どのような偉大な魂であっても肉体をもって生まれてきたならば、物質世界のルール・法則の中で生きていかねばなりません。
仏教では、生・老・病・死といわれる四苦の苦しみを説いていますが、『生』は生まれてくる苦しみであると説かれています。
しかし、魂が肉体という衣を着て生きていく過程においても、やはり、苦しみは生じてきます。
プラトンでさえ、「パイドン」という著書の中で、『肉体は、これを養う必要のために我々に無数の面倒をかけるものだ。それに、病気にでもなろうものなら、我々の真実の探求は妨げられてしまう』と述べています。
ですからプラトンが述べる哲学者の使命とは、魂を肉体の結びつきからできるだけ解放することだと言われています。
真実の哲学が述べ伝える真理は、仏教と相通じるものがあります。
ギリシャ哲学、ドイツ観念論哲学等、すべては仏教に通じていると思います。
魂は本来、霊的世界について語っているところの哲学や宗教を求めているはずです。
しかし、魂が肉体に宿ると、肉体に基づく感覚器官によって魂が堕落する方向に物事を判断してしまいます。
20世紀後半、科学万能主義とダーウィンの進化論、実存主義哲学が世界を覆い尽くしたために、五感を通して確認できないものは、否定する方向で時代がながれてきました。
社会的流れが唯物的なので多くの人達は、人間の本質とは何かを自分で深く考えることなく、テレビや新聞や低俗な雑誌による情報に流され人間の本質を見失っています。
また、過去に説かれ教え、宗教を学び実践している人たちであっても霊的世界を信じることができずに、ただ、お題目を唱えている人たちも数多くいるように感じます。
日本は、法華経、浄土真宗及び浄土宗等、他力本願型宗教が定着しています。
しかし、他力本願型宗教は因果関係を無視して、「南無妙法蓮華経」と唱えれば幸福になれる。念仏を唱えれば幸せになれる等、苦しみの原因を自己責任としないで、他に求める傾向があるのではないかと考えらます。
霊的世界を証明しようとした偉人は、過去数え切れないほどいると思います。
ギリシャ時代のソクラテス、プラトン、キリスト教や仏教、スウェーデンボルグ、ルドルフシュタイナー、日本では、源信、空海等、数えればきりがないほど存在しています。
つまり霊的世界を知る機会は、随所にあるということだと思いますが、霊的世界を知ることで、人生を生きていく意味が全く違ってくると思います。
肉体に宿ることで魂は盲目になりますが、そのような盲目状態で、魂の本質・霊的世界についての認識を得ることが、悟りにつながっていくのでしょう。
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