2017年08月22日

人間を「波動」として計算 不確定性原理の謎についての考察  付録 手当の本質について

人間を「波動」として計算 不確定性原理の謎についての考察

不確定性原理は次のような式であらわせます。
ΔX×ΔP=h
ΔX:位置の不確かさの幅
ΔP:運動量の不確かさの幅
h :プランク定数(6.626×10^(-34)ジュール・秒)

粒子の位置と速度は同時に決まった値を取ることができません。そのために、電子を狭い場所に閉じ込めると(位置を確定しようとすると)、運動量・速度の不確定さが大きくなってしまいます。また、速度を確定しようとすると、今度は電子の位置が不確定になります。

Δt×ΔE=h
Δt:時間の不確かさの幅
ΔE:エネルギーの不確かさの幅
h :プランク定数(6.626×10^(-34)ジュール・秒)

ごく短い時間なら(時間を確定しようとすると)、エネルギーの不確定さが大きくなります。
一時的にどんな大きなエネルギー値でも、また正のエネルギーだけではなく負のエネルギーも取り出すことができます。(エネルギー保存の法則が短時間なら成り立たない)
これをエネルギーの「ゆらぎ」とよんでいます。

電子の位置は運動量を犠牲にすれば、ある程度は分かります
電子の運動量は位置を犠牲にすれば、ある程度は分かります
Δはそれぞれの幅を表します。

この双方の分からなさを数値にして、両方を掛け算するとプランク定数になります。
エネルギーを算出するのにプランク定数を使います。

不確定性とプランク定数の関係.bmp

エネルギーは、プランク定数と振動数を掛けることで計算できます。
式を変形してプランク定数は、エネルギーを振動数で割ることで計算できます。
プランク定数の正体とは、エネルギーを振動数で割ったものですから、導きだされた答えの意味は、1振動(1回転)したときのエネルギーということになります。

位置の不確定な幅と運動量の不確定の幅を掛けるとプランク定数になるということは、1振動するのに要する時間分の誤差が常に生じるということだと考えます。
振動数とは、振動する回数ですから、すべて整数で表されます
振動というものには半端な振動の数というものはありません。
振動(波)は、1周期=1個と考えなければ数えることができません。
(途中で止まること、例えば0.5ということは、ありえません)
必ず整数の値をとります。


ド・ブロイの式について検討します
波長を表す式です。

不確定性とプランク定数の関係2.bmp

λは波長です。
Pは運動量で、質量m×速度Vです。

波長は、プランク定数で運動量を割ることで算出されます。
運動量は質量×速度ですから人間にも当てはめることは可能ではあります。

質量と移動速度がわかれば、人間を波として、波長を計算することができます。

素粒子の質量の単位はeV(electronvolt)です。
電気素量eをもつ粒子が真空中で1Vの電位差で加速されたときに得るエネルギー 物理小事典
とあります。
1個の電子が真空中で電位差1ボルトの2点間を運動するときに得る運動エネルギーです。
電位差1Vのとき、電子の得る運動エネルギーは1 eVとなり2Vのときは2 eVになります。
eVとVの実数値は同じです。

プランク定数は1Hzの電圧値であると定義しました。
プランク定数の単位をV(ボルト)で表現します。

hをVで表現したい時は、h=4.1357×10^(-15) V です。
eV とVの実数値は同じですから、
h=4.1357×10^(-15) eVをh=4.1357×10^(-15) Vとしてあつかうことができます。

素粒子の質量であるeVの単位をVと見立てて、プランク定数(h=4.1357×10^(-15) V)一回転あたりの電圧値で割れば、素粒子の周波数がでてきます。素粒子の質量とは素粒子の周波数だったのです。


量子は粒子として存在しますが、その運動は波として計算できます。
人間は人間として存在しますが、その運動は波として計算できます。

ミクロとマクロの共通点を理論上はみつけることができます。


宗教では手を患部にかざすことで、病気を治すことができます。手当ての語源だと思われます。
直接触れているわけではありませんから、力学的なエネルギーではないと考えられます。
しかし、病気が治る以上、何らかのエネルギーが作用したとしか考えられません。

癌細胞は一定の大きさがあり運動量もあります。
ですから、癌細胞の波長を計算することは物理的には可能であると考えます。
(大きさと振動数は逆比例の関係)
同じように正常な細胞の波長も計算できますから、正常な細胞の周波数を計算して、癌細胞に放射すれば、癌細胞の周波数が正常な細胞の周波数に変化して、私たちの目には奇跡のように癌細胞が消滅するはずです。

悟りたる人の精妙な波動(光)が、手を通して、相手の患部(乱れた周波数)に作用して、病気等が治ります。

あくまでも悟りたるものができる修法です。



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posted by ガンちゃん at 01:23 | Comment(2) | 物理・科学・宇宙論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

