真理と美しさの関係
過去の宗教家、哲学者、思想家、神秘家は言葉や書物を通して、真理とは何かを説いてこられました。
しかし、芸術を通して神の世界、真理というものを表現する手段もあるはずです。
美しさの究極には、神の教え、真理と融合する世界があるはずです。
昔からギリシャには、「悪魔には芸術を解さない」ということわざがあるといわれています。
数千年前のギリシャは、芸術的な光りを放つことが、偉大な神の子としての証明になっていたということです。
ギリシャ的といいますか、ヘルメスの愛の教えには、単に人を愛するということのみではなく、愛の中に美があり、愛の中に知があると教わっています。
ギリシャ的な愛の教えは、知ることは愛することであり、美しいことは同時に愛である。ギリシャ的な愛の中には、すべてのよきものが含まれていると言われていますが、真理を知識として学ぶことは、とても大事なことでありますが、それとは別に真理を美しさという視点から学ぼうとすることも、神につながって行く道であると思います。
地獄の悪魔たちは、闘争と殺りくの中に生きています。
その様な心の状態では、心から美しいと思う心にはなれないでしょう。
音楽を楽しむ余裕も、詩を吟ずる余裕も、文学を語る余裕も彼らにはないと言われています。
精神的な余裕がないということは、美しさからかけ離れた精神状態であるといえます。
アトランティス文明の美の基準は、シンメトリーといいますか対称性を好んでいたと言います。
物理の世界でも対称変換することで、すべての力を統合しようとする理論も存在します。
人間の肉体や動作を最大限に美しく表現したダンス、クラシックバレエは美しさを限りなく追求した芸術であると思えます。
美しい音楽に合わせて身体を動かすということは、人間の本性にかなった芸術であると思います。
美しさを表現できるということは、真理にかなっていると思えますし、心の中が闘争と破壊、欲望にまみれていては、人の心をなごませる美しさは、決して表現できないでしょう。
以前書いたと思いますが、バレエを習っている方は、身体の中心軸がぶれないで、どの人も姿勢がよくなっています。
アン・ドゥオールという言葉がありますが、外へ、という意味です。アン・ドゥダンは内へ、という意味で対になっている言葉です。
バレエは基本的には、アン・ドゥオールの舞踏といっていいのではないかと思います。
外へ、外へと大きく開いていく舞踏であると思います。
ちなみに日本舞踏は、内足を基本としています。
和服を見ると内へ内へと巻きつけるように纏う衣装です。
民族の性質の違いかもしれませんが、西洋人は外に向かって自分を表現する民族だと思いますが、日本人は基本的に内に籠る性質があると思われます。
バレエの基本はアン・ドゥオール(外へ)で胸をはり、背筋を伸ばし、堂々とする、そのような表現です。
そして、バレエは常に音楽とともにあります。
稽古では、常にピアノの伴奏がつきます。
美しいピアノ音楽に合わせて踊るバレエは魅力的ですし、人に感動を与えるという意味で、真理であると思います。
バレエはたんなる体操とは違います。美と結びついたひとつの表現芸術なので、表現する心を学ぶことで、優雅な身のこなしも会得できるし、心のゆとりや余裕につながり良い精神状態につながると思います。
クラシック音楽も、いろんな楽器の音色が調和して、一つの音が形成されます。
その調和された音楽が人の心の状態をやすらぎに導くならば、それは、真理を表現していると言えます。
宗教家や哲学者、修行者は理性、知性、悟性をつかって真理を理解しようとしますが、感性的に美を学ぶことで、真理の世界、神の世界を認識する方法もあると思います。
ぜひポチッとクリックしてね!応援よろしくお願いします。
にほんブログ村
にほんブログ村 幸福の科学