仏教的人生観に縁起の理法という教えがあります。
今の自分の状況は、過去の自分の考え方や行いが原因であり、結果が現在の自分に跳ねかえっています。
現在、自分が苦しみの中にあるのならば、過去の自分自身の考え方や行動に対し仏教的価値観を判断基準とし、反省しなさいというのが縁起の理法的な考え方だと思います。
人間には完全な自由意思が与えられています。
自由意思に基づいて判断し行動しているのですから、苦しみの原因が、他の人や環境に有るのではなく、常に自分自身に帰ってくるという自己責任の考え方が縁起の理法です。
私達は、常に正しい価値判断をするために、仏法真理を学ぶ必要があります。
知識として真理を学び、やがて自分の魂の傾向性まで落とし込み神仏に近づいていくという考えが大事であると思います。
結果に対しての自己責任の部分を、姓名判断や、その他自分以外のところに持ってきた時に、自己反省はありません。
物事を判断する時に、自分の意志や学んだ真理から判断するのではなく、○○によるとこうですとか、名前の画数を原因に持ってくることは基本的に間違えです。
自分以外に原因を持ってくることは自己責任から逃げていると考えます。
努力や精進についての考え方を、渡辺昭宏氏から引用します。『仏教を知るために』参照
「われわれが行動するにあたって、まず正しい見解(正見)に従って方針を定め、それを実行する決意(正思惟)をし、正しい言葉と行為と生活方法(正語・正業・正命)を実践するが、実際にその原動力となるのが正しい努力(精進)によるのである。〜中略〜
努力についても邪を捨てて正を選びとらなければならない。これを次のように四段階にわけて考察します。第一に、まだ生じていない悪が今後も生じないように、第二にすでに生じている悪をなくするように、第三に、まだ生じていない善を生じるように、第四に、すでに生じている善を確立し、さらに発展させるように、それぞれ努力すること、これが“正しい努力”である〜中略〜
仏教はこういう意味で努力を信者たちに教えました。
しかし、仏教が日本までくると、本来の努力という意味だった“精進”という語が“心身を清める”ということから、さらに一転して、肉食を避け採食するという意味に変わってしまった。この点からみても、仏教の活力にあふれていた精神が形骸化してしまったことがわかる。」と書かれています。
短い文に鋭い考察がなされ結論がみえている渡辺氏の洞察力が伺えます。
幸福の科学で説かれる法も自助努力の教えであり、自己確立をしながら与える愛の実践(上求菩提・下化衆生)が大切であると説かれています。
自分の内面を確立していく過程で、他の人に対して良い影響を与えていくという教えです。
努力や自己責任をはずした、○○判断やそれに関係する類のものは、本来の仏教的な精神に基づく正しい道ではないと思います。
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