死後の世界について論点整理

死後の世界について論点整理

死後の世界を信じられない人の考え方を考えてみます。

死後の世界を本能的に信じることができる方もいると思いますが、学校教育では教わらないため、頭では充分に理解が及ばないところがあり、気持ちの整理がついていない人が多いのではないのでしょうか

日本では戦後教育の問題もあって、否定的な意見が多いのも事実です。
死後の世界や霊界を信じない科学者や唯物論者あるいは、哲学者と話をすると、「物差しで測れるもの以外は信じられない」と言っているように感じられます。

死後の生命を信じられない大多数の人や、それを扇動する人たちから見れば、宗教は『日本霊異紀』や平安時代の怨霊の世界の話であり、実験できず確かめようがないものは、信じるに値しないと思っています。

では、どうして死後の世界を証明することができないのでしょうか

死後の世界が証明できないのは、人生そのものが一種の試験であるからと教わっています。
この世に生きながら、どれだけ霊的な人生観を手に入れて、神仏の教えを実行できるかを試されています。
試験問題を解いているときに、答えを教えるわけにはいきません。
しかし、ヒントは人生の途中にたくさんあります。
仏典、聖書、ギリシャ哲学、神智学、人智学等、神秘思想等、関心をもって調べるならば、ヒントは随所にあると言えます。
そして死んだ段階で、結論として何をつかみ取ったか、合格点が出るか落第点が出るかが分かれます。

霊的世界に不信感を持ち、宗教を迫害する人がいても、霊界側で泰然自若としているのは、死んだらすべて明らかになるからです。
それまでは仕方がないとみているようです。

あの世を知ることは一つの力でありますが、さらに信じることができれば、もっと大きな力になります。

信じるという行為によって、新しい世界観を獲得し、未知なる世界を知り、さらに認識力が上がることで地上における価値秩序とは別に、霊界の善悪を知ることで正義とは何かをつかむことも可能であると考えます。

死後の世界の様子について考えてみます。
臨死体験について、いくつかの記事を書いたことがありますが、医学でも、臨死体験が研究テーマの一つになってきました。

事故や病気の時の体験報告が何百・何千・何万と来ています。

たいていの場合、心臓停止を契機として、魂が脳のあたりから出て体の近くに浮かびます。
この時点では、シルバーコードという銀線のようなもので、魂と体がつながっています。
しばらくすると、トンネル現象が起きたりします。
視野にある黒い点のようなものが広がって、トンネルのようになりスーっと吸い込まれるようにして、その中を飛ぶようにして上がっていきます。

この自空間を超える隙間を通って、三次元から四次元以降の世界に出ることができるようです。
トンネルを出ると、たいていは非常に明るく、その段階で守護霊もしくは指導霊などの導きの天使が迎えに来てくれます。

これから先、日本人は三途の川を見ることが多いようですが、この境界線を渡ると霊子線が切れ、もう地上に帰れなくなります。
先に亡くなった身内が、川の向こう側から招いたりしますが、下界の病院のほうで家族が「死なないで」と頑張っている場合は、グーッとこの世に戻されることもあるようです。

お通夜の段階でも霊子線はつながっており、「まだこの世に使命がある」といわれて戻ってくる場合もあります。

三途の川を渡ると、あの世の人に導かれて次の世界に入っていきます。
何かの宗派、宗教に属していると、その関係の方が世話をしてくださります。

キリスト教の信者でしたら、天使系の人が来て導いてくださいます。
教会でみんなを集めて、説明をしたり、生前のことを振り返るように教えたりします。

お寺や神社もあり、そこであの世のガイダンスを受けられるようになっているようです。
建物はこの世のものよりは大変美しく、キリスト教では水晶の聖堂、仏教系では金でできた、お寺などがあるようです。

幸福の科学でも、あの世でエル・カンターレ大聖堂を建てようとしているようです。
入口の段は大理石で、中は宝石や水晶、御本増は金とダイヤモンドを使い、天上のドームも透き通って光が入るきれいなものとか。

地方別に霊界があり、信者がある程度いるところには建つようになると言われていたと思います。

当会の講師や熱心に伝道している人たちは、あの世に還ったら、一定の勉強をした後、導きの天使となるようです。

キリスト教系の臨死体験者の話には、キリストがよく出てきますが、普通は弟子筋の天使や、天使の予備軍たちが、法衣をまとって行っているに違いないとのこと。

過去世のクリスチャンで名のある人は、何百人といますが、「私は何々だった」と名乗っても相手には分からないので、「キリストだと思ってくれたらいい」ということで、弟子たちがそれらしく見せていることが多いようです。
「知らない」と言われると、救いが困難になるようです。
だから、大川隆法総裁、幸福の科学の名前を知ってもらうことも大事なことです。
名前を知ってもらい、さらに信じてもらえれば、救済が非常にスムーズになるからです。

光の世界に入るには導きが要ることと、皆さんはあの世でも人を導く仕事をすることを知っていただきたいといわれていました。
それはものすごい数の人が必要です。誰が死んでも、すぐ霊界には伝わり、関係者が来てくださいます。その実態を見れば見るほど、人間というのは、非常に大事にされていることが分かると言われていました。

