2017年02月27日

愛の本質 道徳だけでは正しさの根拠を導き出すことはできない

愛の本質 道徳だけでは正しさの根拠を導き出すことはできない


地上的な善悪の価値判断や人間としてやるべきこと、してはいけないこと、人間としての生きていくうえでの正しい生き方を道徳は教えています。
マルクス・アウレリウスは、「善い人間の在り方を如何について論じるのはいい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ」と述べています。
自分自身が素晴らしい人間になりなさということでしょう。

人間社会における正しい価値判断、善いことや悪いことは、誰がどのように決めたのでしょうか。

地上における善悪の価値判断の根拠は霊的世界にあり、更には、仏がお決めになったと言えます。
仏の教え仏法が、光の天使たちを通して地上に降ろされ具現化されたのでしょう。
霊的世界において、天国・地獄があるということは、善いこと、悪いことがあるということです。

道徳は自由を抑圧するものではありません。
車社会の交通ルールと同じで、もしルールがなければどうなるのでしょうか。
自分勝手に走れるから自由だと考えたならば、大変な事態になることでしょう。
どこから車が飛び出てくるかわからないし、危険が増すばかりです。何をしてもかまわないという責任を無視した自由は結局、自分と相手を不幸にする考え方であると思います。

しかし、単純に他の人に迷惑をかけないというだけでよいのかということです。
道徳は、人間としての行動を外部から規制しているともいえます。
ですから、道徳だけでは心の状態までチェックが入りません。

道徳だけでは、信仰心ある人も無神論者も違いがわかりません。
無神論が間違った考え方である理由は、人間は神や仏から分かれた神性あるいは仏性を持った尊い存在であり、物がすべてという考えはこれを否定することになるからです。

ソクラテスは、「一番大切なことは、単に生きることではなく、善くいきることである」と言いました。無神論や唯物論的な考え方からでは、どうして人間として正しく生きなければならないのか納得いく答えが得られないでしょう。
無神論・唯物論では、人間の本質が理解できないからです。


また、それぞれの正しさの基準、正しさのものさしが食い違っている場合もあります。
キリスト教圏とイスラム強圏では、正しさの基準が違うでしょう。
その違いが衝突を生み、そこに憎しみが生まれるかもしれません。
しかしその価値観や正しさの違いを乗り越えるものがあります。
それが『愛』と言われているものです。

宇宙で一番大事な教えは何かと言われたら現時点で一番大切なのは『愛』であると自分は考えます。
私が愛について考えた結論は、愛とは時間や存在をあらしめる力であり、思想的宗教的なだけではなく、物理的にも存在の根源をなしているということです。
ですから、愛が止まったら、あるいは愛の大河が流れなくなったら、すべては消えることでしょう。
そのような意味ですべての存在は生かされていると言えます。


勝手に生きていると考えて人生を生きていく人と、自分という存在は神の愛で生かされていると考えて人生を生きていく人では、生き方が全く違ってくることでしょう。

宇宙の生命体の中では『力』がすべてと考えている爬虫類型宇宙人も存在します。
しかし、その存在をもあらしめている神の愛があるということだと思います。

その愛の力を少しでも知ることができたなら、人は神仏に対して謙虚になる以外になくなると思う。
人に対しての傲慢な態度や、自分が偉いという思いあがった言動がでてこなくなると思います。
それを考えると、愛といっても条件付きの愛は、少なくとも神の愛とは言えないと思えます。

しかし、いつも愛を意識し、そちらの方向に向いていることが、自分が成長し、神仏に近づくことになると思います。
小さい子供でも優しそうな人には自分から寄ってきて、話しかけてくるでしょう。
我々も神仏に向かって心を開き歩み寄っていくことが大切であると思えます。

宗教の大切さとは、道徳の根拠でもあり、自分は神の子であり、他の人も神の子である。
同じ仏性を持った存在だからこそ、そこに優しさや、思いやりの心、他を愛する気持ちが芽生えてくるのでしょう。

全宇宙の生命体は、深いレベルで霊的につながっている存在であると思います。
そのような視点を持ちたいし、持つように努力すべきであると考えます。

それゆえに信仰心が大切になってくるのでしょう。
アウグスティヌスは「信仰は目に見えぬものを信ずることである。そして信仰の報酬は信ずるものを見ることのできる事である。」と言いました。
また、マハトマ・ガンディーの自伝か何か忘れましたが、「宗教心を持たずしては、何人も生きられない。」と言われています。

