表面意識において前世の自分を知ることは、通常はできないようになっています。
なぜなら、前世の自分を生まれながらに知るということは、今回の生まれ変わりの目的に支障が生じるからでしょう。
前世で行った具体的行為は、記憶していることはできません。
しかし、努力して蓄積された能力は、魂に刻まれ、次の転生に持ち越すことができます。
前世の諸体験の成果を担って生まれ変わってきます。
前世の行為を記憶しておくことができなくとも、魂の傾向性として、今回の人生に影響してくるのでしょう。
宇宙にはバランスの法則が働いています。
バランスの法則とは、作用・反作用の法則、因果応報、蒔いた種は自らが刈り取らねばならない等、哲学的、宗教的、科学的に言われてきたことです。
魂・霊的存在は死ぬこと、消滅することはありません。
これは、エネルギー保存の法則(外力の作用を受けない限り、エネルギーの総和は時間的に変化しない)に置き換えて考えることも可能でしょう。
ですから、人間として生きていく過程において、神様の目から見て間違った考え方、行為は、自分に反射されます。
魂は、永遠に消滅することなく存在し続けますから、自分がなした行為に対しては責任が生じるわけです。
その責任は、肉体が滅んで終わるのではなく、死してなお霊的世界において償わなければならない報いです。
更に、現世においても、カルマに対応する環境が出現してくることでしょぅ。
肉体は、ある程度は遺伝の法則にしたがっているかもしれません。
しかし、人間の肉体に宿る魂は、繰り返し生まれ変わらなければなりません。
転生輪廻とは、魂が前世の人生で得た成果を現世に持ち越しているということです。
現世の中に生きているからと言って、前世から独立しているわけではなく、運命を担っているということです。
魂の傾向性は、自分の人生を形成していきますから、運命と言っても間違いではないと思います。
蒔いた種を刈り取ることが許されているということは、人間は神の子であるという証明ではないかと思えます。
なぜなら、間違った行為、考えをそのまま放置しておかずに、責任を取られることで、正しい方向に導いて下さるからです。
間違った行為、間違った考え方に対して、辛抱強く立ち直ってくるのを見守っているかもしれません。
カルマとは神の慈悲の一つの表現形式であるかもしれません。
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