更に死んだ時に、フラッシュバックといって人生の回顧が始まります。
これは、照魔の鏡やビデオスクリーンのように見える場合もあれば、思い出の様な感じで見ることもあるようです。
数十年の人生を、一瞬で全部思いだすことになります。
そのとき、自分の視点だけでなく、第三者の立場で見た景色もよく見えてくるようです。
人生のビデオテープの中には、自分の目で記憶されているものもあれば、守護霊の目でとったものも入っているからです。

例えば、子供時代に自分が友達をいじめているシーンでは、いじめられた方の気持ちも入ってきます。
「仕事で自分が勝利した」という場面では、敗れた方の相手のその後も見えてきます。
武器商人などでは、自分が売った武器がどのように使われて人が死に、被害者の家族がどう悲しみ苦しんだかを追体験させられる人もいます。
このように第三者の目で過去の場面を見て、相手の気持ちや自分がやったことの結果などを一通り追跡し、勉強します。
この儀式が終わらないと、霊界の行き先が決まらないようです。


更に霊界は、論理的でないともいわれています。

死後の世界では、過去のことを現在ただいまのことのように体験し、「このままでいったら、こういうふうになる」という未来も体験することができます。

因果の理法、因縁果報の順序は存在しますが、これ以外のところで論理的なものはないようです。
さらに、直接的な形ではなく一種の象徴として、何かが現れてきて、それを解釈しなければいけないことがあるといいます。

例えば、お花畑は美しい世界の象徴であり、川の底の宝石のような石なども色々な象徴であるかもしれません。
子供が描いた想像画のように、いろんなものが現実のものとして出現してきます。
その意味で魔法使いの世界に近いかもしれないともいわれています。

ですから、霊界感覚と地上における感覚では、かなりのギャップがあるのではないかと推測できます。

現代ではすべて脳に原因を持ってこようとしていて、魂の存在も何もかも脳の作用にしています。
臨死体験も脳内モルヒネが原因であるようなことをいいますが、脳内モルヒネに関係なく、三途の川や花畑は存在しているということです。

三次元の空間のなかに、四次元から九次元までの空間が同居しています。
この世における悟りの次元と、あの世での次元が一緒になるという仏教的理論は正しいということです。

現代では、臨死体験で地獄に行っている人も多いといわれています。
ひどい人になりますと、死んですぐ真っ逆様に落ちていく方もいるようです。
どこかで止まることになりますが、そこは暗い世界の場合もあれば、近くで溶岩が噴火するような場所の場合もあるようです。
「人から害される」と思って生きていた人は地獄に落ちるやいなや、襲われる体験をすることも多いようです。

たいていの人はトンネルを抜けてあの世に来て、反省の後に行き先を決めます。
精霊界で修行する人もいれば、守護霊たちと話し合って、自主的に地獄への坂をとぼとぼと降りて行く人もいます。
スウェーデンボルグも著書のなかで、自ら進んで地獄に行く人もいると書いていましたが、私は読んだとき、その意味するところがよく分かりませんでしたが、今考えてみますと、仏性が自分の犯した過ちを赦すことができないので、自ら地獄に赴くこともあるのだとわかります。

自分で自覚して地獄に行く人は、落ちていく人ほど罪は重くないといいます。ストンと落ちる人や、死ぬときに拉致されるように連れて行かれる人は、生きていたときに凶悪犯罪などで悪魔の手先のようになっていた人たちです。
そういう人は、仲間が来てスッと連れていくので、天使も手が出せないといいます。
冷暖自知の言葉通り、地獄が嫌になるまで経験してもらわないと仕方がないということでしょうか。

死後の世界は真っ当に生きた人にとっては、幸福感の高い世界でありますが、場合によっては苦しい世界も待っているかもしれません。
やはり真実を知らないということは大変なことです。

現代では人口が非常に増えていますが、霊界を信じない人が多く、また、はじめて人間に生まれた人もいて、死後の世界はかなり混乱していると総裁が述べていたこともあります。

生きているうちに真実を知って、信じていただき、そしてあの世へ還ったから、実体験をして、検証していただくことは、非常にいいことだといわれています。

死んであの世に還ってみると、「宗教というのはこんなにも偉大だったのか」という感じがします。
あの世では、宗教がメジャーです。

信じない人はこの世に執着して、自縛霊になるか、思想犯のような人たちがいる無間地獄に行くか、どちらかであるとか。
あの世は宗教が95%仕切っていると見ていいそうです。

唯物論的な科学主義が、現代人を迷妄の底に落としています。
宗教は非常に大事な仕事であります。

できるだけ、多くの方が信者になって、霊界の知識を持ち、生きているうちに反省し、精舎で祈りや瞑想も経験して、高級霊界とつながるためのツールを持つといいと言われていました。
経文も携帯電話と同じで、コンタクトの道具であるとのことです。



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posted by ガンちゃん at 01:39 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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