魂の生みの親である神仏を信じることで、相手も自分と同じ仏性を持った神仏の子供、兄弟なのだという見方ができるようになるのかもしれません。






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2017年02月26日

一定レベルの修行が完成してこそ初めて秘儀があかされる

一定レベルの修行が完成してこそ初めて秘儀があかされる

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァッキーの神智学、ルドルフ・シュタイナーの人智学、神秘思想、等、霊的世界に参入しようとする人たちは、厳しい修行が要請されます。

「力はそれを知るものに帰属する」という格言があります。
ソクラテスの「汝自身を知れ」あるいは「知は力なり」という言葉に通じるものがあると思いますが、真理を正しく理解する力、本物と偽物を見抜く力、あるいは、本質を見極める力、これらは修行者にとって大切なことであると思えます。

真理の道を志す、あるいは修行途中である私たちの最初にすべきことは、正しく真理知識を学ぶということであると考えます。
あえて正しくと付けたのは、同じ真理を学んでも理解力によって、同じように理解しているとは限らないからです。

社会経験や魂の傾向性、前世の努力精進、あるいは学ぶ姿勢によって、同じ真理を学んでも正しく理解する人、間違って解釈する人、まったく理解不能な人、いろいろだと思います。

ブラヴァッキーの著書やシュタイナーの著書を読むにつけても、霊的世界に参入しようとする修行者たちは、相当、己に厳しくないと危険であるという印象を受けます。

神の世界に踏み込もうとするわけですから、中途半端な気持ちでは、‘やめときなさい’ということなのでしょう。

仏教的には、戒・定、慧の三学と解脱・解脱知見ということになると思います。
戒律を守る意志の力、禅定を通して物質的波動を遮断し霊的世界に通じる心の状態、霊的世界観、霊的法則に裏付けられた智慧、智慧を使って地上的悩みや束縛から自由になる解脱、解脱した自分を自覚する解脱知見(五分法身、仏になるための五つに分かれた修行のカテゴリー)
このような修行を通して、一定の自己確立や不動心ができたとき、はじめて師は秘儀を伝授するのではないかと思います。

ですから、真理を広げるためだと言って、考えなしにすべて公の場に情報として流すことは間違いだということです。

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァッキーは「そして許さる範囲を超えてその秘密を開示する者すべてに対する罰則は恐ろしい」と述べています。
また、「話してはならないことは沈黙を守る」とも述べています。

なぜなのでしょうか。
あまり深く考えない浅はかな人は、たぶんこのように考えるのでしょう
「真理あるいは仏法、それ自体は正しい教えである。自分には深くわからないとしても、教えを多くの人に伝える(情報として対象者を選ばず無差別に流す)ことは正しい行為である。」

これは半分正しいことであると思いますが、半分は間違っています。
なぜなら、真理をまったく理解しない人、宗教をなめている人、左翼系の偽知識人、唯物論者、等、対象者を選ばず、情報を流すということは、誤解を生み真理が冒涜される可能性があるからです。

宗教としての秘儀の部分、奥義を自分が深く理解していないにも関わらず、情報として簡単に一般公開することは罪であると私も思います。

言葉は悪いのですが、猫に小判・豚に真珠、あるいはその猫や豚が振り向いて噛みついてくるかもしれません。(聖書にも似たような比喩が書いてあると思いました。)

そして、その情報と言いますか、内容に対して質問あるいは批判的コメントがきても、自分の言葉で反論すらできない始末です。
自分で理解していないので、質問あるいは批判に対してまったく言い返すことができず無視する以外にありません。
情けないと言えば情けないです。
自分の言葉で何も言えないのですから。


修行が正しく進んだ場合(正精進)その人は、他の人達に対して一定の影響力を持つようなると思います。おそらく、それが修行の成果であると考えます。

その人から優しいオーラが出ている、人から信頼され相談される、発言に説得力があり影響力がある等、周りに対して良い影響を与えることができるようなった時、それは神仏に向かって正しく修行が進んだということでしょう。


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posted by ガンちゃん at 01:59 | Comment(0) | HS/ガンちゃんの感想・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする