考えます。
その個々の波動の総合がその外側の肉体を表現しています。
それぞれの諸器官の波動(振動数)とは別に、その個々の振動数の合計の波動(振動数)が外側に全体を規定していると考えます。全体を統一していると思われます。

肉体がある程度できあがった時点で、魂が肉体に宿りますが、その時に上記で説明した肉体の波動(振動数)と、母の胎内に宿った魂の波動の振動数が合わずに、母体の固有の波動(生命波)が乱され『つわり』が起きるのではないかと推定します。
肉体に宿った魂の波動の周波数と母親の肉体の周波数が一致してきた時点で、『つわり』は無くなると考えます。
船酔いや車酔いも同じ原理だと考えられます。
車の振動によって重力波が発生し、この重力波の振動数が肉体の固有振動を乱し、吐き気という現象が起きるのではないでしょうか。どちらも病気などではなく吐き気という現象である。

人間が肉体だけの存在だけでなく、魂あるいは思考するエネルギーがその本質であるならば、人間だけでなく動物や植物にも魂が存在すると考えらます。
以前書きましたが万有引力発生のメカニズムは、原子核を中心として電子が自転しながら公転していますが、パウリの排他律(主量子数・方位量子数・磁気量子数で指定される1つの軌道には、スピンが互いに逆向きの2個の電子しか入りえない。物理小事典より)によって一つの電子軌道に2個の電子が収容され180°離れた位置から同一方向に回転するので発生する電磁波の位相が180°ずれて電磁波の山と谷が相殺されてしまいます。
しかし、エネルギー保存則があるので電磁波としては発生しませんが、相殺された電磁波はサイエネルギー≒重力波に転化されたのではないかと推測します。

輻射した分、希薄になった原子空間に流れるエネルギーが現在観測されている万有引力であると推測します。
また、原子の中はマイナスの電荷をもつ電子と原子核を構成するブラスの電荷をもった陽子が存在するので、電気的には相殺されて中性になると思われますが、エネルギー保存則があるので、なくなったわけでなく別のエネルギーに転化したのではないかと考える科学者もいます。(サイ科学を参考)

原子を通して霊的なエネルギー(≒サイエネルギー)のやり取りが行われているのであれば、物質世界と同じような世界が、霊界においても展開しているものと推測できます。
もちろんそれは4次元までの話で、実際5次元以上になると3次元的な材料をもってしては説明できないのではないかと考えます。

物質世界は同一時刻に同一空間を共有することができないので現象が重複するということはありませんが、霊的世界は波動エネルギーで構成された世界ですから、多くの現象が重複していると考えられます。つまり過去、現在、未来が同一空間を共有することが可能な世界であると推測ができます。
例えば、空間には各種の電波が飛び交っていますが、周波数を合わせることで電波を受信することができます。
いろんな周波数の違う電波が空間を行き来しているのと同じように、過去や未来が同一空間に共存していると思われます。
心の思いが未来の周波数に合致すると予知が可能になるのではないかと思います。

ですから重力の本質が解明されるに従って、霊界の存在も科学的に証明されるのではないかと思います。それによって唯物論的な価値観がひっくりかえり、新しい霊界知識に裏付けられた価値観が広がると思います。

余談ですが、ゾウの時間・ネズミの時間の著書で本川達雄氏はいろんな面で大変参考になります。
時間観や世界観は体のつくりと無縁ではありません。
人間の視点から観察すればネズミの寿命は大変短く、ゾウの寿命は長い。これは人間の時間尺度で観察すればそのようになりますが、ネズミもゾウも生きていく上でのエネルギーの総量は同じで、心臓の鼓動する回数も同じだそうです。
ネズミは短い時間でエネルギーを大量に消費するので運動量が多く、命が早く尽きてしまいますが、ゾウはエネルギーをゆっくり消費するので運動量は遅く、寿命が長くなります。
ネズミやゾウ自信にしてみれば、同じような時間感覚を生きたということになるかもしれません。



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posted by ガンちゃん at 03:04 | Comment(0) | 物理・科学・宇宙論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仏教の旗印・三法印とヘラクレイトスの思想

