真理を学ぶ過程で、教えが素直に自分の心に届かないと思われる一部の人達がいます。
私自身、真理の奥深いところまで理解できているとは、とても思えませんが、最低限の理解はしているとは思っています。
この違いはどうして発生するのだろうかと考えてみますと、真理を間違って理解していると思わる人たちの共通点があると思います。
自分に対しての考え方が非常にあまく、真理を自分に都合の良い部分だけを取って体系的に学ぼうとしていないように感じられます。
例えば、死ねば肉体による制約がなくなるので、自由自在になるから、中国の秘密基地やエリヤ51にも出入りできるとコウは考えます。(以前何かの記事で読んだ覚えがある)
しかし、真理を体系的に理解していれば、『自由と言っても本人の認識力に即応した範囲の自由であり、肉体が滅んで霊的存在に移行したとしても、本人の悟りのレベルによる』と考えるのが、より真実に近い理解であると自分は思います。
あるいは、客観的にみた自分の姿がわからず、御自身を神と勘違いします。
こういう人達は、いい加減にしてほしいのですが、自分を八百万の神であるとか、如来や菩薩と思っているのです。
神になりたいという気持ちはわからなくもありませんが、その前にやることがあるでしょう、ということです。
発言をみれば、自分で、事あるごとに発言していますから、そのように思っているのでしょう。
例えば、ピッポは自分が八百万の神と本気で思っています。
私は、ブログを始めた当初から、彼に忠告を含めたやり取りをしていましたが、返答に窮し、質問に答えられなくなると、嵐が過ぎ去るのをまつがごとく、沈黙行に入ってしまいます。
インスピレーションが降りてきて書いていると御自身が言われていたと思いましたが、内容的には他の会員に対しての説教口調で、思想的あるいは宗教的な教えは一切含まれていないと言えます。
私は何度が注意をしたことがありますが、「これは自分の発言ではなく、指導霊からのインスピレーションなので、発言自体には責任がない」という意味の返答をもらったこともあります。
この一言をもってしても、幸福の科学の教えである、『自己責任』に対しての教えを放棄した発言であると言わざるを得ません。
そして、救国と愛国のコウという人物がいます。
私(ガンブロ)はコウなる人物がブログ村に来たときから、常に衝突を繰り返してきました。
とにかく発言が汚く、嘘・偽りはあたりまえ、自分の都合に合わせて法を勝手に解釈し、我を押し通そうとします。
そして、人の意見を勝手に捏造して、嘘、偽りをばらまいて、相手の印象を悪くしようとします(印象操作)。
これは、真理を学ぶ以前の問題であると思います。
ブログ村だけに、嘘、偽り、捏造、印象操作、真理の勝手な解釈、等々するわけがございませんので、今までの人生、そのように生きてきたのであろうと思われても仕方ありません。
コウには、素直な気持ちなど微塵も感じられませんので、反省などしたことがないのでしょう。
人には謝罪をしろと強制してきますが、自分は絶対に謝らない自我のかたまりであると言えます。
コウ自身は保守を名乗っていますが、謝罪を要求するが自分は謝らないで自我を通すところなど、国際常識をしらない中国の共産党幹部にそっくりです。
しかし、最近はコウの本質が明らかになり、ほぼすべての人がコウの正体を知り始めているので、私としては安心しています。
ポン吉ですが、アンチになりましたか・・・
確かに、行為自体は暴走族のような感じはありましたが、もしかしたら、寂しかったのでしょうか?
誰からも、相手にされず友達と言えば、コウとピア健、ピッポでしたから・・・
御自身も間違った行為を繰り返していましたが、仲間も悪かったということでしょうか。
暴走族行為の裏には、誰かに相手をしてほしかった気持ちがあったのかもしれません(わかりませんが)
人に迷惑をかけたことに対して、すまなかったという気持ちになったら、また、一から会員としてやり直してもいいかもしれません。
他の人は許してくれるかどうか知りませんが、私は認めると思います。(反省したらの話)(笑)
何か、偉そうな記事になってしまったことをお詫びします。
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