2017年01月22日

ブラックホールは宇宙の安全弁

ブラックホールは宇宙の安全弁

地球には重力が働いていていますが、その重力を断ちきって地球から脱出できる速度とは・・・・
初速度がVキロメートル/秒で、質量mキログラムの持つ運動エネルギーは、1/2 mv2乗です。

重力の引くエネルギーは、地球の質量Mキログラム、地球の半径をrキロメートル
物体の運動エネルギーが、この重力エネルギーより強ければ宇宙に飛び出せます。
少なくとも次の関係が成りたつ必要があります。

ブラックホールと重力 1.bmp

式を変形して速度について解くと、脱出速度の式

ブラックホールと重力 2.bmp

になります。
速度Dを光速C(30万q/秒)におきかえて上記の脱出速度の式にあてはめます。

この式の半径rg以下に球が押し縮められると、光も脱出できないといわれるブロックホールになると言われています。 次元と宇宙ここまでわかった(こう書房) 物理小事典参照

この半径のことをシュバルツシルト半径といわれています。


ブラックホールを知るには、物質が消滅するメカニズムを知る必要があり、更に、物質が誕生するメカニズムを知る必要があります。

物質を消滅させるには、エネルギーの供給を断つか、逆に物質にエネルギーを加え続ければ消滅するはずです。

宇宙は、二律背反するものが対で存在します。
正宇宙に対しての反宇宙、実数に対しての虚数
私達の物質世界が実数で表現できるのであれば、対をなす虚数の世界も存在します。
虚数は霊界にあるエネルギーだと仮定します。

エネルギーは流動的であり、時間の経過とともに低圧帯と高圧帯が形成されます。
高圧帯は反宇宙を形成します。
低圧帯が解消するとき渦が発生し、虚数のエネルギーが動かされると、反作用で電磁波(光)が発生します。
この光(エネルギー)によって物質が誕生します。

したがって物質を消滅されるには、虚数(エネルギー)の供給を断つか、物質にエネルギーを加えれば物質の誕生と逆コースをたどって消滅します。

原子にエネルギーを加え続ければ、原子核の周囲を公転している電子を失います。
更に、原子核が陽子と中性子に分解、更に最小単位の素粒子に分解し、最後は物質を構成するエネルギーの発生原因である虚数の渦が解消されます。
すなわち物質の消滅を意味します。

アインシュタインのエネルギー式であるE=mc2乗で、エネルギーがゼロ(E=0)であればm(質量)は消滅することになります。
粒子(原子)は電磁波あるいは原子波≒重力波(サイエネルギー)を輻射しただけ、虚数低圧からエネルギーの供給を受けていますので、E=0になりますとエネルギーの供給がゼロとなり、物質は消滅します。

更に、粒子は広い範囲に点在するときには、エネルギーの補給を充分得られますが、ブラックホールの場合、限られた狭い範囲に膨大な粒子が押し込められますから、エネルギーの供給が行き渡らずに、物質は消滅することになります。

ブラックホールの場合、エネルギーを加えることと虚数の低圧の解消により発生するエネルギーの補給が断たれるという条件が重なります。

宇宙や銀河、原子や素粒子にしても、すべて虚数エネルギーの渦動により発生したエネルギー(電磁波)によって構成されています。
一つの天体があまりにも大きくて、それ自体の重力により中心に凝集していけば、中心では虚数の低圧のエネルギーの補給がいきわたらなくなり、ブラックホールになって消滅します。

物質が消滅すれば、物質が消費していたエネルギーが不用になり宇宙に保留されたことになります。
ブラックホールは宇宙の一様等方性、宇宙のバランスと調和を保つための安全弁の役目を果たしているかもしれません。


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posted by ガンちゃん at 10:33 | Comment(0) | 物理・科学・宇宙論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月15日

小恍惚と神秘体験による魂の喜び 受け入れる心

小恍惚と神秘体験による魂の喜び 受け入れる心

人間の真実の幸福あるいは喜びは、内にあります。
外なる道徳規範に基づいた価値観によって人間は、本当の喜びを得ることはできないでしょう。

聖女と言われる人達は、神秘体験によって恍惚感を得るという体験をしていると思います。
リジューの聖テレジアの場合、病床にあって聖母マリアが優しく微笑んでくれたのを見たそうです。
その優しい微笑みをみて、彼女の病気は突然に治ってしまったとのことです。
彼女の姉たちが付き添っていたのですが、重病であった彼女の顔が光り輝いて見えたと述べています。

ルルドの聖ベルナデットは何度か聖母マリアを見ています。
彼女は、骨髄カリエス?か何かの重病で、激痛があるはずですが、苦痛を訴えていなかったようです。
信仰の力によって病気が回復します。

あるいは、他の聖者たちも白光を見る、あるいは、白光に包まれるという体験を通して、恍惚感を得ているようです。
このような神秘体験をしますと、世俗的なことに関して無関心と言いますか、地上的なものに価値を見出せなくなるようです。

唐の善道は、二河白道の話をされていたと思います。
右が貪愛(奪う愛)による洪水、左が瞋(怒りの炎)その中にあって救いの道(中道)を白道と言いました。
善道も、白光に包まれる体験をしたのかもしれません。

このような神秘体験は魂にとっての一大転機であると言えます。
地上的価値観がむなしくなってくるのでしょう。

しかし、簡単に自惚れる傾向の強い人は、霊的体験をしない方がその人自身のためともいえます。
底固めができていませんと、簡単に慢心し自分が菩薩・如来だと勘違いして、上から目線の発言をするようになります。

聖人たちは自分の体験を神の恩寵と呼んでいます。
それは自分の努力によって獲得したものではなく、まさに、神からの賜物として感じられるのでしょう。
中世の聖トマス・アクィナスは、「もっともよき認識は、授けられるものです」とのべています。
(しかし、トマス・アクィナス自身は、相当努力して認識を得ています。)

正しい意味における小恍惚感を得る人の心的特徴は、受け身であるという点です。
宗教的常識として、心が澄んだ状態であり受け身の気持ちであれば、インスピレーションを受けやすい状態であるといわれています。


宗教には慈悲の心が大切であると言えます。

慈愛の心と悲しみを知るということでしょう。

マズローの臨床的観察によりますと、至高体験の被験者には、あわれみと言いますか悲しみの心が顕著だそうです。

日常の何でもない風景の中に、悲しさを感じるのでしょう。

おじさんが、おいしそうに食事をしている姿を見てかわいそうだと思う
(かわいそうという気持ちは当然、自分が上に立って思うのではなく、自然にかわいそうだという気持ちになる)

道行く人を見て、この人も地上において苦しみながら魂修行をしているのだなと思う

努力も大切ですが、日常から離れて受け身的心情になれるように意識することも大切であると思います。




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posted by ガンちゃん at 03:29 | Comment(0) | 宗教・思想について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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