仏教の旗印・三法印とヘラクレイトスの思想

諸行無常とは「この世に存在するすべてのものは、流動していくものであり、変転していくものであり、変化こそが本質である」という考え方です。

無常とは、冷たいとか悲しいという意味ではなく、「常ならず」という意味です。恒常的なもの固定的なものは存在しないということだと考えます。
流動的な立場だからこそ、縁起の理法が成立すると考えられます。原因や条件によって人生や世界は変化していくという考えです。

諸法無我は、物質世界は仮の存在であり、すべては夢幻の世界であるとする考え方です。この地上には実体的なものは存在しなという「空」の思想につながる考えです。

すべての存在は恒常的なものでなく、その存在自体に滅びの性質が内在されています。滅びはその存在自体にすでに備わっているものであり、滅びていくものと、新しく生まれてくるものは一体であり循環しているものであります。
すべてのものは滅びていく存在であると同時に、新しく生まれ変わってくる存在でもあるので、自性なるもの、自らなる性質はありません。

ここでヘラクレイトスの思想と比較してみたいのですが、ヘラクレイトスの思想は断片的で現在あまり残っていないようですが、わかる範囲で仏教の思想と比較していきたいと思います。

ヘラクレイトス 前535頃〜475頃 ギリシャの哲学者
「なにものも有ることなく常に成るのみ、万物は流転する、万物は流れて止まらず」哲学小事典より
「万物の根源は火である」というのが彼の思想の核心であり、また「万物は絶え間なく流転する」とも説きました。
プラトンはヘラクレイトスの複雑な思想のなかから、その核心をなすものとして「万物流転」を取り上げました。
プラトンによれば、ヘラクレイトスは、この世界に存在するすべてのものは、一瞬たりとも静止していることはなく、絶えず生成と消滅を繰り返していると主張しました。
「諸君は同じ河に2度足を踏み入れることはできない。なぜなら新しい河水が、絶え間なく諸君に押し寄せてくるからだ。」このようにヘラクレイトスは述べて、この世界に恒常的なものは何もないと主張しました。

プラトンはヘラクレイトスのこの思想を、自分の思想の中に巧妙にとりこんだと思われます。
つまり、感覚し得る世界には永遠なるものは何も存在しないということの証拠として万物流転の思想を利用しながら、他方では感覚を超えた知性的な存在としてのイデアを主張したのです。
たとえば火についても、それはアリストテレスが要約したような、静的な原理には留まらない。火は始原的な要素であり、万物がそこから生じた元のものではあるが、それ自身が不変の実体といったものではなく、絶えず燃えながら変化しているものである。「火は空気の死を生き、空気は火の死を生き、水は空気の死を生き、土は水の死を生きる」といった具合に、すべてが相互回帰的に循環しながら、流動しています。
そこには、戦いのイメージがあります。「戦いがすべてのものに共通して見られ、正義であることをわれわれは知らねばならぬ。」

この戦いのイメージは、戦いを通じての統一のイメージとも結びついています。
「対立物の統一」の思想です。
戦いにおいて対立物は調和であるところの一つの運動を生み出すべく結合する。「万物から一が生じ、一から万物が生ずる」という言葉は、この絶え間なき運動の過程を象徴したものです。
ヘラクレイトスにとって世界とは、もろもろのものがせめぎあいつつ、その動的なプロセスのなかから調和したものや一なるものが生成されていきます。

統合する対立物というヘラクレイトスのこの思想は、やがてヘーゲルによって血肉化され、弁証法的な思考へと発展していくことになります。

仏教やギリシャ哲学、あるいはヘーゲルの観念論哲学は共通する部分が実に多いです。
存在の本質は変化であるという点で感覚的なものを実体として観察していません。

涅槃寂静に関しては、自分の領域を超えていますが、諸行無常と諸法無我の関係で考察すると、この物質世界の中で人間の本質は魂、あるいは霊的な存在であり、常に霊的な視点から自分自身の考え方や行動を観察し人生の誤りを軌道修正する。
そのような修行の先にある極致かもしれません。



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posted by ガンちゃん at 01:27 | Comment(0) | 哲学的認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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