中論の第一章・縁の考察には次のように書かれています。
「滅することなく、生じることなく、断絶にあらず、常住にあらず、一義にあらず、多義にあらず、来ることなく、去ることなき、戯論が寂滅して吉祥である縁起を、説きたまえる正覚の仏陀 に、説法者の中の最勝なる人として、私は敬礼します。」大乗仏典
『中論』における否定的な表現の代表は、上記の「不生・不滅」「不常・不断」「不一・不異」「不来・不去」の八種の否定です。
これもまた、内容を理解するのは困難ですから、幸福の科学の思想と照らし合わせながら考察します。
「不生・不滅」生まれることなく、滅することのないもの、それが空です。
「不常・不断」常なるものでもなく、断ぜられるものでもない。
「不一・不異」いつなるものでもない、異なる(多様なる姿という意味)ものでもない。
「不来・不去」来るものでもなく、去るものでもない。
龍樹はこの八つの否定を通して現れる中道の境地を空の真髄とみました。
生まれることなく、滅することのない「不生・不滅」とは、生き通しの命、永遠の生命です。
生まれることと、滅することとは対立する概念であり、「生き通しの命」という一言をもって止揚統一しています。
「不常・不断」とは、永遠にそのままの姿が続くというわけではなく、死を通してすべてが無になるという意味でもありません。
物質世界の法則から離れ、霊的存在になることで自由性が増し、存在形式も変わります。
霊的世界において現在の状態が継続して続くというわけではなく、死ねば終わりといった唯物的な考えも間違えです。ヘラクレイトスが述べたように『変化』が真実であり、真理です。
「不一・不異」一なるものでもなく、多なるものでもないとは、人間の霊的生命の存在形式は、本体一・分身五という六人の魂グループが一体となって存在しています。
その中の一人が地上に生まれ変わり、地上で経験した知識、智慧をグループ全員で共有することができます。
「不来・不去」来るものでもない、去るものでもないとは、霊界世界とは、はるか彼方にある世界ではなく、現在住んでいる同一空間を共有し、並行して存在しているということです。
各人の心は、霊的世界とつながっています。物質世界にありながら、心は霊的世界という4次元以降の高次元世界に通じているといわれています。
天台智が、心は一念三千といわれたように、思いの方向性によって天国、地獄に通じてしまいます。肉体は物質世界の法則の中で生きていながら、心は霊的世界の法則に従って、存在しているといえます。
現象界と霊的世界が重なり合って、波長の同通するもの同士がお互いに影響を与えあっています。これが来るものでもなく去るものでもない説明になるかと思います。
八不中道とは私たち人間の永遠の生命と霊的実相世界の秘密を解き明かしているのです。
空と阿羅漢 参照
空とは虚無主義ではなく、この世を肯定することでもありません。両極端を否定し、霊的価値観と物質的な両方の観点から見ていく仏教的世界観であると思います。
中論の第二章には、<すでに去った>ものは去らない。<未だ去らないもの>も去らない。さらに<すでに去ったもの>と<未だ去らないもの>とを離れた<現にいま去りつつあるもの>も去らない。
「不来・不去」
さらに、現に生じつつあるものも、すでに生じたものも、未だ生じていないものも、決して生じない。
未だ滅びないものも滅びない。すでに滅びてしまったものも滅びない。現にいま滅びつつあるものもまた同様に滅びない。「不生・不滅」
相互依存、相互関係を説明しようとしていると自分には思えます。対立矛盾する観念と観念がお互いに依存して成立しています。
それぞれの観念が対立する観念を前提にして成り立っています。
すべての存在は自己の内部に対立を含んでいて、正(肯定)・反(否定)・合(否定の否定)による弁証法的な運動法則によって止揚統一されていきますが、弁証法的な運動法則も存在自体が無自性であるからこそ、相互依存によって成立していると言えます。
縁起(因縁生・縁生・因縁法)とは、<よって生じること>の意で、すべての現象は無数の原因と条件(縁)が相互に関係しあって成立しているものであり、独立自存のものではなく、諸条件や原因がなくなれば結果もおのずからなくなるということです。
なんであれ、この法則からはずれたものはないというのが仏教の主張です。
諸行無常であるからこそ縁起が成立するのであり、縁起しないものは無常ではありません。
もろもろの事物(諸法)は無自性であるがゆえに、現象界の変化も成立し、それ自体の本性を欠いているゆえに、縁起が成立します。
無自性、無常は縁起と同義に用いられています。ですから空は縁起であると言えると思います。
以上の説明で現象界は仮の存在であり、固定的で変化しない実体をもった存在ではありません。
この地上が本質を欠いた世界であるからこそ、実在世界、イデアの世界があるのではないかという考えがでてきます。
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